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匿名( ♀ )
13/06/08 21:24(更新日時)

いつまでも沈んだままでは居られないので今までの悲しかった事、苦しかった事、嫌な思いをした事など少しずつ吐き出していきます。


気持ちが切り替えられますように…



No.1845759 12/09/06 11:47(スレ作成日時)

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No.1 12/09/06 11:58
匿名0 ( ♀ )

現在結婚11年目。


8月の始めに妊娠が判った。
でもあまり嬉しくなかった。


うちには小学生が3人居るし、旦那の給料も少ない。
このままでは生活できなくなる…
はぁ…どうしよ。困った。


最後の出産から7年。
5年前から特に避妊はしていなかったけど出来なかったから、子供が出来ない体質になったんだと思っていた。
旦那はどうしても産んでくれと言う。


旦那と色々話し合った結果、産む事に決めた。これが最後の出産だ…


No.2 12/09/06 12:09
匿名0 ( ♀ )

あまりに早く病院に行っても無駄だと解っていたから、計算して6週目に入った週に近所の産婦人科に行った。


診察してもらうと「う~ん…週数(計算)にしてはちょっと小さいなぁ…排卵日がズレてるだけなら良いんだけど、もしかしたら今週中に流産するかもしれないから、多く出血するようだったらすぐ来てください」と言われた。
そして何ともなければまた来週来るように言われた。


流産…
意外な言葉にビックリした。


No.3 12/09/06 12:23
匿名0 ( ♀ )

1週間、出血したりお腹が痛くなったりするんじゃないかと、毎日ドキドキしながら過ごした。
でも何ともなかった。


1週間後、診察してもらうとやはり胎児が育ってないと言われた。
稽留流産と診断され、手術の話が出た時は頭が真っ白になった。


医師に「あなたのせいじゃないよ。胎児側に問題があって成長できなかっただけ。これはよくある事だから」と言われ、救われた気がした。


そっかぁ…じゃあ仕方ない事なんだね…と思いながら手術の日を決めた。
旦那の仕事が休みの日の8月30日に。


No.4 12/09/06 12:42
匿名0 ( ♀ )

家に帰って旦那に話すと、すごく残念そうにしてたから「まっ、仕方ないよ。よくある事みたいだし。手術も簡単みたいよ」と明るく話した。


旦那が仕事(夜勤)に行った後、掻爬手術についてケータイで調べまくった。
ブログに書いてある体験談とかも読み漁って、手術の流れを覚えた。
怖い…手術嫌だな…


子供達には妊娠している事さえ話していなかった。
手術前日、旦那が仕事へ行った後に子供達に話した。
「あのね、母さんのお腹の中には赤ちゃんが居たんだけど、成長してなくて、明日、赤ちゃんを取り出す手術をする事になったんよ。手術したらしばらく安静にしてないといけないから、自分の事は自分でやるようにね。どうしても困ったら父さんに言ってね」


子供達はすごくビックリして質問責めにされた(笑)
答えられる事は答えて、後は適当に流した


No.5 12/09/06 13:00
匿名0 ( ♀ )

手術当日。


子供達に「どうしても困った事があったら父さんに電話しなさいね。朝ご飯と昼ご飯は冷蔵庫に入ってるから。近所迷惑になるような事はしないように❗行ってくるね」と言って家を出た。


朝8時半。
旦那に付き添って貰って産婦人科到着。


前処置をして2Fの病室(個室)で休憩。
看護士さんにこれからの事を説明された。
10時半に最後のトイレに行ってもらって、処置室で点滴。
その後11時手術開始で、3時まで休んだら帰っても大丈夫です。


最後に「旦那さんは途中で帰られますか❓」と聞かれた。
考えてなかった…


少し話し合って
2時頃に子供達の様子を見にいったん帰って、3時頃(私が)連絡したら車で迎えに来る、という事になった。



No.6 12/09/06 13:12
匿名0 ( ♀ )

もう、これは仕方ない事だと腹を括っていたから悲しいという気持ちはほとんど無かった。
不安な気持ちを紛らわすため、旦那とずっと喋ったりケータイでゲームをしていた。


そろそろ10時半。
言われていた通りトイレに行った。
旦那が冗談で「痛いからってギャーギャー騒がんでよ😁恥ずかしいから(笑)」と言ってきた。


「騒がんよ~😁麻酔で寝てるから手術されてる事に気付かんよ」と返したところで看護士さんが来て処置室へ。



No.7 12/09/06 13:24
匿名0 ( ♀ )

処置室に入ってすぐ下着を脱いで台の上で寝るように言われた。
「じゃあ、点滴刺しますね」と言われ、左腕に針を刺されたけどすぐに「あ、ちょっと抜きますね~」と言われ抜かれた。
どうしたんだろう…


「血管細いのかな…ちょっと待ってね」と言われ、あちこち腕を触られた。
「ちょっと反対側の手も見せてね」と言われ、反対側も「う~ん細いね~💧」と言われながらあちこち触られた。


突然「点滴した事ある❓」と聞かれたので「5月に肺炎にかかって1週間毎日点滴に通ってました」と答えた。
「じゃあ、できるか~」と。


大丈夫なんだろうか…とドキドキしていると別の看護士さんが入ってきた。



No.8 12/09/06 13:32
匿名0 ( ♀ )

