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⛅ 段駄羅坂の夕陽 ⛅

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帽子屋( VCiyxe )
15/04/18 22:36(更新日時)



真夜中の退屈しのぎ
退屈は耐え難い

けれど、面倒事も苦手だ

ここは、
私が好きな時に、
私が好きな事を
私が好きなように書き残す場所

悪いが…、
面倒事を避けたいので
レスは不要


気が向いた方々は
見物して行っておくれ


いつかあなたと
夕陽を眺めよう


では
よろしく





No.2011454 13/10/10 03:00(スレ作成日時)

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No.1 13/10/10 03:06
帽子屋 ( VCiyxe )



天が下のすべての事には季節があり、
すべてのわざには時がある。
生まるるに時があり、死ぬるに時があり、
植えるに時があり、植えたものを抜くに時があり、
殺すに時があり、いやすに時があり、
こわすに時があり、建てるに時があり、
泣くに時があり、笑うに時があり、
悲しむに時があり、笑うに時があり、
石を投げるに時があり、石を集めるに時があり、
抱くに時があり、抱くことをやめるに時があり
捜すに時があり、失うに時があり、
保つに時があり、捨てるに時があり、
裂くに時があり、縫うに時があり、
黙るに時があり、語るに時があり、
愛するに時があり、憎むに時があり、
戦うに時があり、和らぐに時がある。
働く者はその労することにより、なんの益を得るか。

わたしは神が人の子らに与えて、ほねおらせられる仕事を見た。神のなさることは皆その時にかなって美しい。

神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。それでもなお、人は神のなされるわざを初めから終わりまで見きわめることはできない。
わたしは知っている。人にはその生きながらえている間、楽しく愉快に過ごすより他に良い事はない。

またすべての人が食い飲みし、そのすべての労苦によって楽しみを得ることは神のたまものである。

(旧約聖書
伝道の書3.1―3.13)



No.2 13/10/10 04:13
帽子屋 ( VCiyxe )



小さい頃、母は血清肝炎で毎日寝込み、夕方、次々と友達は母親が公園に呼びにくる

その中で、朱にそまる団地をブランコに乗りながら眺めていた
呼びにくる母はいない

代わりに、すっかり暗くなった頃、会社帰りの父が、決まって静かにとなりのブランコに座った

言葉はない

ただ朱に染まり、紫になり、暗くなったブランコで、静かにブランコをこいだ


父なりの愛情だったのか、それともかける言葉が無かったのかは知らない

団地の子供たちは、誰でも仲間になる
その最後にいつも残っていた


寂しかった


当時は、片意地を張って平気なふりをしていた

ずっとだ

父が死ぬまで片意地を張っていた

出来損ないの息子と遺書には書かれていたが、今更、もう分かってもらう事もない

葬儀で喪主を務めた後、これでも出来損ないと言うか?父に聞きたかった

飲んだくれの父
葬儀後、あちこちでお酒をご馳走になっていた


親の期待になぞ、答えられる訳がない

子供には、子供だけの人生があるのだから



だんだらというのは、だらだらとした道を言う

だらだらと生きていく

それが自分だけの人生だろう




さて眠いな

おやすみ


良い朝を



No.3 13/10/10 21:43
帽子屋 ( VCiyxe )



歳かな、子供の頃の事を最近よく思い出す


小学校2年生の時に、母は病気で半年ほど入院した

私は夕方まで、学校の保育室に預けられた
そこには、両親がやはりいない子供たちが何人も預けられていた

ある日、校庭で遊んでいた時、いきなりの土砂降りで、校庭にあった山にある土管の中に友達と避難した

雨は降り止まず、話すこともなく、ただ雨を眺めていた

その子はとりたてて親しかった訳ではない
子供の頃は、誰でも友達になれた

団地や学校

私は苛められていたが、あまり意に介さなかったので、知らぬうちに周りには同級生が集まってきた

その子は、1年の頃からずっと保育室に預けられていた

初夏だったが肌寒く、身を寄せ合って土管の中から土砂降りの雨を眺めた

何故か、その子が泣いているように感じて、お互いに顔は見なかった

その後のことは覚えていない

父は、保育室から私を連れ出し、代わりに家には知らない大学生が家事をしに来るようになった

どちらでもよかった

保育室にいる仲間も、団地の仲間も、誰でも仲間だった

年長の子は当たり前のように年下の子の面倒をみたし、自分より年下の子は当然、面倒をみた


今から思えば、あの大学生が本当にアルバイトで来ていたのかさえ分からない

もしや、父の愛人だったのかもしれないとも思う


父は、背の低いあまり目立つ存在では無かったが、孤児だったので愛嬌のある人だった


今となっては過去の話は闇の中

まあ、暴いたとしても、意味のない事だしね(笑)


ちなみに、彼女の作るご飯は、あまり美味しくなかった

それくらいしか覚えていない


ああいう団地が今でも残っている事を願う




No.4 13/10/10 21:56
帽子屋 ( VCiyxe )



自然に生きて行きたいね

自然体で生きて行きたい



難しい事なのは分かる

ただ、躾や子供の頃のトラウマなどの呪いを解いて、自分自身を生きて行けたらそれが一番だろう?


