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葬式でもらう塩

レス97 HIT数 5885 あ+ あ-

名無し
14/05/20 21:49(更新日時)

お葬式の後にいただく塩って、皆さん使っていますか?

うちは食卓塩の瓶に入れて調味料として使っています。

結婚して20年以上たちますが、家族全員健康で、不幸も特にありません。

とりあえず子供には本来の使用方法(お清めの作法)を教えて使わせていますが、自分一人で参列した場合は、いちいち帰宅するたび塩を撒いたことはないのです。

塩がもったいないし、撒いた後、玄関を掃除するのも面倒なので。

食卓塩にお清めの塩が入っているのは家族はみんな知っていますが、特に気にしていないようです。

人には言ったことはないので、こんな考え方の人は日本中で自分だけなんだろうな…なんて考えてスレを立てました。


まさか同じような人なんていないですよね?😥



No.2047839 14/01/10 02:00(スレ作成日時)

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No.1 14/01/10 02:02
主婦1 ( ♀ )

最近、お塩入ってませんよね。
無くなってきてるのかな。

  • << 4 キリスト教徒の教会での葬儀にはお塩の配布がなかったような気がします。

No.2 14/01/10 02:08
名無し2 

もったいないとかの問題じゃないでしょ。
塩をくれたんだから、それで清めればいいのに。
掃除するのが面倒とか、しかもお清め用の塩を料理にって💧すげぇ神経…

  • << 5 多分2さんの反応が一般的だと思います。 お清めしたこともありますが、特に続けようとは思わなかったんです。 以前、霊がついてくるよとか知人に言われまして、本当についてくるかどうか試してみようと思ったのが 使わないようになったきっかけだったと思います。 使わないでも何も起こらなかったので、(20年以上)これって迷信なのかなーと考えるようになりました。

No.3 14/01/10 02:08
名無し0 

ちなみに初詣も行ったことがありません。
年始年末は旅行が多いので…と言うのは建前で、あまり神様も仏様も信じていないからと言うのが本音です。

宗教と習慣と迷信って、すごくよく似ていると、個人的には考えています。

特に何の信仰も持たない私には、初詣もお清めの塩もあまり意味を感じないのです。

これらが渾然一体となっている日本で暮らしている以上、他人には言わないようにしています。

祖父母や親族は全員、生粋の日本人ですから、私のこんな考え方を知ったらお墓の中でひっくり返るかもしれないなあ…。


もちろん他人さまが信心深く、初詣や自社仏閣にお参りに行く気持ちは否定しません。

家族が行きたいなら「行っておいで~」と送り出します。

自分や夫の葬式も夫はお寺でしたいらしいので、夫の希望通りにします。

多分塩も配るでしょう。

でも私が生き残った側なら、食卓塩の瓶に入れるような気がします(^_^;)


No.4 14/01/10 02:10
名無し0 

>> 1 最近、お塩入ってませんよね。 無くなってきてるのかな。 キリスト教徒の教会での葬儀にはお塩の配布がなかったような気がします。

No.5 14/01/10 02:14
名無し0 

>> 2 もったいないとかの問題じゃないでしょ。 塩をくれたんだから、それで清めればいいのに。 掃除するのが面倒とか、しかもお清め用の塩を料理にって💧… 多分2さんの反応が一般的だと思います。

お清めしたこともありますが、特に続けようとは思わなかったんです。

以前、霊がついてくるよとか知人に言われまして、本当についてくるかどうか試してみようと思ったのが
使わないようになったきっかけだったと思います。

使わないでも何も起こらなかったので、(20年以上)これって迷信なのかなーと考えるようになりました。


No.6 14/01/10 02:26
名無し6 

こうして風習や節句が消えていくのでしょう。
良いか悪いかではなく、時代の流れなのでしょうね。

自分の子供時代に比べて、こいのぼりやお雛様を用意する家も減りましたし、代わりに?ハロウィンやイースターが目立ってきたり(笑)
なんなら、お節料理の起源はデパートの戦略だそうですし…バレンタインのチョコ的な…。

お清めの塩も、子供には一応教えているし、何もせず捨てるよりいいんじゃないかな~。

我が家では、一応お清めに使うけど、別にいいと思います!

  • << 15 ありがとうございます。 子供が小さい内は本人の希望もあり、七夕には笹を飾り、クリスマスにはツリーを飾っていましたが 大きくなると止めてしまいました。 考えてみたら、あれらも異国(西洋や中国)の風習なんですよね(^_^;) 🎏鯉のぼりや🎎雛人形も飾っていましたが、今ではタンスの肥やしならぬ押入の肥やしになってます。 バレンタインのチョコは製菓会社の戦略とは聞いていましたが、お節料理がデパートの戦略だったのは初耳でした! 勉強になりました☺ ありがとうございます😊

No.7 14/01/10 02:50
匿名7 

お腹の中まで清めるのww

  • << 16 殺菌効果もあるかも知れません😊 昔は遺体の防腐処置として塩を使っていたようですし。

No.8 14/01/10 04:22
名無し2 

初詣にいかないけど、さすがにお清めの塩は料理には使わないよ…。
浄化目的だもの。

  • << 17 それが日本のスタンダードだと思います。

No.9 14/01/10 05:18
ちょい悪オヤジ9 

主さんの考え方
好きです(^o^ゞ

貴方みたいな女性と暮らすのも悪くない

主さんに賛同(^_^ゞ

  • << 19 ありがとうございます😊 初詣や塩を撒く文化もありかなとは思います。 ただ自分がやらないだけで…(^_^;) そう言えば、うちは披露宴はやったんですが結婚式はやっていません。 でも特に問題なく夫婦円満なので、あれも個人の好みや地域の習慣で、取捨選択もありかも知れません。 9さんもお互いの好みを尊重しあえる女性に巡り会えると良いですね😊

No.10 14/01/10 05:36
名無し10 

ものによっては非食品な塩もあるから、ちゃんとお清めに使いますし、食べません。

  • << 29 食塩ではない場合もあるのですね。 教えてくださりありがとうございました。

No.11 14/01/10 06:05
ぎゃりーばびゅばびゅ ( 30代 ♂ yu20j )

俺も主に同意だな。

そんな風習はなくした方が良い。

正しく歴史を知るなら、それら風習は全て迷信に基づいた

『悪魔崇拝』

である事が浮き彫りになるからなw

  • << 30 悪魔崇拝って面白かったです😂 しかしなぜ、どこから悪魔なんでしょう?