「血管が細いからか、点滴がうまくできなくって…1回目漏れちゃったんですよね」
漏れたんだ…


「ちょっと手を見せて下さいね」と言いながら、後から入ってきた看護士さんが「あっここイケるわ」と一発でうまく刺してくれた。
ホッ💨良かった💦


左手には点滴、右腕に血圧計を巻かれ、足に手術用のカバーをかぶせられたところで医師が入ってきた。


医師の「じゃあ、始めますね~」の声で手術が始まった。



No.9 12/09/06 13:39
匿名0 ( ♀ )

子宮を広げようとしてる感じで痛かったので「うっ」って言うと「麻酔入れますね」と言われ静脈麻酔が打たれた。
「○○さん、麻酔入れたからちょっと頭がボーッとしてきますからね」と医師に言われた。


体験談で麻酔が効く時に喉がスーッとすると書いてあったから「これがあのスーッとする感じかぁ」と思っていた。
その後、一瞬目の前がチカっと歪んだけどそれ以降何の変化も無し。


あれ❓確かすぐ眠くなるはずじゃ❓
後から効くの❓
えっ❓と思っている内に処置が始まった。


あまりの激痛にビックリした。
もしかして麻酔効いてないの⁉


No.10 12/09/06 13:51
匿名0 ( ♀ )

器具を入れられる激痛。
ずっと我慢してたけど、あまりの痛さに我慢できなくて泣いてしまった。
局所麻酔されるのさえも激痛で涙が止まらない。


こんな時に限って、旦那の騒ぐなという言葉を思い出してしまった。
だから騒がずずっと泣いていた。
もう途中からは嗚咽に変わって息が吸えない状態になってた。


看護士さんに深呼吸するように言われてしようと思うのに深呼吸できない。


普段、低血圧の私。
上は90下は50代。
激痛のせいか、上が130まで上がった。



No.11 12/09/06 14:06
匿名0 ( ♀ )

その後も処置は続き、吸引される音がしてきた。


あ…
私の赤ちゃんが吸い取られてしまった。
すごい悲しみが込み上げてきた。
痛みに加えて悲しさでずっと涙が止まらなかった。
その横で、深呼吸するように言ってきた看護士さんがずっと涙を拭いてくれていた。


今度は子宮に残ってるものをガリガリと出され始めた。
これがまたもの凄い激痛で息ができない程だった。
看護士さんに「もうちょっとで終わるから頑張って」と言われたけど、もう無理だと思った。


やっと処置が終わって医師に「終わりましたからね」と言われたけど、私は放心状態になっていた。
たった5~10分の手術なのに物凄く長く感じた。


医師が処置室から出て行く時に「ゆっくり休んで下さいね」と言ってきた。
私は涙声で「ありがとうございました」と言った。


No.12 12/09/06 14:21
匿名0 ( ♀ )

「ここで少し休んでから部屋に戻りましょうね」と看護士さんに言われた。
いつまで経っても涙が止まらない私に、看護士さんがティッシュを渡してくれた。
「血圧計は付けてるけど、右手は使えるからね」と言って。


気を利かしてくれたのか、看護士さんが今度は上の子達の話に切り替えてくれた。
夏休みにどこか行ったかや、宿題の事。
お陰で随分気が紛れた。


10分くらい経ったから部屋に戻る事になった。
歩くと視界がおかしい。
YouTubeで覚せい剤を使用した時の視覚を試した事があるけど、正にそんな感じで周りがフワンフワンしていた。
麻酔効いてるんだ…
効くんだったらしっかり効いてくれよ…


病室に戻ると、旦那は持ってきていたPSPでゲームをしていた。
何だか怒りが込み上げた。


ベッドで横になると、看護士さんに点滴が無くなったら呼ぶように言われた。
もし寝てて呼べなかったら終わる頃に見に来ると言われ安心。
そのまま3時までゆっくり休む事に…


No.13 12/09/06 14:38
匿名0 ( ♀ )

普段、旦那や子供の前では滅多に泣かない私。
旦那に泣き顔を見られたくなくてずっと旦那とは反対の方向を向いていた。


旦那が「手術今から❓」とアホな事を聞いてきた。
「もう終わったよ…」と答えると、ビックリした様子で「早っ❗点滴しに行っただけかと思ってた。そっかぁ…お疲れ様」と言ってきた。


私「手術ね、痛すぎて死ぬかと思った。あまりの痛さに泣いてしもうた」

旦那「でも麻酔したんでしょ❓」

私「したよ。でも全く効かなくってそのまま…」

旦那「えぇっ⁉そりゃ痛いわ❗今は痛くないん⁉」

私「うん。局所麻酔が効いてるみたい」

旦那「そうなん。じゃあ、また後起こして上げるからゆっくり休んで」

私「うん…」


No.14 12/09/06 14:51
匿名0 ( ♀ )

その後寝ようと思ったけど、手術で体が興奮しているせいか、全く寝られなかった。


その間に色んな事を考えてしまった。
妊娠が判った時、私が喜ばなかったから赤ちゃんがそれに気付いて成長が止まってしまったのかな…
あの時喜んでたら違ってたのかな…


静脈麻酔がちゃんと効いて、痛みもなく眠りから醒めただけなら悲しいって感情はほとんど無かっただろうな…
私(僕)はここに居たんだよって痛みで知らせてくれたのかな…


せっかく来てくれたのにちゃんと産んであげられなくてごめんね…


罪悪感でいっぱいになった。



No.15 12/09/06 15:08
匿名0 ( ♀ )