マイペース

というレッテルは、まあ、勲章として頂いておこう



では

よい夜を



No.5 13/10/11 21:50
帽子屋 ( VCiyxe )



母のことを話そうか


母は、我が儘な人だった

明治生まれの大工の頭領の娘で、上には腕っ節のいい兄貴が2人いた

父から聞いた話しによると

学校で忘れ物をして先生に軽く頭を叩かれる
それだけで、えーん、と泣いて家に帰ってしまい、父(私の祖父)は、お前は悪くない、嫌なら学校に行かなくていい、と叱らなかった

近所の子供に苛められる、今度は兄貴たちに泣きついて懲らしめてもらう

向かうところ敵なしのお嬢さまだったらしい

それが災いして、根っからの男好きに育った

高校生の時に、はじめて彼女らしき人ができた時は怖かった

ちょうど精神科にかかって逃げ帰った時期で、夜中でもふらふら出掛けてしまう

父は仕事で居ない

仕方なく、母の後をついて歩いた


夜道を帰る時、彼女は振り返り、私の唇にふれてこういった

この唇にキスしたがる女がいるのよね

気持ち悪い瞬間だった

母の奇行はいろいろあるが、子供の頃はまだましだった

ピアノの教室に送り迎えしてくれ、帰りには童謡をよく歌ってくれた

多分、幼稚園の頃だ



父と母の教育方針が違ったため、よく怒鳴りあいの喧嘩をしていて、そのたびに腹痛をおこし救急車で運ばれた

今でいう精神的胃腸炎のようなもので、救急車に乗ると治まってしまった


嫌いではない

だが苦手な人だった



親が子供に過大なる理想をおしつけることが出来ないように、子供も両親を選ぶ事も理想を押し付ける事もできない

ただ、まあ…
8時だよ全員集合を見た後、窓から遠目に見える花火は綺麗だった

そんな思い出があれば、なんとかやって行けるものだ


あまり悲観的にならないように


では

良い夜を


またね



No.6 13/10/11 21:52
帽子屋 ( VCiyxe )



猫好きさん

まあ、私はなんとかやっているよ

心配をありがとう


身体を労るんだよ


おやすみ



No.7 13/10/13 22:33
帽子屋 ( VCiyxe )



申し訳ない

なんとなしに疲れてしまって、休むよ


あたたかくしておやすみ



良い夜を



No.8 13/10/14 00:20
帽子屋 ( VCiyxe )



そう、彼は私と暮らしていたマンションの部屋の前から飛び降りた

自殺未遂はそれまでに2回

男は自殺未遂を繰り返すのだそうだ


最初は入水自殺
彼は泳げなかったので

2度目は両手首を切った
真冬の寒い日で、出血多量と低体温で、あと数分遅ければ死ぬ所を助けられた

この時に精神的にかなり病んでしまい、私が引き取り、自宅での仕事に切り替えて約二年ほどそばにつきそった

3度目
これは、暴力が酷くなり、私は彼を置いて引っ越した
とてもそばにいられる状態ではなく、精神病院に入院している間に私だけ引っ越してしまった

彼は生活保護が決まっていたが、誰も居なくなり、自殺の衝動に耐えきれず飛び降りてしまった


殺したのではないかと、今も思う
しかし、自分の身の安全を守る事が悪いのか分からない


Rahzelには、保護命令を出していた

私が駄目なら彼女につきまとうのは分かっていたので



精神科でRahzelのPTSDの診断を聞いた

何もできない状態だった



間違えがないのは
私たちは、彼を愛していた
それでも、どうにもならなかった


詳しい話しは省いた
それが事実だよ


誰が責められるだろう?


安らかにおやすみ



No.9 13/10/14 00:39
帽子屋 ( VCiyxe )



さて、寝ぼけてきたぞ


私には、何故同性を愛してはいけないかが分からない

結婚は今はもう考えていない
子孫を残す気もない

ならば、異性であろうが同性であろうが、私にはその人なのだ
身体ではない
魂を愛する




No.10 13/10/16 00:33
帽子屋 ( VCiyxe )



台風だね
暴風雨地方の方々は大丈夫かな?

関東は、梅雨に降らなかった雨が今更降っているようだ


しかし明日は車の6ヶ月点検
うんざりなんだが仕方がない


こんな日には、子供の頃に土砂降りの中を1人帰った道が思い出される

周りの子たちは、心配した親たちが迎えにきていた

うちは、放任主義でかつ教育主義だった

ピアノ、絵画、そろばん、書道に通っていて、夜は父が家庭教師で、長い物差しを片手に正座で朗読をさせられた
身動きをすると容赦なく叩かれた

父の言い分は
天皇陛下は何時間でも身動きせずに起立している
そのようになりなさい

まあ、昭和初期の生まれの父だからの考えだったのだろう
本当に天皇陛下がそのようにされていたかは知らない


ピアノを弾く隣でも物差し
そろばんも物差し
さすがに、書道と絵画に物差しはなかったが、絵画教室でスケッチに行くと、ついて来て本を読んでいた

つまり、書道と絵画は母の意向で通わさせられていたのだろう

子供の頃はつまらなかった
団地の仲間と遊ぶ方がよほど楽しかったからね(笑)

けれど、今はそれも感謝している

たいていの曲は弾けるようになったし、絵も描けるようになった

既に数年やっていないので、今は軽くしかできないが

それでも、簡単な曲なら数回聞いただけで譜面が書ける
そういう教育を受けてきたからだろう

残念ながら、そろばんと書道は物にならなかった

国語科の教員免許のために、何時間か書道はやったが、見るのは面白くとも、書くのはまるきり



子供は自由に

とも思う、けれどうちの両親のように、何か身につくように、もありだろう


ただし、器用貧乏になる


もしお子さんに何かを仕込むのなら、何かに絞ることをお勧めしておく


親に刃向かった時にはシステム屋になるしかなかった
が、結局は投資家と不動産屋を掛け持ちするはめになっている

賢い友人たちは、子供の頃から夢見た職業に就くため努力している

私のような風来坊を作ってはいけないよ



雨音が激しいね

充分に暴風雨には気をつけて



良い夢を



No.11 13/10/16 01:23
帽子屋 ( VCiyxe )



メモ書きとして書き残そう


私は、彼が死のうと思って自殺したのだとは、実は思っていない

友人と話していてその考えが正しいように今は思っている


彼は強い向精神薬がいくつも出されていた

その薬が、彼を殺したのだと思っている


向精神薬からの離脱症状に自殺衝動というのがあるのはご存知だろうか?