No.12 14/01/10 07:18
匿名 ( 30代 ♀ fo7u1b )

信じられない

私なら絶対に
しません

塩は玄関に蒔く
ものではありません

自宅内に入る前に
身体に振りかけ
自宅内に霊を
連れ込まない為の塩

No.13 14/01/10 07:30
名無し0 

>> 12 身体にかけた時、玄関付近に塩が落ちてしまうので…


20年間、塩をかけなかったので、20年分の葬式の時の霊がうち(自宅内)にはたくさんいるのかも知れません。


ただ霊がいても何もわからないので特に困ったこともなく過ごしています😥


No.14 14/01/10 08:18
アラフォー14 ( ♀ )

個人的には気分の問題で、お葬式の後は必ず塩を体にかけてから、家に入るようにしてます。

確かに最近のお葬式に参列してびっくりすることもf^_^;
祭壇の花に薔薇とか、香典返しにパウンドケーキとか、お清めのお酒がワインなんてことも…。

もちろん塩が入ってないことも度々。

主さんみたいな考えの方が増えると、少しずつ儀式のしきたりが変わって来るのかもですね。

  • << 32 14さんのお話で私もびっくりしました。 「祭壇の花に薔薇とか、香典返しにパウンドケーキとか、お清めのお酒がワインなんてことも…」 ちょっと羨ましいです☺ 伝統的な冠婚葬祭を好む方々は嫌かも知れませんが、私はいいなー😍と感じてしまいました。 多分、戦前は和装での結婚式がほとんどだったでしょうから 戦後、結婚式に和装ではなくドレスなど洋装が取り入れられた時に、違和感を感じる方から批判を受けたのではないかなと思います。 今はウェディングドレスって普通の風習ですけどね😁 私も菊より薔薇の方が好きですし、お茶よりパウンドケーキの方が嬉しいです😍 更に言えば、お経より管弦楽の演奏が聴きたい。(→そう言う企画のお葬式の広告を見たことがあるんです) 6さん14さんがおっしゃるように、風習やしきたりって時代によって変わっていくものなら、 私も自分らしいお葬式をしたいなあ…なんて、夢見てしまいました。 親戚や家族の中で合意がとれれば、可能かも知れません。 資金は自分持ちで、家族だけで済ます密葬なら、遺族が他人の批判を受けずに済みますし😊

No.15 14/01/10 08:38
名無し0 

>> 6 こうして風習や節句が消えていくのでしょう。 良いか悪いかではなく、時代の流れなのでしょうね。 自分の子供時代に比べて、こいのぼりやお雛様を… ありがとうございます。

子供が小さい内は本人の希望もあり、七夕には笹を飾り、クリスマスにはツリーを飾っていましたが
大きくなると止めてしまいました。

考えてみたら、あれらも異国(西洋や中国)の風習なんですよね(^_^;)

🎏鯉のぼりや🎎雛人形も飾っていましたが、今ではタンスの肥やしならぬ押入の肥やしになってます。

バレンタインのチョコは製菓会社の戦略とは聞いていましたが、お節料理がデパートの戦略だったのは初耳でした!

勉強になりました☺
ありがとうございます😊

No.16 14/01/10 08:39
名無し0 

>> 7 お腹の中まで清めるのww 殺菌効果もあるかも知れません😊

昔は遺体の防腐処置として塩を使っていたようですし。

No.17 14/01/10 08:40
名無し0 

>> 8 初詣にいかないけど、さすがにお清めの塩は料理には使わないよ…。 浄化目的だもの。 それが日本のスタンダードだと思います。


No.18 14/01/10 08:40
名無し18 

食べる勇気はないので、弁当用の小分け容器?に入れて、玄関の盛り塩にしてます。
普段は盛り塩してないけど、捨てるくらいならと。

  • << 33 盛り塩に使われているのですね。 本来のお清めや浄化や魔除けの目的に近い使用方法だと思いました☺

No.19 14/01/10 08:51
名無し0 

>> 9 主さんの考え方 好きです(^o^ゞ 貴方みたいな女性と暮らすのも悪くない 主さんに賛同(^_^ゞ ありがとうございます😊

初詣や塩を撒く文化もありかなとは思います。
ただ自分がやらないだけで…(^_^;)


そう言えば、うちは披露宴はやったんですが結婚式はやっていません。
でも特に問題なく夫婦円満なので、あれも個人の好みや地域の習慣で、取捨選択もありかも知れません。


9さんもお互いの好みを尊重しあえる女性に巡り会えると良いですね😊


No.20 14/01/10 08:57
匿名20 ( ♀ )

お寺さんは、お清めの塩は勧めていないみたいですよ。
神道がお清めの塩を使うみたいですね。

食用ではなく乾燥剤が多いため、葬儀で配られる塩は、食べられませんと書いているようですけど。

  • << 34 「お清めの塩」は、お寺(仏教)ではなく、神道で使われだしたのですね。 知りませんでした。 教えてくださりありがとうございます。 私がいただいたお塩は黒いパッケージで「お清め」とだけ印刷されていた記憶があります。 食べないで下さいと言う注意書きはなかったと思いましたが、見落としたかも知れませんね。

No.21 14/01/10 09:47
通行人21 

そのまま帰宅後ゴミ箱に捨てます。

  • << 35 使わないなら合理的な処理ですね。

No.22 14/01/10 10:03
名無し22 ( 20代 ♀ )

宗教上、塩をまく習慣がそもそもありませんので特別変な話だとは思いません。食べれるのなら食べていいのでは?
私は食べれるのかわからないのでそのまま捨てますけどね(^-^;