そんな事ばかり考えてしまい、また涙が止まらなくなった。


気を紛らわすためにケータイでゲームしたりお悩み掲示板を見ていた。


ふと気付くと、点滴が終わってるっぽい。
「ねぇ、これ点滴終わってるよねぇ❓」と旦那に聞いてみた。
旦那は、私はずっと寝てるものだと思ってたからビックリしてた(笑)


すぐに看護士さんを呼び、針を外してもらった。


しばらく旦那と話していると2時近くになってきた。
「そろそろ子供達の様子を見に帰る時間だね。宿題してなかったら怒っといてよ(笑)」と言って旦那に帰ってもらった。


産婦人科から家まで徒歩2分。
めちゃくちゃ近い距離なのに車で迎えに来てもらうよう言われてる。


2時半頃に看護士さんが来て「後10分くらいしたら歩く練習をして下さい」と言われた。
麻酔が切れてちゃんと歩けるかどうか試すらしい。


No.16 12/09/06 15:23
匿名0 ( ♀ )

病室の真ん前にトイレがある。
泣き顔を洗い流すためとトイレに行きたくて手術から1時間経ったあたりから結構ウロウロしてた。
もう歩く練習をしなくても平気(笑)


とは言えず「はい」と一言。
「3時頃に診察室に入ってもらうようにするので、後で迎えに来ます。その時にご主人に連絡して下さい」と言われた。


3時過ぎに看護士さんと一緒に1Fに下りて診察室の前で待機。
階段を降りる時に手術がめちゃくちゃ痛かった事を看護士さんに話した。
「そっかぁ…痛かったかぁ」と背中に手をかけてくれた。


1Fに下りて旦那に電話した。
旦那は5分かからない内に来てくれたけど私がまだ。
診察室はおばあちゃんが入ってて話が長い長い(笑)


やっと呼ばれて診察室に。
医師からこれからの注意点や薬、1週間後の診察の話をされた。
そして最後にまた「あなたのせいではないですからね」と言われ終わった。


会計は1万4560円。
思っていたよりかからずビックリした。


No.17 12/09/06 15:44
匿名0 ( ♀ )

家に帰ると子供達はゲームをしてた。
「ただいま。ちゃんと宿題したん❓近所迷惑になるような事しなかった❓」


上の子達はテレビ画面の方を向いたまま「うん、宿題したよ。近所迷惑な事もしてない」と。
下の子は「母さん、おかえりー」とひっついてきた。


「ゴメン、○○(下の子)。母さん、まだお腹痛いから抱っこできんのよ。さっき手術してきたばかりだから。今日、明日は母さん、布団の上で過ごすからなるべく静かにしてね」と言った。


「そうなん。分かった❗」と言って下の子はゲームの画面の方へ行った。
旦那も子供達の側に座ってた。


私はすぐ部屋着に着替えて布団の上に転がった。
気を紛らわせるためにずーっとケータイを触り続けた。


No.18 12/09/06 15:57
匿名0 ( ♀ )

しばらくして、上の子が思い出したかのように旦那に話しかけた。
「赤ちゃんは❓赤ちゃんどうなったん❓」


旦那は「赤ちゃんは天国に行ったんよ。母さんが元気になったら供養しに行かんといけんね」と言った。
その言葉にめちゃくちゃ泣いてしまった。


旦那や子供達に泣いてる姿を見られたくなくて布団を頭からかぶった。
「うっうっ」とか言ってたから下の子が心配して「母さん、大丈夫❓」と来た。
「母さん、お腹痛いだけよ。父さんの所に居て」と言って旦那の所に行かせた。


しばらくして落ち着いたから顔を洗いに行った。
手術前はこんなに苦しい思いをするなんて全く思ってなかった。


No.19 12/09/06 16:09
匿名0 ( ♀ )

夕方6時過ぎ。
前日の夜から飲まず食わずの状態が続いていたからお腹が空き始めた。
無性にお好み焼き(ソバ入り)が食べたくなって旦那に買ってきてもらった。


4分の1切り分けてもらって食べ始めると上の子が「母さん、手術痛かった❓」と聞いてきた。
「めちゃくちゃ痛かったよ💦」と答えた。


「もう赤ちゃんお腹に居らんのんよね❓取り出した赤ちゃんってどうなるん❓」


「……」答えられなかった。
また涙が溢れてきた。
急いでお好み焼きを掻き込んで布団へ向かって布団をかぶった。
お好み焼きの味が全く分からなかった。


旦那が上の子に「そんな事聞くな❗赤ちゃんは天国に行ったの❗」と怒っていた。



No.20 12/09/06 16:36
匿名0 ( ♀ )

自分でもビックリするくらいショックが大きく、1週間毎日、子供と旦那が寝てから泣いていた。体重も3kg落ちた。
旦那は時々泣いてる私に気付いて背中をさすってくれる。