私もあまり知らなかった

薬に詳しい友人に指摘された


彼の場合、暴力的になるため向精神薬で抑えるようにしていたが、きちんと薬を飲んでいなかった

更に、薬を飲む時間もあいまいだった

それによって更に暴力的になり精神病院に入院し退院したが、退院後は生活保護の為、決まった病院に行くしかなかった

彼と連絡をとっていた最後、薬を出してもらえない、とかなり怒っていた

薬が無ければ当然、離脱症状が起こる

衝動的に飛び降りたのだと思う

何故なら、それまでの自殺未遂では、遺書を残していたが、今回はなかったからだ


離脱症状は禁断症状に似ている
多量の向精神薬を飲んでいたのが一気になくなれば、当然禁断症状が起こる


薬が彼を殺した


と今は思っている


向精神薬を飲む方々の全てに当てはまるとは言わない
私も睡眠薬中毒だ

だからこそ、止めて行くときには気をつけてほしい

自己判断で飲んだり止めたりしないこと
必ず医師や薬剤師に相談をすること


向精神薬の被害を減らす為にも、充分気を付けて欲しい




No.12 13/10/16 01:26
帽子屋 ( VCiyxe )



暗い話題しか出せないな

申し訳ない


ゆっくり休もう




おやすみ



No.13 13/10/16 01:42
帽子屋 ( VCiyxe )



…こちらも古い一軒家だが…
台風で家が揺れて感じるな


皆さま、気を付けて




No.14 13/10/16 02:49
帽子屋 ( VCiyxe )



台風のせいで気持ちが落ち着かないな

昔、塾で行った合宿でのキャンプファイヤーの話しでもってしようか

塾の合宿は熾烈だった
朝食前に抜き打ちテスト
朝食後に授業があり、昼食後に一時間自由時間、その後はまた授業
夕方に試験があり、毎日の試験の順位が翌朝の朝食後に発表された

とはいえ小学生だ、自由時間にはとんでもない遊びをしていた

今から考えればとんでもないし、やりたいとも思えないが…

当時行った合宿所の近くにはすすき野があって、夏の終わり頃だったので、トンボが山ほど取れた

そのトンボの羽を半分切り、部屋に放つ
そのトンボを帽子でたたく

…残念ながら?参加はしていない

そういう遊びには興味がなかったので、他の子たちが熱狂している間、担任だった女性教師に、はじめてウィンナー珈琲というのをご馳走になっといた

…帰った部屋はトンボの死骸だらけで幻滅したのを覚えている

さて、キャンプファイヤーは最終日の夜にあった

先生方が劇をやってくれた
大変、つまらなかったが、今でも忘れられない

その劇は、仲間で登山をするが途中嵐にあって、仲間を助けながら山頂に向かうといった内容だった

先生方は地面にはいつくばり、山の斜面に見立てて、滑り落ちないよう仲間を紐でしばってほふく前進を続けた

キャンプファイヤーは赤々と燃えていて、静まりかえった中、先生方はお互いに声をかけあって進んでいった

最後に頂上にたどり着いたのか、下りたのかはどちらも地面なので分からなかったが、多分頂上だったのだろう


小学五年生のそんな記憶に残る劇とは思わなかったが、何故かキャンプファイヤーを見る度に、先生方が地面をほふく前進していた姿を思い出す

思えば、あの時はつまらなかった記憶でも、大人になってから心に残っている記憶というのもあるものだ


今の子供たちに、そんな思い出のあることを切に願う




と、家は大丈夫かね
かなりの台風だな


さて、ほふく前進でも思い出しながら寝よう
多分、先生方の設定はこんな台風の登山だったろうから




No.15 13/10/18 01:41
帽子屋 ( VCiyxe )



主人の上で寝る猫は、主人より自分を上に見ているのだそうだ
まさに、うちの猫のこと

眠るまでじっと待っていて、眠ると人の上にのぼる


肌寒い日が続くようになり、猫の要求も増えた

ストーブを点けろ

ストーブを点けろ

ストーブを点けろ



点けるまでクレームを言い続け、足に抱きつき、よそへ行かせてくれない

かわりに機嫌の良いときは、遠慮なくお腹を見せて転がる


お互いにお互いの生活にはあまり干渉しないが、お互いに居ないと姿を探す


猫とは、程よい距離感を持って付き合える家族のようなものだ


ありがとう、優しい人


ゆっくりおやすみ



良い夢を


No.16 13/10/22 03:18
帽子屋 ( VCiyxe )



オリンピック開催が決まったとはいえ、あまりに日本は脆弱ではなかろうか?

ある雑誌で、まだ原爆実験が禁止されていなかった頃に行われたソ連の実験場の記事を読んだ

ガイドは、参加者の靴にカバーをつけ、マスクをつけた

そこは今は静まり返った草原になっている

だが、広島の原爆の400倍にもあたる原爆実験が行われ、今も土壌は放射能を帯びる

当然、住める場所ではない

記者が落としたペンは、触らないために諦めるよう言われたそうだ

オリンピックは決まったが、では日銀の行く先は?原発の後処理は?

観光国となるために浮き足立つのはいい

その前に、片づけなくてはならない問題は山積みではなかろうか?


この長雨で原発の貯水タンクから漏水が認められたら
海水に影響はない、の言葉を誰が信じるだろうか?

日本にはかつてのソ連ほどの土地もない
代わりに海が国を守る

その海をどこまで守るつもりがあるのだろう?


オリンピックもいいが、税率を上げるのなら、まずは東北復興に力を入れるべきでは?