  • << 36 もしかしたら、クリスチャンの方ですか? お塩は舐めてみたら普通にしょっぱかったので、私は食べてしまっていました😂 このスレを立てて食べない方が良いとわかりました。(皆さんありがとうございました) これからは、21さんや22さんのようにゴミ箱行きになりそうです。 あとはそうですねー、盛り塩にする方もいましたが、その習慣もないものですから使い道はあまり思いつきません(^_^;) 直接口に入れない塩の使い道は、除草剤とかかな…? 生クリームを泡立てる時なら使えるかも。 大きめのボールに氷と塩を入れて、そこにクリームを入れた別のボールを載せて冷やしながら泡立てると、泡立ちやすいのです。

No.23 14/01/10 10:54
社会人23 

>> 22 最近では香典返しの塩は本物の「塩」ではない場合があります。
葬儀に列席した際渡される、小さな紙袋に入っているのは純粋な「塩」ではありません。正体は、白い石を塩粒くらいに細かく砕いたものに、本物の塩を少し混ぜたものだそうです。
また本物の塩だったとしても食用としての衛生管理はされておりませんので、不純物が混ざっており口に入れる場合は注意が必要です。


  • << 37 本物の塩が混じっていたのですね。 だから私が舐めた時にしょっぱかったのかな。 色々くわしい説明をありがとうございました。

No.24 14/01/10 11:24
名無し24 


中の塩って食せる物なんだ?
でも味塩ではないですよねきっと。

少し前に葬儀で、宗教によって違うみたいで、撒きたい人はお持ち帰りくださいってシステムでした。

  • << 38 私がなめた時の味は、アジシオではありませんでした☺ 希望者のみ持ち帰りできるシステムは合理的でよいですね。

No.25 14/01/10 11:58
名無し25 ( ♀ )

塩をかけるかかけないかは個人の自由ですが…
あの塩は食用ではありません。

工業塩に乾燥剤がかなりはいってます。

今は何もないといいますが体に悪いものです。

  • << 39 毎日大量に食べていたわけではなかったので、私も多分目立った害はなかったのでしょうね。 これからは食べないようにしたいと思います。 教えていただきありがとうございました。

No.26 14/01/10 13:21
社会人26 ( ♀ )

私も清めの塩は食用では
ないと聞きました。
撒いても撒かなくてもいいですが、食べるのは止めた方がいいです。



霊うんぬんより体に良く
ないですよ😅

  • << 40 お清めの塩を入れた瓶タイプの食卓塩は、トマトやスイカを食べる時に、私が盛大にかけて食べていました😂 他の家族はあまり塩をかける習慣がなかったので、体に良くない塩を食べたのが主に私で良かったです。 霊より健康が肝腎ですよね。

No.27 14/01/10 17:46
名無し27 

料理によって塩を使い別ける私から見ると、異なる種類の塩を同じ容器に入れることが問題。

塩の生産者から見ても、そういう大雑把な塩の扱いは嬉しくないと思う。

信仰については個人の自由だから全然いいと思うよ。

  • << 41 信仰の自由に同意していただきありがとうございました。 料理によって塩を使い分けしているのは、美味しさを追求するこだわりゆえなのでしょうね。 生産者側への思いやりを27さんから初めて学びました。 塩は砂糖と同じ色で違う味…くらいの認識の低さを今後は改めようと思いましたよ😊

No.28 14/01/10 20:43
高校生28 

100%食塩だと売ることが出来ないので、大理石を砕いた物を混ぜているらしいです。


食べないほうがいいと思います。


  • << 42 もしかしたら、1985年に解散した塩やタバコの専売権利を持っていた、日本専売公社と関係がありますか? 100%食塩だと専売権に抵触するから、石を混ぜ始めたのかなーと考えたりしました。 先ほど、別の方が白い石を砕いた粉が混じっていると教えて下さいましたが、大理石とは知りませんでした。 教えてくださりありがとうございました。 別の方が言っていた乾燥剤などの化学物質よりは、大理石などの自然界に存在する無機物の方が害がないような気がします。 どちらにしても、今後は食べないようにしようと考えています😊

No.29 14/01/10 20:45
名無し0 

>> 10 ものによっては非食品な塩もあるから、ちゃんとお清めに使いますし、食べません。 食塩ではない場合もあるのですね。

教えてくださりありがとうございました。

No.30 14/01/10 20:47
名無し0 

>> 11 俺も主に同意だな。 そんな風習はなくした方が良い。 正しく歴史を知るなら、それら風習は全て迷信に基づいた 『悪魔崇拝』 である事が浮… 悪魔崇拝って面白かったです😂

しかしなぜ、どこから悪魔なんでしょう?


  • << 48 すまん!返レスあったの気付かんかったわ。 ふざけてると思われてスルーされたかとw 例えば、古代諸民族の男神や女神などの神々を比較してみると、著しい類似性のあることが容易に認められると思うが、その類似性が偶然に生じたとはまず考えられん。 このことに関して考古学から導き出される事は、 エジプト人,カルデア人、フェニキア人、ギリシャ人、及びローマ人だけでなく、インド人、中国やチベットの仏教徒、ゴート人、アングロサクソン、ドルイド、メキシコ人やペルー、あとはオーストラリアの原住民と、また南洋諸島の未開人でさえ、人々の宗教的な概念は 『全て共通の源』 または共通の中心地に由来しているに違いない事を明らかにしている! どこでも、典礼、儀式、習慣、伝承、及びそれらの人々のそれぞれの『男神』や『女神』の名前や関係には極めて驚くべき種々の『一致点』が見られる。 歴史の根拠は、大洪水後の 『偽りの宗教』 的な概念の発祥地が『シナルの地』であったことを指し示しているんだが、 『バベルの都』と偽りの崇拝のために使われたジッグラトであったと考えられる『バベルの塔』の建設は、 『真の神に敵対する力ある狩人』 であった 『ニムロデ』の指導のもとで始まったとされている。 建築者たちは神に誉れを齎す為ではなく、自分たちの為に 『名を揚げたい』 と考え、自らの栄光を讃える為に、その建設計画に着手していて、 また、それは人類を地に広がらせようとする神の目的に真っ向から逆らうものだったらしい。 神はそれら建築者たちの言語を混乱させ、その計画を挫折させ、もはや互いに理解し合えなくなった人々は、やがてその都市の建設をやめて、散って行く事になる。 が、ニムロデはバベルにとどまり、領土を拡張し、最初の 『バビロニア帝国』を創設したんだよね。 で、散らされた人々は、どこであれ自分たちの偽りの宗教や儀式、風習を携えて行き、新たな用語や新たな言語を使い、また新たな場所でそれぞれの宗教を奉ずるようになった! てわけ。 因みに、人々が散らされたのはいつか?というと、ペレグの時代だ記録されてる。