いつもよりベタベタひっついてきたり、笑わそうとしたり…旦那がすごく気を遣ってくれているのが分かる。


今日の午前中に産婦人科に行ってきた。
今のところ異常なし。
いつまでも沈んでたら旦那も疲れるから、そろそろ復活しないとな…


夜、泣いてる時に10年前の事も思い出してしまい、余計に泣いてしまう。
先日、その事で旦那を責めてしまった。
いつまでも引きずるのは良くないのに…


10年前にも私は流産した。
上の子が1歳の時。
多分、旦那はその時の罪悪感もあるから、今回、こんなに優しく接してくれてるんじゃないかと思ってしまう。


No.21 12/09/06 16:53
匿名0 ( ♀ )

10年前の9月の始めに妊娠している事が判った。上の子が1歳1ヶ月の時。
すごく嬉しかった。


安定するまでは誰にも言わないようにしようと旦那と話し合ったから、誰にも言っていなかった。


上の子の経験から、5週目を過ぎてから病院へ行くことにした。
その頃はへんぴな場所に住んでいたから近くの病院までは徒歩と電車で30分かかる。
という事で、9月下旬の旦那の平日休みに車で連れて行ってもらえる事となった。


No.22 12/09/06 17:07
匿名0 ( ♀ )

上の子が小さい頃は毎週~月2回、旦那の実家に泊まりで帰っていた。
旦那の実家までは高速で2時間。
一般道を通ると3時間近くかかっていた。
姑は1人暮らしで、寂しいだろうという事で孫の顔を見せたかったらしい。


診察に行く予定の前の週の金曜日。
私は風邪気味で熱も少しあり、しんどかった。
旦那が夜10時頃仕事から帰ってきて、今から実家に行こうと言い始めた。


「今日は体調悪いから行きたくない。しんどい。熱も少しあるし」と言ったけど
「大丈夫大丈夫。すぐ治るって。お母さん待ってるし」と半ば強制的に連れて行かれた。


着いたのは夜中1時過ぎ。



No.23 12/09/06 17:15
匿名0 ( ♀ )

金曜夜~日曜夜まで2泊3日の予定。
着いてすぐ、子供のオムツを変えて少しだけ姑さんと話して寝た。


朝起きると部屋が凄い事になっていた。
前日夜は暗くて気付かなかったけど、部屋が滅茶苦茶。


姑さんは掃除片付けが苦手らしく、化粧品から服から何から足の踏み場が無いくらいに下に転がっていた。
台所も洗い物で溢れ返り、コップを借りようにも洗わないと使えない状態。
まぁ、いつもの光景だけど(笑)


姑さんが買い物に行ってる間に私が全部片付けるっていうのが当たり前になってきていた。
でもその日は体調が悪くて片付けるのもしんどかった。


子供が誤飲したらいけないと思い、仕方なく片付け始めた。


No.24 12/09/06 17:26
匿名0 ( ♀ )

そんな中、旦那はゴロゴロして漫画を読んでいた。
子供の面倒を見てくれるわけでもなくくつろいでた。


腹が立って「しんどいんだからちょっとは手伝ってよ‼」と言った。
旦那は掃除機をかける時に物を少し移動させただけだった…


そして「何で俺がこんな事せんといけんのんよ」と言ってきたから、更に腹が立って「自分の実家でしょ‼そんなん私じゃなくてお母さんに言ってよ‼」と。
旦那に「じゃあ、もう掃除せんで良いわ❗」と言われたけど、子供が誤飲したら困るから無理。


その後、子供の相手をしながら食器洗いをして、お風呂掃除をする間だけ旦那に子供を見てもらっていた。
そこに姑さんが帰ってきた。


「あら~綺麗になったねぇ」の一言。
何だこの人…


No.25 12/09/06 17:41
匿名0 ( ♀ )

お昼過ぎてから義妹が子供を連れて遊びに来た。
義妹は私の4つ下で結構仲が良かった。
(旦那と私は同い年)
メールや電話もしょっちゅうしてた。
最近、旦那さんとうまくいってなくて、その事も相談されたりしてた。


そして義妹の子はうちの子と同い年。
うちの子が7月生まれで義妹の子が10月生まれで共に男の子。
育児の事でもよく話をしていた。


義妹は1時間程居て、遊びに行くと言って子供を置いて出掛けてしまった。
義妹の子供は後追いが激しく、義妹が出て行った後、めちゃくちゃ泣いて大変だった


旦那は相変わらず漫画を読んでゴロゴロ。
姑さんは夕食の準備。
私は子供2人を抱っこしたりしてずっと相手していた。


義妹の旦那さんは夜勤だったらしく、それを良いことに義妹が帰ってきたのは夜中3時頃だった。
姑さんに後から聞いたけど、最近、こうやって預けて出掛けてしまう事が多くて困ってる…との事だった。


そんな生活が2日続いた。



No.26 12/09/06 17:49
匿名0 ( ♀ )

夜7時頃になってお腹が痛くなってきた。
トイレへ行くと出血してた。


ビックリして旦那にコソっと出血している事を伝えた。
旦那は「そうなん。ちょっと休めば大丈夫じゃない❓ゆっくりしたら❓」と言ってきた。


腹が立ってしょうがなかった。
こんな状態でゆっくりできるわけないじゃん。子供達の面倒も見てくれないくせに。


その後「明日仕事でしょ❓まだ帰らんで良いの❓」と8時頃から何度も聞いた。
だけど旦那は帰りたくないみたいで、結局実家を出たのは夜中1時頃だった。


No.27 12/09/06 18:02
匿名0 ( ♀ )