国会答弁をたまに聞くが、どこかちぐはぐで現実とずれている気がする



日本に平和を




No.17 13/10/28 18:19
帽子屋 ( VCiyxe )



気持ちが鬱いでいる

死なないように
死なないように、守ってきた

が、助けられなかった

早くに薬に気付いていたら
もっと出来る事はなかったのか

ただ、包丁を向けられる事が多くなり、手に負えず病院に任せるしかなかった

それでも、一時的に安定しただけで、治る事はなかった



置いていくこと

それは彼が一番恐れていた事だったろう

実の母親に幼い頃置いていかれて義理の母に苛められて育ち
甘やかして育ててくれた祖母は認知症で親戚を荒い回しにされ、最後は施設で息を引き取った

誰かにそばに居てほしい
その気持ちが依存から暴力になった

甘やかされなければ、暴れるようになってしまった


自立して欲しくて、手を離した

判断は謝ったが、他にはどうしようもないところまで来ていた


彼は、本当は優しい奴だった


居なくなって、私も悔しい





No.18 13/10/28 18:28
帽子屋 ( VCiyxe )



暗い話しか書けないのなら、書かない方がましだとROMに回っていたが…


悪いことをしたようだね


また気紛れで更新をしよう



せっかくなので、伝言板を使わせてもらおう

私でよければ、気楽に話しにきて欲しい



ではまたね


No.19 13/10/29 02:30
帽子屋 ( VCiyxe )



ひとつだけ白状しておこう


帝さま

きっとご覧になっていると思いながらこれを書きます


このスレの名前は、実は帝さまが書いてくれた短編に由来します

ただ、帝さまの書かれた小説は色がなく寂しかった

だから、私はそこに夕陽を照らしてみました


お身体は大丈夫でしょうか?



サミー殿ももう話す機会はありませんが、夜通し楽しんだあの頃を、今も懐かしく思い出します


どうぞお元気でいらして下さい

Rahzelと散々からかってしまった事を、心からお詫び致します



では


No.20 13/10/29 02:50
帽子屋 ( VCiyxe )



歌留多ファンの方は、何故今回はこのスレに彼女が現れないか疑問に思っているだろう


簡単な話しだ

一年の冬眠でお互いにここを介さずに話しをする術と、お互いの生活を大事にする事を学んだ

彼女とは相変わらず喧嘩もするし、相変わらず話しもする

だが、ここで話す必要性が無くなってしまった

故に、ここは元来の私だけの戯れ言の場となった


歌留多と話したければ呼べばいい(笑)

歌留多を呼べば、歌留多が現れる

気がむけばね



私は私で、彼女を大事に想っている

彼女がどうかは、彼女に聞くしかない



喧嘩をするのは、お互い似たところがあるのかもしれないね


まあ、気が向けば、いずれ現れるだろう

お互い、ミクルから少し離れてしまったと解釈している



裸王殿との約束で、歌留多を連れて彼の所へ遊びに行かなくてはならないのは果たしたいがね(笑)



まあ、そういう訳だ


あしからず




No.21 13/10/29 03:12
帽子屋 ( VCiyxe )



懐かしい思い出を記そう


ある方と東京タワーに上った

不倫だった

彼女は京都の出身で、仕事の為に東京に来て、同じプロジェクトで出逢った

不倫と分かっていたので、気持ちを隠して彼女と接していた

彼女は京都の名家の出で、早くに見合いで結婚させられていて、恋愛めいた話はひとつもなかったそうだ

プロジェクトが終わり離れる時、初めて2人で飲みに行き告白された

迷いながらも流された

ただ、2人でどこかに行く度に彼女はこう言った

もう二度と私はここへは来ないだろうな

その言葉は氷の刃のように心に刺さった


言葉通り、彼女と二度同じ場所に行ったことはない


何年だろう?
私たちは遠距離不倫を続けた
仕事や週末を利用して私たちは数時間の逢瀬をくりかえした


そして別れた


別れは私からだった
彼女にご主人の子供ができた
その時、家庭を大事にする母になって欲しいと願った

分かっては貰えなかった

何度も何度も彼女からの連絡は続いた

すべて出なかった


そうして彼女と別れ、彼女は家庭に帰って行った


今は、実は気楽に話しができる友人になっている
だが、携帯の番号はお互いに知らせていない

ただのメール友達に私たちはなった



変なもので、私は別れた恋人たちと友人関係を続けている

お互いを理解し合えるよい友になれる


私が甘いのかもしれないね


ただ、もう二度と2人で歩く事はないだろう
それが唯一のけじめだ



最愛の人だった

だからこそ、幸せになって欲しかった



今、彼女は幸せだろうか?
たまに考える

それも、もうお互いに問いかける事はない


若気の至りの思い出だ



さて、そろそろ休もう


良い夢を


またね


No.22 13/10/29 04:45
帽子屋 ( VCiyxe )



談話室、バトーるがまだ使えるようなので、伝言板でも気楽な所をお使い下さい

談話室
http://mikle.jp/thread/1836671/

バトーる
http://mikle.jp/thread/1824219/


まあ、気楽に行きましょう

次第に私もペースが戻ると想いますので


よろしく


No.23 13/10/29 05:07
帽子屋 ( VCiyxe )



明日は午後からなので、久しぶりに夜通し話しをするかな


うちの猫は以前に話した通り、ペットショップでひたすら私を見詰めていて、帰るときに呼び止められて買った姉妹のお嬢さまなんだが…

左利きだ(笑)

初めて抱き上げたときも、左手だけが止まって浮いていた

喧嘩遊びをする時も左手がまずでる

扉を開ける時も左手…
なんだが、右手でないと開けるのが難しい扉がこの家にはある

たいていの扉には画鋲やらネジで輪ゴムをかけて、扉が完全に閉まらないようにしてあるが、右手を使わなければいけない時だけ必死になる

かわいいので眺めているのは意地が悪いかな?

けれど、そうして猫は学習して行く


主人が朝は寝起きが悪いのも知っていて、以前は布団を掘ったが、最近は健気な声で呼ぶ


Rahzelのところの猫と姉妹なので、おそらく性格は似ているだろう

どちらも、主人を家来と思っているふしがある

そして、気に入らないと左手がでる


が、歌留多が来た時に縄張りを主張したのは申し訳なかった

常に猫と2人きりなので、客人に慣れていなかった

大きな猫なので、怖い思いをさせたろう…

次に来るときに少しでも慣れていれば良いのだが



さて、左利きの猫の話しはこれくらいに


少しは休もう



また気紛れで来るよ
すまないね




No.24 13/10/30 02:11
帽子屋 ( VCiyxe )



だらだらと昔話しを続けよう


彼女と始めて出掛けたのは上野の公園だった

初夏だったろうか
緑が綺麗だった

綺麗に晴れた朝陽に通り雨
傘をさしていた私の元に彼女は迷い無く飛び込んできた

すぐに上がった雨が恨めしかったね(笑)

いつまでも彼女の肩を抱いていたかった


動物園は好きだ

動物が本能だけで生きていると?
ならば、チンパンジーは本能で愛情を示すのかな?
鳥たちは、本能で鳥好きを選ぶのかな?