No.31 14/01/10 20:53
旅人31 


仏教では「死」は生き物のあるべき姿の一つして認識しています。
清めの塩を使わなくても差し支えないと思います。
でも、食用にはしない方がいいですね🐸

  • << 43 仏教では「死」を穢れではなく、生き物の自然な姿と受け入れる姿勢なのですね。 神道の「穢れ」思想とは一線を画した哲学のように感じます。 私も死は必要以上に忌み嫌うべきことではなく、自分が死ぬことをもっとオープンに語り合たら、もっと人生が充実し楽しくなるのではないかと思いました。 葬儀のイベント化を不謹慎だとする声もありますが、例えイベントの形であっても、死について前向きに話をするのは悪いことではないと感じます。 生まれて、成長し、学校に行って、就職し、結婚して、出産して、病気や怪我を乗り越え、育児や介護も乗り越え、やっとこさ死に至る…って感じですよね😊 充実した生の果ての死は、決して恐ろしい死神やゾンビではなく、親しい友人の顔をしているような気がします☺ 若いうちの死は確かに悲劇ではありますが。 遺族や本人の無念さは、言葉にできないです。 ただ生きているなら、誰もが死と隣り合わせなのは真実ですから、住宅ローンや介護資金同様に、死について普段から考えておくのは悪いことではないです。 私は14さん宛のレスにも書きましたが、既成のやり方ではない葬儀がいいなーと考えています。 菊の代わりに薔薇とか、お茶の代わりにパウンドケーキとか、お経の代わりに管弦楽(バイオリンとチェロ、ヴィオラのアンサンブル)とか! 不治の病や脳死の場合は、延命治療は望みません。 遺書はまだ書いていませんが、エンディングノートは近い内に書いてみたいです😊 財産は私がお世話になったとある財団に寄付をしたいから、子供たちは独立独歩の人生を歩んでほしい…などなど☺ 自分の死後も世界は存続するわけですから、自分の死によって 社会が何らかの利益を得るような、 今までお世話になった分、恩返しできるような 遺族も私も良いことしたなあと、良い気持ちになれるような、そんな死に方をしたいなあ…なんて考えています😊

No.32 14/01/10 20:59
名無し0 

>> 14 個人的には気分の問題で、お葬式の後は必ず塩を体にかけてから、家に入るようにしてます。 確かに最近のお葬式に参列してびっくりすることもf^_… 14さんのお話で私もびっくりしました。


「祭壇の花に薔薇とか、香典返しにパウンドケーキとか、お清めのお酒がワインなんてことも…」


ちょっと羨ましいです☺


伝統的な冠婚葬祭を好む方々は嫌かも知れませんが、私はいいなー😍と感じてしまいました。


多分、戦前は和装での結婚式がほとんどだったでしょうから
戦後、結婚式に和装ではなくドレスなど洋装が取り入れられた時に、違和感を感じる方から批判を受けたのではないかなと思います。

今はウェディングドレスって普通の風習ですけどね😁

私も菊より薔薇の方が好きですし、お茶よりパウンドケーキの方が嬉しいです😍
更に言えば、お経より管弦楽の演奏が聴きたい。(→そう言う企画のお葬式の広告を見たことがあるんです)

6さん14さんがおっしゃるように、風習やしきたりって時代によって変わっていくものなら、
私も自分らしいお葬式をしたいなあ…なんて、夢見てしまいました。


親戚や家族の中で合意がとれれば、可能かも知れません。


資金は自分持ちで、家族だけで済ます密葬なら、遺族が他人の批判を受けずに済みますし😊


No.33 14/01/10 21:02
名無し0 

>> 18 食べる勇気はないので、弁当用の小分け容器?に入れて、玄関の盛り塩にしてます。 普段は盛り塩してないけど、捨てるくらいならと。 盛り塩に使われているのですね。

本来のお清めや浄化や魔除けの目的に近い使用方法だと思いました☺



No.34 14/01/10 21:05
名無し0 

>> 20 お寺さんは、お清めの塩は勧めていないみたいですよ。 神道がお清めの塩を使うみたいですね。 食用ではなく乾燥剤が多いため、葬儀で配られる塩は… 「お清めの塩」は、お寺(仏教)ではなく、神道で使われだしたのですね。

知りませんでした。

教えてくださりありがとうございます。

私がいただいたお塩は黒いパッケージで「お清め」とだけ印刷されていた記憶があります。

食べないで下さいと言う注意書きはなかったと思いましたが、見落としたかも知れませんね。


No.35 14/01/10 21:07
名無し0 

>> 21 そのまま帰宅後ゴミ箱に捨てます。 使わないなら合理的な処理ですね。


No.36 14/01/10 21:17
名無し0 

>> 22 宗教上、塩をまく習慣がそもそもありませんので特別変な話だとは思いません。食べれるのなら食べていいのでは? 私は食べれるのかわからないのでそ… もしかしたら、クリスチャンの方ですか?

お塩は舐めてみたら普通にしょっぱかったので、私は食べてしまっていました😂

このスレを立てて食べない方が良いとわかりました。(皆さんありがとうございました)


これからは、21さんや22さんのようにゴミ箱行きになりそうです。


あとはそうですねー、盛り塩にする方もいましたが、その習慣もないものですから使い道はあまり思いつきません(^_^;)

直接口に入れない塩の使い道は、除草剤とかかな…?