帰りの車の中で「出血、酷くなってきてるから明日病院連れて行って」と言った。
旦那は「明日は仕事だから無理」と一言。


「1日とは言わんから、午前中だけでもどうしても休まれん❓」と言ってみたけど
「無理‼自分の代わりに仕事してくれる人が居ないから」と返ってきた。


旦那「家で寝といたらその内治るんじゃないん❓」

私「いや、○○(上の子)が居るから寝られないんだけど。それより病院行きたい」

旦那「まぁ、寝ときゃ何とかなるでしょ。明日1日寝とき」

私「……分かった。もう何も頼まん‼」

旦那「何怒っとん❓(笑)」

私「もう話しかけてこんといて‼」


No.28 12/09/06 18:15
匿名0 ( ♀ )

腹が立ったまま寝た。


朝方、お腹が痛くて出血も多くなっていたから旦那に「ごめん、やっぱり病院連れて行って。多分、救急でいけると思うから」と言ってみた。


でも旦那は「え~❓何時に帰れるか分からんからなぁ…今から仕事だから無理よ」


仕方なくその日は子供のお世話は最低限にしてずっと寝てた。
歩くと出血が増える気がして怖かった。


夜10時頃、旦那が帰ってきた。
「今から病院連れて行って」と言ったけどしんどいだの何だの言ってダメだった。
私は車の免許を持ってないから旦那だけが頼りなのに…


No.29 12/09/06 18:24
匿名0 ( ♀ )

夜中2時頃。


物凄くお腹が痛くなった。
そして塊が出てきた。
これが多分、胎嚢なんだろうなと判った。
すごく悔しくて悲しくて泣いた。


旦那を起こして「赤ちゃん出てきてしまった」と泣きながら言った。
旦那は「そうなん……仕方ないよ」と言った。


『仕方ない』で片付けられたのが物凄く悔しくて泣きながら怒鳴った。
「何回も病院へ連れて行ってって言ったのに‼お母さんの所も行きたくないって言ったのに何で聞いてくれんかったんよ‼行ってなかったらこんな事になってなかったかもしれんのに‼行きたくないって言ったじゃん‼何も手伝ってくれんかったし‼それを仕方ないってどういう事よ‼」


我を忘れて夜中に怒鳴り散らした。



No.30 12/09/06 18:36
匿名0 ( ♀ )

今日こそは病院へ連れて行ってと言ったけど、また無理と言われた。
もうこの人はダメだと思った。
その日は一切口を聞かなかった。


次の日の朝、今までの事を全部義妹に話した。
その日の午後、義妹が来てくれた。
義妹は「本当にごめんね。こんな事になってるって知らなくて…お兄ちゃん酷すぎるよね…」と涙を流してた。
「明日は○○くん(上の子)見とくから病院行ってきて」と言ってくれた。


病院へ行くと「完全流産ですね」と言われ処置される事もなくそのまま帰ってきた。


No.31 12/09/06 18:53
匿名0 ( ♀ )

家に帰ると、義妹が子供達に離乳食を食べさせてくれていた。
お礼を言うと「こんな事くらいしかできんけど、また困った事があったらすぐ言ってね。お兄ちゃん全然アテにならないから。本当にごめんね」と言って帰っていった。


その夜、姑さんからも電話があった。
姑さんもすごく謝ってきた。
「○○(旦那)にしっかり言うから電話代わって」と言われ、代わるとかなり怒られてる感じだった。


でも私はまだ3人の事が許せてなかった。
特に旦那。
1ヶ月近く恨みながら泣き続けた。


3週間程経った頃に私の母にも流産した事を伝えた。
突然母が来てくれた。
母は新幹線で1時間半離れた所に住んでいる。


気分転換にと、あちこち散歩して水族館へ連れて行ってくれた。


母も昔流産した事があって、父がやはりうちの旦那と同じ様な対応をしたらしく泣いて暮らしたらしい。
母がこたつで大出血して怖かった事は覚えてるけどそれ以外は覚えていなかった。


気分転換のお陰か、いつまでもグズグズ言ってられないと思い、泣くのをやめた。
そして旦那と一緒に供養に行った。


No.32 12/09/07 18:57
匿名0 ( ♀ )

それから半年以上経ったある日、妊娠が判った。
前みたいな事にならないように、今度こそは大事に大事に育てようと旦那と話し合って、旦那の実家へ帰るのも月1回にしてもらった。


姑さんはそれが気に入らなかったらしく「最近、あんまり来てくれないから寂しい」と言い出した。
私は少しムっとしたけど「また1ヶ月後に来るから」と笑顔で返した。


その頃の旦那は給料が少なく、旦那は結構な借金もあったから、(生活費と食費を合わせて)毎月1万しかもらってなかった。


足りないお金や私のケータイ代は、結婚前の私の貯金を崩して払っていた。
もちろん、旦那の実家に帰るための交通費やガソリン代もそこから。


結婚してから2年。
私の貯金はかなり減っていた。


No.33 12/09/07 19:23
匿名0 ( ♀ )