猫は?
話しはそれるが、野良猫に挨拶をするのが私は好きだ
視界に入った時に挨拶をする

それから、目をあわせずに近づく

これが出来ない男がいた
猫が嫌いだった訳ではない

だが人なつこい猫でさえ、彼の前では嵐を吹いた

何故か考えた

彼は、つまり、猫に苦手意識があって、猫に近づくときにやたらに緊張して、動きが堅くなる
それを猫は見逃さない

危ない奴

とお互いに思うのだろう
だから、いつまでたっても猫とは親しくなれなかった

今は14歳下の妻君を娶って、犬を飼っている


さあ話しをもどそう

緑の光る雨が降る中を彼女は走ってきた
白地のワンピースに濡れた髪
幽かに香る香水の香り
確信犯的に肩を抱いて動物園を回った

動物好きの彼女は、ヤギにワンピースを喰われそうになったりしていた

ポートは、私が漕ぐというのに、頑として譲らないので、仕方なく足漕ぎのポートに乗った


彼女の事なら、昨日のように何でも思い出せる


京都から来た彼女には東京の蕎麦汁の黒さが衝撃的だったそうだ

料理は彼女もしたが、一人暮らしの台所は慣れないと使いにくい

彼女の為に、私が作る料理はどんどん薄味になった

実家で生きていた両親が、味がない、と全て捨てるほどに


東京の料理は醤油がきつい

世話をしていた男は金沢の出だったので、さらに私の料理は出汁メインの料理になった


ただし、大阪の男…思い出したくない失点だが、遊びあるいていた時期もあるのだよ(笑)

大阪の男は、なんでもバターと醤油、ソースで、料理は旨かったが味はかなりきつかった


彼女は、私の全てを受け入れてくれた


…懐かしい思い出だ


死ぬ時に思い出す人を生涯で一番愛していたのだという話しがある

私は一体、誰を思い浮かべるのだろうね?



No.25 13/10/30 02:19
帽子屋 ( VCiyxe )



どれだけの恋人たちと付き合ってきたか?


…まあ内緒だ(笑)



今は、歌留多とじっくり、喧嘩なぞしないように付き合って行きたい


無理をお互いにしあうと喧嘩になる
あたり前だが…


いかに自然に付き合っていけるかを考えているよ



ちなみに、過去の話しは話してあるので、喧嘩にはならないはずだが…



私を魍魎にしないでおくれよ(笑)



ではおやすみ


良い夢を



No.26 13/10/30 02:23
帽子屋 ( VCiyxe )



こちらにも書いておこう


私の不在中
Rahzelをかわいがって下さった方々に、心から感謝致します


こちらではすれ違いが多いし、あまり絡みはないのですが、留守番をやりとげてくれました


あとは彼女の自由に楽しめたら良いと思います



No.27 13/10/30 04:26
帽子屋 ( VCiyxe )


寝付けないな

トラウマの話しをしよう


私の中学は埼玉だったが、通常修学旅行に京都奈良が普通だった

ところが先生方と生徒の希望で、私たちの代から広島への修学旅行が決まった

それは大変な事だった

一年生の頃から修学旅行実行委員が決まり、広島についての勉強会が始まった

講演会、研究発表会、など
二年間びっしり予定が組まれた

はだしのゲンは未だに私はまともに見られない
研究会のメンバーだったので、休日も返上して講演会の音起こしをした

ひたすら聞いて、文章にまとめるのだ

そうして広島へ修学旅行へ行った

この頃、私は戦争に心底怯えていた
講演会の視界を全校生徒の前でできても、頭上を飛行機が通るたび、何処かへ逃げて隠れたくなった

広島は暑かった

道に迷い、道を尋ねた老婆は生粋の広島弁で、全く話しを聞き取ることが出来なかった

当時の仲間とは、それでも感動して、また大人になった時、一緒に来ようと約束した

しかし、私は引越し族だったので、当時の仲間が今どこにいるかも分からない

ただ、飛行機が通ると隠れたくなるトラウマだけが残った

奇なもので、道を聞いた時のそばに今歌留多は住んでいる
偶然もあったものだ


懐かしの広島

3年間、必死で研究会を続け、講演会では、被爆酒の会の方に講演をお願いした街

日本はそこそこ平和だが、私の脳裏には、焼け野原が焼き付いている


本当の平和の為に、忘れてはならない光景だと今も思う


さて、猫と平和を満喫しよう


おやすみ


良い1日を



No.28 13/10/31 03:01
帽子屋 ( VCiyxe )



さて、歌留多を捕まえて猫の話しを聞いたのはいいが、夜中になってしまった


どうやら、私の声は眠気を催す声らしいのだな(笑)

昔も友人と話していると、そのまま寝落ちされた


遅くまですまなかったね

ただ、どうしても、聞いてみたかったんだ

信頼、について


人それぞれなのは分かっているつもりなんだが、君の気持ちを聞きたかった

私は基本的に誰でも最初から信じてしまうのが悪い癖だ

だから、我が儘になる

それが、君を混乱させてやしないかをずっと考えていた



まだ、答えは出ないね

君のせいじゃない

私のせいだろう、多分



ゆっくりおやすみ

今夜はありがとう


またね



No.29 13/10/31 22:06
帽子屋 ( VCiyxe )