生クリームを泡立てる時なら使えるかも。

大きめのボールに氷と塩を入れて、そこにクリームを入れた別のボールを載せて冷やしながら泡立てると、泡立ちやすいのです。


No.37 14/01/10 21:22
名無し0 

>> 23 最近では香典返しの塩は本物の「塩」ではない場合があります。 葬儀に列席した際渡される、小さな紙袋に入っているのは純粋な「塩」ではありません… 本物の塩が混じっていたのですね。

だから私が舐めた時にしょっぱかったのかな。

色々くわしい説明をありがとうございました。


No.38 14/01/10 21:25
名無し0 

>> 24 中の塩って食せる物なんだ? でも味塩ではないですよねきっと。 少し前に葬儀で、宗教によって違うみたいで、撒きたい人はお持ち帰りく… 私がなめた時の味は、アジシオではありませんでした☺


希望者のみ持ち帰りできるシステムは合理的でよいですね。


No.39 14/01/10 21:26
名無し0 

>> 25 塩をかけるかかけないかは個人の自由ですが… あの塩は食用ではありません。 工業塩に乾燥剤がかなりはいってます。 今は何もないと… 毎日大量に食べていたわけではなかったので、私も多分目立った害はなかったのでしょうね。

これからは食べないようにしたいと思います。

教えていただきありがとうございました。


No.40 14/01/10 21:31
名無し0 

>> 26 私も清めの塩は食用では ないと聞きました。 撒いても撒かなくてもいいですが、食べるのは止めた方がいいです。 霊うんぬんより… お清めの塩を入れた瓶タイプの食卓塩は、トマトやスイカを食べる時に、私が盛大にかけて食べていました😂

他の家族はあまり塩をかける習慣がなかったので、体に良くない塩を食べたのが主に私で良かったです。

霊より健康が肝腎ですよね。



No.41 14/01/10 22:08
名無し0 

>> 27 料理によって塩を使い別ける私から見ると、異なる種類の塩を同じ容器に入れることが問題。 塩の生産者から見ても、そういう大雑把な塩の扱いは… 信仰の自由に同意していただきありがとうございました。


料理によって塩を使い分けしているのは、美味しさを追求するこだわりゆえなのでしょうね。


生産者側への思いやりを27さんから初めて学びました。


塩は砂糖と同じ色で違う味…くらいの認識の低さを今後は改めようと思いましたよ😊


No.42 14/01/10 22:27
名無し0 

>> 28 100%食塩だと売ることが出来ないので、大理石を砕いた物を混ぜているらしいです。 食べないほうがいいと思います。 もしかしたら、1985年に解散した塩やタバコの専売権利を持っていた、日本専売公社と関係がありますか?

100%食塩だと専売権に抵触するから、石を混ぜ始めたのかなーと考えたりしました。

先ほど、別の方が白い石を砕いた粉が混じっていると教えて下さいましたが、大理石とは知りませんでした。

教えてくださりありがとうございました。

別の方が言っていた乾燥剤などの化学物質よりは、大理石などの自然界に存在する無機物の方が害がないような気がします。

どちらにしても、今後は食べないようにしようと考えています😊


No.43 14/01/10 22:46
名無し0 

>> 31 仏教では「死」は生き物のあるべき姿の一つして認識しています。 清めの塩を使わなくても差し支えないと思います。 でも、食用にはしない方… 仏教では「死」を穢れではなく、生き物の自然な姿と受け入れる姿勢なのですね。

神道の「穢れ」思想とは一線を画した哲学のように感じます。

私も死は必要以上に忌み嫌うべきことではなく、自分が死ぬことをもっとオープンに語り合たら、もっと人生が充実し楽しくなるのではないかと思いました。

葬儀のイベント化を不謹慎だとする声もありますが、例えイベントの形であっても、死について前向きに話をするのは悪いことではないと感じます。

生まれて、成長し、学校に行って、就職し、結婚して、出産して、病気や怪我を乗り越え、育児や介護も乗り越え、やっとこさ死に至る…って感じですよね😊

充実した生の果ての死は、決して恐ろしい死神やゾンビではなく、親しい友人の顔をしているような気がします☺

若いうちの死は確かに悲劇ではありますが。
遺族や本人の無念さは、言葉にできないです。

ただ生きているなら、誰もが死と隣り合わせなのは真実ですから、住宅ローンや介護資金同様に、死について普段から考えておくのは悪いことではないです。


私は14さん宛のレスにも書きましたが、既成のやり方ではない葬儀がいいなーと考えています。

菊の代わりに薔薇とか、お茶の代わりにパウンドケーキとか、お経の代わりに管弦楽(バイオリンとチェロ、ヴィオラのアンサンブル)とか!

不治の病や脳死の場合は、延命治療は望みません。
遺書はまだ書いていませんが、エンディングノートは近い内に書いてみたいです😊

財産は私がお世話になったとある財団に寄付をしたいから、子供たちは独立独歩の人生を歩んでほしい…などなど☺

自分の死後も世界は存続するわけですから、自分の死によって

社会が何らかの利益を得るような、

今までお世話になった分、恩返しできるような

遺族も私も良いことしたなあと、良い気持ちになれるような、そんな死に方をしたいなあ…なんて考えています😊


  • << 45 そういうお葬式は良いと個人的には考えます。 ただ一点だけ…。 私の友人が2年前に急死したのですが、その時のお葬式が…5分のお別れの会のみ。 通夜、葬儀、告別式はナシ。お経もナシ。 どっかの霊安室から棺が火葬場に来て、そこで5分お別れして以上。 お墓もナシ。海に散骨だったらしいです。 今でもスッゴくつらい最後の別れでした。 少なくとも、友達や遺族が満足できる時間と、その後に何らかの形でお参りができる場所は、確保した上で、自由な形態のお葬式をすると良いと思います。 スレチすみません。