妊娠8ヶ月の時、旦那が仕事で大きなミスをした。
それからすぐに転勤が決まった。
多分、ミスのせい(笑)
転勤先は新幹線で4時間の場所。


すると姑さんが「引っ越し作業を手伝ってあげる」と言ってくれた。
すごく助かると思って素直に嬉しかった。
だけどこの姑さんの手伝いが大変な出費になってしまう…


金曜日の夜に旦那の実家へ車で行き、土曜日の午後から姑さんを家に連れて帰り、その日の夜と日曜日の朝は作業。
姑さんはあまり作業はせず、子供を見てるだけ。


そして日曜日の夕方、姑さんを実家に車で送り届ける。
というのを1ヶ月間毎週繰り返した💧


食事はほぼ外食でこちらもち。
交通費、ガソリン代もかなりかかった…


引っ越し自体は会社からお金が出ていたから無料。新幹線は指定席で、引っ越し前日に会社で乗車券をもらっていた。


旦那や姑さんには悪いけど、姑さんの好意を余計な出費だと思ってしまった…


No.34 12/09/07 20:17
匿名0 ( ♀ )

引っ越し当日。
後送る物は掃除道具と布団だけだった。
掃除は前日に全部終わらせ、布団を収納袋に入れ、引っ越し業者が来るのを待っていた。


他の荷物は数日前に送っていて、もう社宅に届いているとのこと。
やる事が無かったから姑さんとずっと話し続けていた。


引っ越し業者に荷物を渡し、会社に最後の挨拶に向かった。
旦那は上司や同僚に頑張れよなど言われていた。
上司に「奥さん、妊娠中なのに大変だったね。気を付けて」と言われながら餞別を頂いた。
少しして時間が迫ってきたから会社を後にして駅へ向かった。


No.35 12/09/07 20:27
匿名0 ( ♀ )

駅に着いて15分くらいして電車が来た。
そこから45分程電車に乗り、大きな駅に。
新幹線の時間まで後40分。


姑さんと話をしながらお弁当やおやつを買った。
出発の時間が近くなると、姑さんは「何かあったらすぐ電話してきてね。毎日電話してきても良いから。お兄ちゃん(旦那)はアテにならんから何でも言ってね」と涙を流しながら言ってきた。


私もウルウルしながら「うん、うん」と頷いた。
普段、涙を見せた事がない旦那もちょっとウルっとしてた。


出発の時間になり、新幹線のドアが閉まった。
私と子供は姑さんが見えなくなるまでずっと手を振り続けた。


No.36 12/09/07 20:44
匿名0 ( ♀ )

長い長い4時間だった。
子供が全く寝てくれず、ずっと相手をしていた。
お弁当やおやつ、おもちゃ、絵本で誤魔化していたけど飽きてしまい、少しだけ新幹線の中を散歩した。
旦那は景色を見たり寝たりして無関心。


そろそろ着く頃になってきた。
社宅ってどんな所だろうね✨と少しワクワクしてた。
「お迎え、来てくれるんよね❓駅広いんでしょ❓ちゃんと判るんかなぁ…」と言う私に対して、旦那は「判らんかったら電話する事になってるから大丈夫」と落ち着いていた。


駅に着いて言われていた出口を探した。
めちゃくちゃ広い…
それに人も多い。
「やっぱ東京は広いね…」


No.37 12/09/07 20:58
匿名0 ( ♀ )

やっと言われていた出口を見付け、進んで行った。
旦那のケータイに担当の人から連絡があった。
「今、着いて出口を出たところです」
そのまま誘導されて、担当の人の所に行き着いた。


挨拶をし、担当の人と一緒に車の方へ向かった。
車は会社の軽だった。
車内は荷物と私達でいっぱいに…💧


「東京だからってあまり気負いしなくて良いよ。会社はほとんど地方から転勤で来てる人達ばかりだから。社宅にはもう荷物は運んであるから移動させる時は言ってね。夕方行くから」と言われた。


「分かりました。ありがとうございます」
へぇ~そうなんだぁ💡
地方の人達ばっかりなんだぁ。
ちょっと安心した。


No.38 12/09/08 18:26
匿名0 ( ♀ )

「ここが会社と社宅ね」
20分程車で移動して、会社の駐車場に着いた。
結構大きな会社の横に大きな社宅が3棟あった。
でも、何だか古そうな感じ…


「住んでもらうのはここの5階ね。ここが集合ポストでここが警備員の居る守衛室。あっそうそう、社宅には門限があって社宅の玄関は夜10時になったら鍵を閉めるから入れないよ。10時を過ぎたら会社側の門に回って。朝は6時に開くから」


「そうなんですか💦分かりました」


部屋に着くと担当の人が鍵を出してドアを開けた。
そして鍵を渡してくれた。


No.39 12/09/08 18:45
匿名0 ( ♀ )

入ってみるとかなり埃っぽかった。
床は埃で真っ白。
歩くと足跡がついていく(笑)
何年住んでないんだろ…


部屋は3Kで台所以外は6畳の和室だった。
もうすぐ家族が増えるから丁度良い広さだと思った。
でもその前に掃除だね…


担当の人とあちこちの部屋を見て回った。
玄関を入ってすぐの部屋を見た後、トイレとお風呂を見た。
トイレは和式の水洗トイレ💧
ちゃんとした脱衣場は無く、トイレの前が脱衣場。
お風呂はガスを手回しで着けたりする追い焚きのお風呂。


浴槽は何故か栓がされていて水が少し溜まっていた。
えっ💧いつから溜まってる水なんだろう…
担当の人が水を出しながら「あっ、ちゃんと出るね」と一言。
先に確認してなかったんだ…