たまには早寝をしよう

せっかく伝言板で神さまの話しが出たので、何故そんな話しに思い至ってしまったかを書こうか

私は今年44になった早生まれだが、同級生で5年前にやっとお子さんを授かった友人がいる

彼女は、約8年前、子宮外妊娠で死にかけた事がある

勤勉な方で、最近太ってきてズボンのウェストが閉まらないな…と思いながら、仕事に出掛けた

午前中仕事をして、昼過ぎ
身動きが出来ない程の腹痛で早退を決め、これはおかしい、と、近所の婦人科へ行って検査したところ、子宮外妊娠が分かった

だが、病院は馬鹿で、では後日また来て下さい、と彼女を自宅に帰した

が、痛みはますばかり、意識も薄れて行く、それで慌てて実家に連絡して、産婦人科の大きな病院に救急で父親に連れていって貰ったところ、緊急オペになった

遅れていたら出血多量で死んでいたそうだ

そうして助かってからも、彼女はお子さんが欲しくて、ずっと頑張っていた

そして授かった

私も話しを聞いてすぐに、いろいろな出産祝いを贈った


だがその子は、彼女のアトピーを引き継いでしまい幼い頃から病院通いが続いた

ようやく皮膚病が落ち着いた頃、今度は知恵遅れが分かったそうだ

今は5歳だが、普通科の学校に上がれるかは難しいらしい


ところで、そんな苦労をしてきた彼女だが、優れた霊能者でもある

彼女は、護符を書くのが得意だった
ただし、彼女の場合、自分の生命を削って護符を書くため、滅多には書かないよう仲間内では忠告していた

ただ信心深く、毎年夫婦で泊まりがけで加持祈祷を受けに山に行っていた


そんな彼女だが、お子さんの事、旦那さまの事などもあり、最近話した時に、もう神さまは信じない、と断言するようになってしまっていた

それで話したのが、神さまの役職、という話しだった

彼女は言った、
居ないとは言わない、でも信じない
その言葉が哀しかった

私たちの中で、彼女ほど信心深い人はいなかったのだから


信じろ、とは言えなかった
信心による加護を失ったとしても、彼女には強い守護霊団が居るからだ
けして、彼らは彼女を見捨てたりはしない


では私は?
私は、役職付きの、厄介な神さまを信じている
何よりも、自らが感じる事を信じている
でなければ、死者に道を指す事など出来なくなってしまうだろから


ただ、いまでも変わらず、彼女は美しく輝いている


No.30 13/10/31 22:17
帽子屋 ( VCiyxe )



ところで、ミクルはとても便利だと、出産祝いを悩んだ時に思ったよ

なにしろ、全く子供にも出産にも縁がない


お悩みで、その時は多いにアドバイスをいただいた


タオルがいい、レトルトは助かる、服や子供用品はお下がりや、出産した友人から貰うこともあるし、新しく揃えたいかもしれない

などなど


結局、彼女がアトピーだったので、上質のタオルセットや簡単なレトルトのセットを選んで、かなりの大箱になってしまった

かわりに彼女は、上質な茶葉をお返しにくれた



あの時は、お世話になりました
多分、見も知らぬ男に出産祝いのアドバイスをくれる方々はここほどはいないだろう



明日から11月だね

今年も、あっと言う間に過ぎる
落ち込んでいる場合ではないとはわかってはいるが…



さて、今宵は早寝だ


皆さんは、楽しい夜を



またね



No.31 13/11/02 00:44
帽子屋 ( VCiyxe )



本日、接待帰りで、パス


すまないね

また明日



おやすみ

良い夢を


No.32 13/11/03 03:47
帽子屋 ( VCiyxe )



寝付けないな(苦笑)

歌留多に夜更かしはほどほどに、と言われているのだが


母が狐に化かされた話しでもしようか


私の母は昭和9年産まれだった
戦争体験者だ

ただ、裕福な家に育ったので、あまり悲惨な体験はない


ある時、母は母親に頼まれて夕方に買い物に出た

だんだん辺りは暗くなる
彼女はたいして怖がりだった訳ではない

霊能者の血は彼女譲りだからだ

彼女は買ったものと釣り銭を抱えて帰り道を急いだ

と、ふと見ると、今まで真っ暗だった川の向こう岸が真っ赤に燃えていた

慌てて帰宅を急いで、真っ先に父親にその話しをした

二人で見に行くと、変わらず静かな暗がりが広がるばかり


お前は狐に化かされたんだよ


と母親には言われたそうだ

ちなみに母はたぬき顔だ



その時の光景をずっと母は忘れずに話していた

狐が東京の街中にいたかは知らない

ただ、東京が空襲で焼けたのはその後だったが、どうだか


かわいい人だったが、わがままで私は苦手な人だった



未だに、真相は謎のまま

まあ、そんな事は数多い



永遠の謎にしておくとしよう




ではね



No.33 13/11/04 00:53
帽子屋 ( VCiyxe )



さて、私も放置していた実家に手を入れて越して来たわけだが

一軒家は一人で住むところじゃないね
広すぎるし、覗かれるし、喧しい
落ち着いたら、マンションに引越しを考えている

ところで、私の両親は引越し好きだった
と言うより、馴染まなければすぐに越していたんだろう
その為、おさななじみ、というのが居ない

お陰で私は引越し嫌いなんだ

だから、一時的に越してきたが、ここに居着く気が全くない

猫と暮らせるマンションを今から探している

前のところは良いところだったが、事件を起こしてしまっては、居着くことも出来ない

厄介なものだ

終の住処を見つけられるのはいつのことやら

私はただ、静かに暮らして行きたいだけなのだけれどね


洗濯物を見学されたり
居間を庭越しにのぞき込まれたり
下手をすれば、勝手に入ってくる奥さま方もいる

静かに暮らしたい

最低、猫とピアノと本があればいい


さて、早寝をしよう



おやすみ、優しい人

大丈夫だよ

貴女こそ、無理をしないように



おやすみ


ああ、良き妻さん
また明日ね



No.34 13/11/05 00:51
帽子屋 ( VCiyxe )