No.44 14/01/10 23:00
主婦44 

>> 43 主さん

ずっとロムしておりました

時代の移り変わりと共に冠婚葬祭のマナーやしきたりも変わりつつあるのも事実
以前お花屋さんでお仏壇に供えるお花を選んでいたら
店員さんから…今は故人が好きな花を供えるのもありですよと教えて貰いました
薔薇等の華やかなお花も良いそうです

勿論しきたりや慣習を頑なに守る地域はありますので
郷に入れば郷に従えの感覚を持っていたら問題は無いでしょう

  • << 46 ロムしていてくれてありがとうございました。 仏壇にそなえる場合も 「今は故人が好きな花を供えるのもありですよ」と言う花屋さんのアドバイスはとても参考になりました☺ 私も死後は菊より薔薇やかすみ草が嬉しいかも(^w^) 「郷に入っては郷に従え」は忘れないようにします。 特に信仰に関してはデリケートなことなので、自分の自由を主張することで 他人への批判にならないように注意しようと思いました。 以前、外国人の方に 「あなたには信仰するものはないのか?」 と訊かれました。 どんな宗教でも、特定の宗教や宗派に入ると制約や規則がありますよね。 例えば「殺すな」とか「誠実に生きよう」なら良いのですが 教団に金を払わないといけないとか、高い戒名をつけないといけないと言う教えは、キリストも釈迦も言ってないはずなので、それは嫌だなーと思ってしまいます。 それで既成の宗教には魅力を感じない、新興宗教はもっと危ないから怖いと考えていました。 自分に一番近い宗教があるなら、アイヌ民族やネイティブアメリカンのアニミズム(=自然崇拝)かな…。朝日や山や海や雪原には自然に畏敬の念を感じますから。 それで質問してくれた外国人の方には 「お葬式で家族が困るといけないので、死ぬまでにどの宗教がいいかたくさん勉強してから決めたい」 と言ってしまいました。 その外国人の方は熱心なイスラム教信者の方だったので 「カタログで洋服を選ぶように、宗教を選んではいけない」 と叱られました。 「信じないのは自由だけど、他人の宗教(=習慣)を見下したと思われてはいけない」と学びました。 44さんのレスを読んで当時のことを、改めて思い出せました。 他人のやり方も尊重しつつ、自分の気持ちに寄り添うやり方(生き方も葬儀も)があみ出せると良いなあと、感じました。 ありがとうございました。

No.45 14/01/11 00:05
アラフォー14 ( ♀ )

>> 43 仏教では「死」を穢れではなく、生き物の自然な姿と受け入れる姿勢なのですね。 神道の「穢れ」思想とは一線を画した哲学のように感じます。 私… そういうお葬式は良いと個人的には考えます。

ただ一点だけ…。
私の友人が2年前に急死したのですが、その時のお葬式が…5分のお別れの会のみ。
通夜、葬儀、告別式はナシ。お経もナシ。
どっかの霊安室から棺が火葬場に来て、そこで5分お別れして以上。
お墓もナシ。海に散骨だったらしいです。

今でもスッゴくつらい最後の別れでした。
少なくとも、友達や遺族が満足できる時間と、その後に何らかの形でお参りができる場所は、確保した上で、自由な形態のお葬式をすると良いと思います。

スレチすみません。

  • << 47 再レスをありがとうございました。 それはあまりにも無味乾燥と言いますか、辛いお別れでしたね。 「友達や遺族が満足できる時間と、その後に何らかの形でお参りができる場所は、確保した上で、自由な形態のお葬式」が良いと言うご意見はその通りだと思いました。 14さんのレスを読んで、葬儀の役割や目的について、改めて考えさせられました。 生前葬のように死に行く(予定の)人が自分の葬儀をイベント企画して楽しんだり 生きている内に家族やお世話になった方にお礼を言う目的もありますが やはり遺された友達や家族の心のケアも大事なことですよね。 先日、夫の部下の男性社員(40代独身)が亡くなったのですが、葬儀自体がなかったそうなんです。 私はてっきり私と近い考え方で、葬儀に使うお金をあしなが育英会やフォスタープランなど慈善団体に寄付したのかと思ったのですが、違いました。 ご両親もご兄弟も健在だったのですが、誰もが極端に経済的に逼迫していたのが葬儀をしない理由だったそうです。 夫は部下だった故人が闘病中、激務の間も徹夜明けでも 何度か見舞い、会社からの手当金も満額出るよう頑張って総務と掛け合い(故人が中途採用で、勤務期間が不足していたそうです)、 亡くなった後も会社とは別に自腹で香典を持ってお悔やみに行きました。 ご両親に渡せて良かったけど、葬儀をやらないと聞いて驚いたと言っていました。 「あの子は焼いておしまいです」 と肩を落としたお母様から言われ、何も言えなかったそうです。 もちろん塩も精進落としも香典返しもありません。 それより、お母さんは本当は息子の葬儀をやりたかったのに、できなかったなら残念だなあと言っていました。 ただ心をこめて写真に手を合わせてきたとも言っていました。 お金をかけた葬儀より故人や遺族が心をこめて手を合わせられたら、それでいいような気持ちもしました。 ついイベント化した葬儀はお金を何にかけるかを考えてしまいますが お別れの場として、参列者の心が寄り添う集まりにできれば、それが一番良いのかも…と考えました。 14さんのように故人を慕うひとが、少しでも心を癒せる場所にできたら良いのかも知れません。 私が持てなかった見地を14さんがご指摘くださったおかげで、更に考えを深められました。 ありがとうございました。

No.46 14/01/11 08:34
名無し0 

>> 44 主さん ずっとロムしておりました 時代の移り変わりと共に冠婚葬祭のマナーやしきたりも変わりつつあるのも事実 以前お花屋さんでお仏壇… ロムしていてくれてありがとうございました。


仏壇にそなえる場合も
「今は故人が好きな花を供えるのもありですよ」と言う花屋さんのアドバイスはとても参考になりました☺
私も死後は菊より薔薇やかすみ草が嬉しいかも(^w^)