台所に行くと水道の所に湯沸かし器が付いていた。
とっても昭和チックな社宅だと感じた。
台所のすぐ横には取って付けたような、公園のトイレにあるような洗面台が付いていた。


No.40 12/09/08 18:55
匿名0 ( ♀ )

最後に残った2部屋を見ると家具がメチャクチャに置かれていた…


今から片付け頑張らなきゃな…
あっ、でも家具の移動を手伝ってくれるって言ってたから早く終わるかも👌


「これで全部屋の確認はできたね。ではまた夕方に来ます」と言われた。
「ありがとうございます。因みに、この社宅は築何年くらいなんですか❓」


「え~っと確か築50年くらいだったと思うよ」
50年⁉😱うそ~💦
「そうなんですか💦結構古いんですね」
「ハハっ」と笑って担当の人は去って行った。


旦那に「ちょっと聞いた⁉50年だって‼この建物大丈夫なん⁉😱」と言った。
旦那は「まぁ、大丈夫なんじゃない❓それにしても…すごい社宅だね…」と。
「うん……でもまぁ、住めば都って言うし頑張ろうね」と言って掃除を始めた。


天井は砂壁みたいな感じで砂が吹き付けてあって、どの部屋もあちこちヒビがいってる。
本当に大丈夫なんだろうか…
不安でいっぱいになった。



No.41 12/09/08 19:22
匿名0 ( ♀ )

少し拭き掃除をした後、子供のオモチャと絵本をダンボールから探し出した。
「ちょっとここで遊んでてね」と子供を押し入れに入れて掃除掃除掃除。
とにかく掃除。
雑巾は洗ってもすぐ真っ黒になった…


その後、旦那と協力して家具を移動。
何とか寝転がれるスペースを確保できた。
更に玄関の近くの部屋にも家具を移動。
目の錯覚なのか、何かおかしい。
部屋が歪んで見える。
どう見ても部屋が玄関側に傾いてる…
天井には大きなヒビがあるし、いつか倒れるんじゃないかと不安になった。


そういえば着いたってみんなに電話してない事を思い出した。
早速姑さんに電話した。
「もしもし、お母さん❓連絡遅くなってごめん、着いたよ。3時頃着いて、今、荷物を解いてるところ。社宅すんごいボロボロで泣きそう」
本当に少しだけ涙が出た。
まさかこんなに古い建物だと思ってなかったのと、姑さんの声を聞いて安心したのと両方で。


少し話して旦那に代わった。
旦那はずっと、うんうん言っていた。
最後に「うん、頑張る」と言って電話を切った。


その後、私の親にも電話して着いた事を報告した。


No.42 12/09/08 19:38
匿名0 ( ♀ )

随分片付いてきたから、両2軒隣と上下に引っ越しの挨拶に伺った。
隣の人は出てきたけど他の部屋の人は居ないのか出てこなかった。


隣の人は50代後半の夫婦で、旦那さんの方は来年定年。
定年後は地元に帰ると聞いた。
他の部屋の人には、仕方ないから手紙を書いてドアノブに粗品と手紙を入れた袋をかけてきた。


夜7時。
担当の人が来ない。
連絡もない。
忘れられてるのかな…
2人で家具を全部移動したからもうやる事は残っていなかった。


「お腹空いたね…」
まだ地理が分からず、スーパーもどこにあるのか分からない。
「確か1階にコンビニが無かったっけ❓」と言いながら窓を覗くと真下にコンビニがあった。
「ご飯買いに行こ」と言って、3人でお弁当を買いに行った。


お蕎麦があったから、その日の晩御飯は引っ越し蕎麦にした。
結局、担当の人は来なかった。


No.43 12/09/08 20:00
匿名0 ( ♀ )

夜。
布団がまだ届いていなかった。
10月だったからまだそこまで寒くはなかったけど、敷き布団が無いと腰がキツい…


仕方ないからその日はラグを敷いて、その上で寝た。
来客用の予備の毛布は先に送っておいたからそれを使った。


翌日は日曜日。
前日、結構動いて疲れていたからゆっくりしていた。


午後からその辺を散策。
ショッピングモールが徒歩15分くらいのところにあった。
車は処分したし、自転車もナシ。
妊娠9ヶ月の私が2歳半の子を連れて歩いて通うのはキツいと感じた。


旦那と話し合って次の金曜日までは毎日コンビニ弁当を食べる事になった。
その週の土曜日から、私は出産で里帰りする事になっていたから。



No.44 12/09/08 20:22
匿名0 ( ♀ )

里帰り先は私の母方の祖母の家。
私の実家は社宅から新幹線と電車で5時間半の距離。仕事以外の事はほとんどできない父しか居ない。
祖母の所までは新幹線で2時間半で母も居る。
引っ越したばかりだけど、私は里帰りの準備を始めた。


私の父と母は私が22歳の時に別居した。
うちの上の子が2歳の時だった。


母方の祖父は末期癌で何度も入退院を繰り返していた。
でもこの時は本当に危ない状態で、医師からも年が越せるか分からないと言われていた。
そんな中、父が母に早く帰ってこいと電話してきた。