Rahzelの友人に、子宮頸体癌の方がいる

話しを聞いたことがあるが、人生を占って貰おうと手相見に行ったところ、

あなたは、自由に生きなさい

と言われたそうだ


生命線が短く、病気の相が出ていたらしい

それから彼女は保険に入って好きに生きて、リンパ節転移までの末期近い癌になり、今でも苦しんでいる

一寸先は闇

だからこそ、自分の密は自分で選ばなくてはならない
後悔しないためにも


私は後悔しどうしだ
自分で選んだのはSEだったが、父が死んでそうもいかなくなった

好きな道を選べる人は幸福だ


たいていは、仕方なくその道を歩いている


あたなの人生が、自由でありますように



おやせみ


またね


No.35 13/11/07 01:58
帽子屋 ( VCiyxe )



まだ小学生の頃、お正月の餅はお米屋から買っていて、母が包丁で切り分けていた

その端を切り落とし、細かくして油で揚げて塩をふる
足跡の煎餅の出来上がりで、揚げたての煎餅は美味かった


ところで、一軒家に移ってから、お正月に白菜の漬け物を樽で買うようになったが、皆、そんなものなのだろうか?

真冬の寒い日、表面に薄くカビの浮いた白菜を取りにいくのがどうしても出来なかった

カビの中に手を突っ込み、白菜の漬け物の樽は庭先に置かれていた

これは、普通なのだろうか?


普通…がすでに間違った考えかもしれないね

それぞれの家に普通がある
それぞれの家に常識がある

何が普通で正しいかなど、本当はないのかもしれない


家の父は孤児で兄弟に育てられた、母は逆に裕福な家だった

だから、喧嘩は絶えなかった

ある時、出て行く、と怒鳴った父に、荷物を鞄に詰めて、タクシーまで呼んで、母は送り出したそうだ

たいしたものだ(笑)

母にしたら、意地があったのだろう


それぞれの人たちに普通や常識がある

否定は出来ない
受け入れるしかない

死もまた然り

受け入れるしかない

そうすれば、思い出に変わる



いつか思い出に全てがかわるように




No.36 13/11/07 02:47
帽子屋 ( VCiyxe )



生きてきて、何度か死にかけた

最初がいつかは忘れた
が、肺炎で死にかけた時の事は覚えている

真冬、雪がちらつく中を両親と旅行に行った
小学2年の時だ

だるかった
が、旅行は好きで、旅館の中をふらふらと歩き周り、庭に積もった雪を丸めて雪だるまを作った

その後からの記憶が殆どない

母が言うには、父が無理矢理温泉に入れて、熱が上がって旅館を早めに引き上げたらしい

帰っても熱は下がらず、母は私を抱えて病院まで連れて行ったがたいした処置もしてもらえず、結局、救急車で病院に搬送された

しかしこの病院が悪かった
熱があるのに、一切冷やしてくれない

慌てた父は、友人に頼み込み、違う病院に転送した

最初に入院した病院は、数ヶ月後に、赤痢が出て閉鎖されたそうだ

転院後、すっかり実は熱も下がって、ひと月入院しただけで退院が決まった

小児科病棟には糖尿病の子供たちが多く入院していたが、明るく、清潔な病棟だった


退院したあとも、リハビリのためひと月学校を休んだ
都合、一学期は全て休むしかなかった

まだ元気だった母は、私と昼間散歩をしてくれた


何が狂ってしまったか
幼い頃は可愛がってもらった
自我が芽生える頃には、むう優しい両親は居なくなった

夜中、熱が下がらずに抱えて走ってくれた母も、変わってしまった


まあ、そんな事もある

生きているのだから



さて、休むかな


良い夢を



No.37 13/11/10 03:21
帽子屋 ( VCiyxe )


さすがに眠いなあ
最近は徹夜なぞあまりしなくなったからな

小学生4年生の後半で私は埼玉に引越した

引越しは、数えないともう分からない

幼稚園に上がる日
小学生4年
高校1年
高校2年
そして24で家を出て板橋に
仕事で横浜に1年
一旦埼玉に1年
そこから西東京に8年
そして今に至る

さて、何回かな?

まあよく引越したものだよ
父が引越し好きだったせいもあるがね(笑)


まあその2回目の引越しの時、幼なじみたちと一気に別れた
新しい学校は、東京で話していた言葉で話すと、なまっていると言われるところで、面白かった

かわいい子がいて、いつも苛めてはまた仲直りをし、一緒にピアノを弾いたり、笛を吹いたり、音楽でよく遊んだ

古い写真があったはずだが、それさえもう見付からない

実家を出た際に、母が私の卒業アルバムや証書、残していった本や洋服など一切を処分してしまったからだ


ただ彼女の事は心に残っている

私は仲がいいつもりになっていた

だが、彼女は突然中学に上がった時に引越してしまった
隣の地区の学校で遠くはなかった

しかし連絡先も教えてもらえず、元居た家には彼女の親戚が引越してきていた

私は連絡先を聞いて、彼女に連絡してみた

が彼女は無言だった

後になって分かったが、彼女のご家族は新興宗教の信者で、彼女も度々そういう集会につれて行かれ、次第に精神を病んでいったらしい


私がクラスの仲間と喧嘩をして、雨の降るベランダに1人で出て行った時、そっと彼女は私の後を追ってきてくれた

優しさとは、ああいう事を言うんだな、といつも思う

必ず寄り添って、ピアノを弾き、笛を吹き、自宅まで送り、別れるのが寂しくてお互いの家の中間地点まで何度も送りあった

今から思えば、初めての彼女だった

なぜもっと大事に出来なかったかがいつも悔やまれる


女優で彼女と同姓同名の方がいる

テレビで見かける度に、彼女を思い出す


考えると、沢山の方々と出会い、沢山の方々と別れて行くのが、人生なのかもしれないね



とりとめのない話しになった


おやすみ


良い夢を


No.38 13/11/11 04:08
帽子屋 ( VCiyxe )