「郷に入っては郷に従え」は忘れないようにします。

特に信仰に関してはデリケートなことなので、自分の自由を主張することで
他人への批判にならないように注意しようと思いました。

以前、外国人の方に
「あなたには信仰するものはないのか?」
と訊かれました。


どんな宗教でも、特定の宗教や宗派に入ると制約や規則がありますよね。

例えば「殺すな」とか「誠実に生きよう」なら良いのですが
教団に金を払わないといけないとか、高い戒名をつけないといけないと言う教えは、キリストも釈迦も言ってないはずなので、それは嫌だなーと思ってしまいます。

それで既成の宗教には魅力を感じない、新興宗教はもっと危ないから怖いと考えていました。

自分に一番近い宗教があるなら、アイヌ民族やネイティブアメリカンのアニミズム(=自然崇拝)かな…。朝日や山や海や雪原には自然に畏敬の念を感じますから。

それで質問してくれた外国人の方には
「お葬式で家族が困るといけないので、死ぬまでにどの宗教がいいかたくさん勉強してから決めたい」
と言ってしまいました。

その外国人の方は熱心なイスラム教信者の方だったので
「カタログで洋服を選ぶように、宗教を選んではいけない」
と叱られました。


「信じないのは自由だけど、他人の宗教(=習慣)を見下したと思われてはいけない」と学びました。

44さんのレスを読んで当時のことを、改めて思い出せました。

他人のやり方も尊重しつつ、自分の気持ちに寄り添うやり方(生き方も葬儀も)があみ出せると良いなあと、感じました。

ありがとうございました。




No.47 14/01/11 09:23
名無し0 

>> 45 そういうお葬式は良いと個人的には考えます。 ただ一点だけ…。 私の友人が2年前に急死したのですが、その時のお葬式が…5分のお別れの会のみ。… 再レスをありがとうございました。

それはあまりにも無味乾燥と言いますか、辛いお別れでしたね。

「友達や遺族が満足できる時間と、その後に何らかの形でお参りができる場所は、確保した上で、自由な形態のお葬式」が良いと言うご意見はその通りだと思いました。

14さんのレスを読んで、葬儀の役割や目的について、改めて考えさせられました。

生前葬のように死に行く(予定の)人が自分の葬儀をイベント企画して楽しんだり
生きている内に家族やお世話になった方にお礼を言う目的もありますが

やはり遺された友達や家族の心のケアも大事なことですよね。


先日、夫の部下の男性社員(40代独身)が亡くなったのですが、葬儀自体がなかったそうなんです。

私はてっきり私と近い考え方で、葬儀に使うお金をあしなが育英会やフォスタープランなど慈善団体に寄付したのかと思ったのですが、違いました。

ご両親もご兄弟も健在だったのですが、誰もが極端に経済的に逼迫していたのが葬儀をしない理由だったそうです。

夫は部下だった故人が闘病中、激務の間も徹夜明けでも
何度か見舞い、会社からの手当金も満額出るよう頑張って総務と掛け合い(故人が中途採用で、勤務期間が不足していたそうです)、
亡くなった後も会社とは別に自腹で香典を持ってお悔やみに行きました。
ご両親に渡せて良かったけど、葬儀をやらないと聞いて驚いたと言っていました。
「あの子は焼いておしまいです」
と肩を落としたお母様から言われ、何も言えなかったそうです。
もちろん塩も精進落としも香典返しもありません。
それより、お母さんは本当は息子の葬儀をやりたかったのに、できなかったなら残念だなあと言っていました。

ただ心をこめて写真に手を合わせてきたとも言っていました。

お金をかけた葬儀より故人や遺族が心をこめて手を合わせられたら、それでいいような気持ちもしました。

ついイベント化した葬儀はお金を何にかけるかを考えてしまいますが
お別れの場として、参列者の心が寄り添う集まりにできれば、それが一番良いのかも…と考えました。

14さんのように故人を慕うひとが、少しでも心を癒せる場所にできたら良いのかも知れません。

私が持てなかった見地を14さんがご指摘くださったおかげで、更に考えを深められました。
ありがとうございました。



No.48 14/01/11 20:12
ぎゃりーばびゅばびゅ ( 30代 ♂ yu20j )

>> 30 悪魔崇拝って面白かったです😂 しかしなぜ、どこから悪魔なんでしょう? すまん!返レスあったの気付かんかったわ。
ふざけてると思われてスルーされたかとw

例えば、古代諸民族の男神や女神などの神々を比較してみると、著しい類似性のあることが容易に認められると思うが、その類似性が偶然に生じたとはまず考えられん。

このことに関して考古学から導き出される事は、

エジプト人,カルデア人、フェニキア人、ギリシャ人、及びローマ人だけでなく、インド人、中国やチベットの仏教徒、ゴート人、アングロサクソン、ドルイド、メキシコ人やペルー、あとはオーストラリアの原住民と、また南洋諸島の未開人でさえ、人々の宗教的な概念は

『全て共通の源』

または共通の中心地に由来しているに違いない事を明らかにしている!

どこでも、典礼、儀式、習慣、伝承、及びそれらの人々のそれぞれの『男神』や『女神』の名前や関係には極めて驚くべき種々の『一致点』が見られる。

歴史の根拠は、大洪水後の

『偽りの宗教』

的な概念の発祥地が『シナルの地』であったことを指し示しているんだが、

『バベルの都』と偽りの崇拝のために使われたジッグラトであったと考えられる『バベルの塔』の建設は、

『真の神に敵対する力ある狩人』

であった

『ニムロデ』の指導のもとで始まったとされている。

建築者たちは神に誉れを齎す為ではなく、自分たちの為に

『名を揚げたい』

と考え、自らの栄光を讃える為に、その建設計画に着手していて、

また、それは人類を地に広がらせようとする神の目的に真っ向から逆らうものだったらしい。

神はそれら建築者たちの言語を混乱させ、その計画を挫折させ、もはや互いに理解し合えなくなった人々は、やがてその都市の建設をやめて、散って行く事になる。

が、ニムロデはバベルにとどまり、領土を拡張し、最初の

『バビロニア帝国』を創設したんだよね。

で、散らされた人々は、どこであれ自分たちの偽りの宗教や儀式、風習を携えて行き、新たな用語や新たな言語を使い、また新たな場所でそれぞれの宗教を奉ずるようになった!