PC関係が全くできない父。
文書作成も自分の仕事なのにできないからといつも母に頼んでいた。
それの期限が迫っていた。


母は父に、おじいちゃんがどうなるか分からない状態だから帰れないと言ったけど、父は酷く怒って帰るように言ってきた。
母は仕方なく「すぐ帰ってくるから待っててね」と言って祖父の元を離れた。


No.45 12/09/08 20:37
匿名0 ( ♀ )

新幹線と電車を乗り継いで3時間半程で自宅に帰ってきた母。
帰ってすぐに病院から連絡があり、祖父が危ないと言われた。


母は文書作成をせず、急いで病院へ向かった。
病院に着いた時には祖父は息を引き取っていた。


祖父は、母が病院を出て少ししてから気分が悪いと言い始めたそうだ。
その後トイレに行くと言い、戻ってきたら吐血し始めた。
苦しみながらずっと母の名前を呼び続けながら亡くなっていった。


母はそれを聞いて泣き崩れたらしい。
あの時帰らなかったら…と、ずっと後悔し続けた。
そして父を恨んだ。


それから色々あり、母は父に黙って出て行った。
私は母の居場所を知っていたけど、父には言わないでと言われていたから父に聞かれても知らない振りをした。


母は1週間程ホテルで過ごし、その後母の実家へ向かった。


No.46 12/09/08 20:57
匿名0 ( ♀ )

それでも責任感の強い母。
月1回くらいのペースで自宅に帰っては父の仕事と掃除をして祖母の元に帰って行っていた。


祖母はすごく細かくて厳しい人。
母が祖母の家で父の仕事を手伝っているとブツブツ言ってくるらしい。
その内喧嘩になる事が多くなってきたから母は近くに部屋を見付け、そっちへ移り住んだ。


母が移り住んだのは1LDKの部屋だった。
LDKが14畳で部屋は7畳。
結構広い。
母は1日置きに、祖母の様子を見に作ったおかずを持って通っていた。


No.47 12/09/08 21:17
匿名0 ( ♀ )

週の真ん中あたりで里帰り先の祖母の家に荷物を送った。
そしてその週の土曜日の朝、旦那と駅に向かった。
母と祖母へのおみやげを買って新幹線の切符を買った。


旦那に「まだ慣れないだろうけど仕事頑張ってね。メールと電話するね」と言って新幹線に乗った。
私は寝てくれない息子の相手をずっとしていた…


駅に着いて少ししてから母が車で迎えに来てくれた。
「結構渋滞してたから遅くなっちゃった。ごめんね~」と言いながら荷物をトランクに乗せてくれた。
車の中では話題が切れる事なく母とずっと話していた。


30分程して祖母の家に到着。
「おばあちゃん、元気だった❓今日からお世話になります」と言いながら部屋に上がり、仏壇の前に行って手を合わせた。


「おじいちゃん、来たよ。○○(上の子)大きくなったでしょ。お供えここに置いとくね」
祖父が亡くなってまだ半年経っていなかった。

No.48 12/09/08 21:41
匿名0 ( ♀ )

月曜日、紹介状を持って車で10分くらいの市民病院へ母に連れて行ってもらった。
祖父が入院していた病院で、私も1回だけお見舞いに来たことがある。


受付けを済ませ、診察。
母子手帳に37週と書かれていた。
週数がズレてる…
あれ❓っと思い「今、36週のはずなんですが…」と言うと、医師に「予定日から見たら37週だよ」と言われた。


紹介状を見せてもらうと、予定日が1日と書かれてあった。
前の病院では8ヶ月の終わりまでずっと予定日は10日と言われていた。


まさか「0」の書き忘れ…❓😨
それを訴えたけど、医師は紹介状の方を信じてしまった。
そこから週数がズレたまま、41週を迎えたけど出てこない。
(実際にはまだ39週)


結局、41週4日で促進剤を使い、出産となった。
母子手帳にもそう書かれているけど、実際は40週での出産。



No.49 12/09/08 21:59
匿名0 ( ♀ )

入院中は母が上の子を預かってお世話してくれていた。
5日間の入院の後、私と下の子は祖母の家に帰った。
祖母は「○○ちゃん(私)お疲れ様。可愛らしい男の子やねぇ。おじいちゃんが生きてたらすごい喜んだ思うわ」と言った。


嬉しいような悲しいような…
反応に困った。


続けて「ありゃー、この子つむじが3つもあるわ。頑固になるでぇ」と💧
そしてオムツ替えの時に息子の太もものシワを見て「○○ちゃん(私)、次の子も男の子やわ。太もものシワが1本やったら男の子で2本やったら女の子って言われてんねん」


次の子はまた男の子なんだ…💧
男の子ばかりか…


No.50 12/09/08 22:12
匿名0 ( ♀ )

毎朝ご飯を食べた後に祖母が次男の沐浴をしてくれた。
そしてお昼ご飯の時間まで祖母と話し、お昼を食べたら私は2Fに上がって寝てた。
話の内容はは大体、祖母が昔体験した話。


祖母とは子供の頃から盆正月の年2回しか会ってなくて、私や妹弟の受験がある年は行っていなかった。
私は17歳の時から行ってなくて、20歳の時に祖父のお見舞いで一度訪ね、それから2年以上経って祖父の葬儀で会った。


それから約半年振り。
こんなに長く一緒に居た事がなくて、気を遣ったりしてそれが結構ストレスだったりした。


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