そうだね、猫好きさん

喪失感は無くなることはない
ただ時間と共に、形を変えるのみ

暗い話しか書けないのは、やはり気が乗らないからかねえ


皆さん、良い1日を



No.39 13/11/14 04:16
帽子屋 ( VCiyxe )



中学生の頃、なぜ生きなければいけないのかを考えていた

ある教師に相談した事もある
彼女はこう言った

それを考えているうちは分からないよ

そうして、生きる意味をつくる為に生きることにした


だが、最近はまた別のことを考えている


健康な身体ならば、息をするのに意識したりしない
なぜ息をしなければいけないか、を考える前に息をしている

生きるのもそうかもしれない
悩まなければ、まず自然に生きるのが当然で、意味など考えないのかもしれない

今は、そうありたいと思う

自分の人生に意味をつけるために生きるのではなく、ただ、生きる、ということを意識せずに生きていられたら、と


身体は老いる

この寒さが痛く感じる
それに意味はない

ただ、寒いから痛いのだ


複雑に複雑にものを考え過ぎていると、原点を見失う


ただそこに生きる


ために今は存在していたい


結局、簡単な結論だが、一番難しい気がするよ(笑)



寒いね

皆さん、風邪などひかないように


またね



No.40 13/11/14 04:22
帽子屋 ( VCiyxe )



意味がなければ何もできない

のは、私が弱かったからだろう


今は、いらない

ただの、私、でいい



No.41 13/11/15 01:06
帽子屋 ( VCiyxe )



どうりで目が霞むと思ったら、発熱中だった

まあ、大したことはない


適当なことを書いても熱のせいにできるが、寝てしまおう(笑)


おやすみ

良い夢を



No.42 13/11/16 20:44
帽子屋 ( VCiyxe )



君が望むのなら


No.43 13/11/16 22:33
帽子屋 ( VCiyxe )



そっちはお互い慣れてない板だ

まあのんびりやろう(笑)



No.44 13/11/16 23:24
帽子屋 ( VCiyxe )



構わないがね(笑)

歌留多
なぜそんなに簡単に寝落ち出来るのか、睡眠薬中毒の私に、いつか教えておくれ


まあ、ゆっくりおやすみ


またね


No.45 13/11/16 23:54
帽子屋 ( VCiyxe )



意訳か…

私は漢詩で意訳を習った

いかに漢詩の詠い方の雰囲気を下し文で読み下すか

たいていは読み方なぞ決まってしっているのだが、そうではなく、いかに日本語でうまく詠うか

幾通りもの読み方を調べては楽しんだものだ


私はずっと詩にこだわってきた
故に日本語にこだわってきた

結果、外国文学を一切読まなくなった時期があった

あまりに訳がものものしく、日本語として美しいと思えなくなってしまったからだ

今は枕元に上田敏の訳詩集を置いている
上田敏の日本語は美しい
その日本語は英文詩を美しく詠い上げてくれる

私は現代詩を読まない
代わりに万葉集を読む
現代詩に美しさを感じないからだ

詩は内容ではない
言葉を使った芸術品でなくてはならない
しかも日本ならではの詩ならば、和歌や俳句を礎に敷いていなければならない、と考えている

詩人になりたい(笑)


まあ、戯れ言はこれくらいにして、語学についての思想は、歌留多に任せよう



No.46 13/11/18 02:17
帽子屋 ( VCiyxe )



不幸に麻痺している

確かにそうかもしれない(笑)

ただ、ならば普通とは?を私たちは知らないのですよ



久しぶりにカウンセラーと話した

ただ生きていくという事に今更気づいた、と話したら、

凶暴な両親の元で、自分の存在を見失ってきたのだろう

と言われた

たしかに、両親は凶暴だった(笑)


今は、生きていけるだけで、幸せだよ


不幸なぞ、数え始めたらきりがないじゃないか(笑)



No.47 13/11/21 21:54
帽子屋 ( VCiyxe )



歌留多のスレに居るよ


No.48 13/11/22 01:06
帽子屋 ( VCiyxe )



変わる人もいれば、変わらぬ人もいる

どちらが良いとも言えませんが、良い方に変わりたいものだね


No.49 13/11/23 03:43
帽子屋 ( VCiyxe )



ノイローゼ、だそうだ(笑)

何故生きなければいけないか悩むのは

意味なく生きていいのだと気付いてから、ここで言い訳を書き続けるのか疎かになってしまった

長いノイローゼだった
小学生の頃からだからね(笑)

今は、ただ今を楽しんでいる


確かに不幸に馴染み過ぎたかな
自由に生きていい
が、難しい


まあ気儘に生きるよ



No.50 13/11/30 01:58
帽子屋 ( VCiyxe )


すっかりご無沙汰だね
年かな(笑)

まあ…
初めて見た交通事故の話しをしよう

それは中学2年の春だった
通学路には、五叉路と言うのがあって、坂道を下った所に、カーブの道が入り込み、さらに脇道への右折路のある複雑交差点だった

真ん中にはお地蔵さま

いかにその交差点での事故が多いか暗示している

夕方の帰り道だった
友人と二人その交差点を渡って歩いている所でそれはおきた

坂道を下ってきた車にバイクが衝突した
バイクの運転手は、奇麗にカーブを描いて吹っ飛んだ
道路に叩きつけられた後は、動くことはなかった

立ち尽くして見ていた私たちに、見ていた親父さんが目隠しをして一言

こんなのは見るもんじゃない、とっとと帰りな

と肩を押した

今でも、飛ばされた彼をたまに思い出す

息はなかったのだろう
察した親父さんに帰されなければ、見入っていた

その交差点前にある店があったが、年中入れ替わり立ち替わり店が変わった

いわくつきの土地だったと気付いたのは、かなり後だった


人は死ぬと時が止まる

その止まる瞬間を見た初めての事だった

今でも脳裏に焼き付いて離れない

思えば、人の死に立ち会う事の多い歳になった

だが、今でも死には馴染めない


寝物語だよ

おやすみ


あたたかい夜を



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