てわけ。

因みに、人々が散らされたのはいつか?というと、ペレグの時代だ記録されてる。

  • << 50 あらゆる民族がもともとは一つの集団から派生したと言う、48さんが紹介してくれた説に賛成します。 20万年前にアフリカに存在したミトコンドリア・イブの話を思い出しました😃 1987年、アメリカのアラン・ウィルソンらは、ヨーロッパ、アフリカ、アジア、オーストラリア、アメリカの147人のミトコンドリアDNAを使った調査の結果を公表しましたね。 その結論は、これらすべての人々が約20万年前のアフリカにいた女性ミトコンドリア・イブの子孫であるという衝撃的なものでした。 「すべての人類の母方の家系をたどると、約20万年前のたった一人の女性ミトコンドリア・イブにたどりつく」ということです。 ですから48さんが書いてくれたように、あらゆる民族の神様の類似性を帯びるのは偶然ではないと私も思います! だって、20万年前までは同じ集団だったなら、同じ記憶を子孫に伝えていて不思議はありませんものね。 また「悪魔」が絶対的な悪だと言うのは正確ではないのではないかなーと考えています😊 神🆚悪魔をイコール、善🆚悪に置き換えするのは、あまりにも短絡的だろうと。 ある時代のある地域にA民族と彼らが崇拝するa神がいたとして 数百年あとの時代にb神を崇拝するB民族に侵略されたとします。 B民族は征服したA民族のa神を悪魔として信仰を禁じるかも知れません。 一神教であるユダヤ教やキリスト教が悪魔の設定を聖書に作ったのはそんな歴史的背景があったからかも😁 自分たちのb神を主神として、a神を妻や子供に見立てたり眷族としての信仰なら許可するかも知れません。 ギリシア神話やローマ神話など多神教はそんな歴史があるため、神様がたくさんいるのでしょう。 宗教の歴史はそのまま人類の歴史と重なるわけですから、48さんのように私ももっと勉強したら面白いだろうなあと考えていますo(^-^)o

No.49 14/01/11 20:20
主婦49 

素直にお清めに使います。
袋を見たら非食品と書いてありました。

  • << 51 「非食品」の表示がないか、今度よく見てみます。

No.50 14/01/11 21:57
名無し0 

>> 48 すまん!返レスあったの気付かんかったわ。 ふざけてると思われてスルーされたかとw 例えば、古代諸民族の男神や女神などの神々を比較してみると… あらゆる民族がもともとは一つの集団から派生したと言う、48さんが紹介してくれた説に賛成します。

20万年前にアフリカに存在したミトコンドリア・イブの話を思い出しました😃

1987年、アメリカのアラン・ウィルソンらは、ヨーロッパ、アフリカ、アジア、オーストラリア、アメリカの147人のミトコンドリアDNAを使った調査の結果を公表しましたね。

その結論は、これらすべての人々が約20万年前のアフリカにいた女性ミトコンドリア・イブの子孫であるという衝撃的なものでした。

「すべての人類の母方の家系をたどると、約20万年前のたった一人の女性ミトコンドリア・イブにたどりつく」ということです。

ですから48さんが書いてくれたように、あらゆる民族の神様の類似性を帯びるのは偶然ではないと私も思います!

だって、20万年前までは同じ集団だったなら、同じ記憶を子孫に伝えていて不思議はありませんものね。


また「悪魔」が絶対的な悪だと言うのは正確ではないのではないかなーと考えています😊

神🆚悪魔をイコール、善🆚悪に置き換えするのは、あまりにも短絡的だろうと。

ある時代のある地域にA民族と彼らが崇拝するa神がいたとして
数百年あとの時代にb神を崇拝するB民族に侵略されたとします。

B民族は征服したA民族のa神を悪魔として信仰を禁じるかも知れません。
一神教であるユダヤ教やキリスト教が悪魔の設定を聖書に作ったのはそんな歴史的背景があったからかも😁

自分たちのb神を主神として、a神を妻や子供に見立てたり眷族としての信仰なら許可するかも知れません。
ギリシア神話やローマ神話など多神教はそんな歴史があるため、神様がたくさんいるのでしょう。


宗教の歴史はそのまま人類の歴史と重なるわけですから、48さんのように私ももっと勉強したら面白いだろうなあと考えていますo(^-^)o


  • << 54 よく『ミトコンドリア・イブ』 なんて言葉を知ってたね。 ミトコンドリアDNAを分析した結果、人類がただ一組の男女から生まれた事実は、殆どの科学者の一致するとこではあるが、この事から判る通り、ミトコンドリア・イブそのものから、何かが発生するわけではない。 さらに、アフリカが人類の発祥と言われて『いた』が、今の科学の常識はそれを間違いだとしている。 その証拠となる幾つかの根拠も発見されてるんだよね。 人類‥つまりホモ族が誕生したのは今から6000年前。 それ以前の人類の祖先と言われてきた類人猿は、人間とは全く別の絶滅種。 ミトコンドリアDNAというミクロな根拠が、ダーウィニズムを覆してる。 今更、化石といったマクロな物体を持ってきたところで、全く意味をなさない。 つまり、進化論でいうとこの命の樹を意味する 『ミトコンドリア・イブ』 という発想も、正確なものではないだろうな。 それを受け入れるなら、カンブリア爆発という最大の壁‥というか、矛盾にぶち当たる事になる…………つか、スレの趣旨からズレたが、このレスを基準とするなら、バビロニアでの宗教の始まりが、文字通りの 『悪魔崇拝』である事を裏付けられる。 いやぁ、歴史っておもしろっw
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