生き残った魔女
領太とかえでは、学校帰りに不思議な家を見つける。
家の住人は、やがて領太の周りと、心の中に波紋を広げていく…
遠くで、のんびりと鳴き続ける鳥の声がする。
風があたたかくなって、下校の時は、汗が出るくらいだ。
「おにいちゃん、待ってー !」
後ろから、妹のかえでが走ってくる。
僕は、早く家に帰ってテレビを見たいから、無視しようかと思ったけど、お母さんから、
「ちゃんとかえでの面倒をみてあげてね」と、いつも言われてるので、しぶしぶ、立ち止まる。
かえでが、僕に追いつき、黄色い上ばき入れにしがみつく。
「何すんだよ」
僕が上ばき入れをふり回すと、それがかえでの頭にあたって、
「じゃあ、お手手つないでよー !」と、泣き出してしまう。
めんどくさい… と思いながら、僕は、
「そしたら、これにつかまれ」と、上ばき入れにかえでをつかまらせる。
「… アイス、食べたいなぁ」
「… 宿題する間、おとなしくできる?」
「うん」
「よし。帰って、ランドセル置いたら、アイス買って来てやる」
「私も行く!」
「そしたら買わない! おまえは留守番してろ!」
かえでが、怒って上ばき入れをぐいっとひっぱる。 僕も負けずにひっぱり返して、小さな妹の力が、強くなってることに気がついた。
次の日曜日。サッカーの試合でチームがボロ負けして、予定より早く終わったので、僕は、応援に来ていたかえでと、トボトボと家へ帰っていた。
「残念だったね、おにいちゃん」
「 …… 」
「ねぇ、ユニフォーム、やぶれてるよ」
「うるせーな」
「お母さんにおこられるよ」
かなりテンションが下がっていた僕は、憂うつな気持ちになり、少し足を早めた。スニーカーの底が、じゃりじゃり音をたてる。
車の通らない裏道を歩いているので、まわりが、すごく静かだ。
コンクリートでふたをしたみぞのわきに、小さな草がたくさん生えている。
しばらく歩いていると、かえでが、
「おにいちゃん」
と、声をかけてきた。話したくない気分だったので、そのまま黙って歩いていたけど、かえでの足音が後ろから聞こえてこないので、くるっ、と、ふり返ってみた。
赤いオーバースカートのかえでが、曲がり角に立っている。
「何やってるんだよ」
かけよってみると、かえでは、小さな人さし指で、 「このおうち、だれか住んでるの?」
と、向こう側を指さした。木造の家にはさまれて、小さな庭が見える。
かえでが早く歩けないから、うでをぐいっと引っ張ると、また、こいつは怒りだす。
「そんなにはやく歩かないでよー !!」
「おまえが寄り道するからだろ!」
「サッカーで負けたくせに!」
僕は、かえでのうでをふりほどいた。「じゃ、1人で帰れ!」
怒鳴った後、しばらく早足で歩いて、後ろめたい気持ちになって、かえでをふり返ると、あいつは、じっと、さっきの道ばたの所で立ちすくんでいる。
しかたなく後戻りして、うらみがましそうな顔のかえでの手をとる。
「ほら、帰るぞ」
そう言うと、やっと、かえでは歩きはじめた。
砂利道を1人で走ってたら、ころんでしまい、ズボンのひざが汚れてしまった。
土ぼこりをはらって、絵の具入れのバックを拾い上げ、ふと前を見る。
この間通りかかった時、あの家は、カーテンが開いてた。
あー、遠くへ行きたいなあ、
聞いたこともない街の名前をたどっていると、電話のベルが鳴り響いた。
受話器を取ると、いきなり、
「あ、領太くん? かえでちゃん、眠たそうだから、迎えにきてねー 」
と、明るい声が飛び込んできた。たぶん、みのりちゃんのお姉さんだろう。
正直なところ、宿題がまだ途中なので、断りたかったけど、一方的に電話が切れてしまったので、しぶしぶ家の鍵を持って玄関に向かう。
なんだか、幼稚園の先生になった気分だ。
みのりちゃんの家に行くと、かえでは、かなり機嫌が悪くなっているようで、何かグズグズ言っていた。「もう、おうちに帰る…
」
玄関に集まってきたお姉さんたちが、心配そうに、 「かえでちゃん、おなかが痛いみたい」
と、かえでの手をひいてきた。
「帰るぞ」
僕が言うと、かえでは、わざとらしくおなかをおさえながら、「バイバイ」と、みのりちゃんたちに手をふった。
「ケーキと、バナナと、ジュース飲んだら、おなかが痛くなった… 」
「ふーん」 僕は、相手にしなかった。どうせいつもの仮病(けびょう)だ。
まだ、夕陽が出る前の明るい道を、てくてくと歩いて行くと、裏道の途中に、あの家がある。
かえでがなかなかこないので、しばらく立ち止まって、木戸のすき間から家をながめていた。
そういえば、小さい頃、このへんで、みんなと紙ひこうきを飛ばしたことがあった。たぶん、あの草むらのあたりに落っこちた紙ひこうきが、たくさんあったと思うんだけど、町内の清掃委員の人が、拾って捨ててくれたのかな…
そんな事を考えていたら、前から人がやってきた。 「こんにちは」
「こんにちは」
近所の人だと思って、あいさつして顔をあげたら、見慣れない女の人だった。 お母さんと同じくらいの年の人で、少しパーマがかかった濃い茶色の髪が、肩ぐらいまで伸びている。
もしかしたら、この人が―――
「今、学校の帰り?」
その人は、にっこり笑って、僕に聞いてきた。
「いいえ。妹の友達の家に行ってきて… 」
かえでは、いつのまにか僕のすぐ後ろにきている。 「妹さん? こんにちは」 「… こんにちは」
僕が答えようとすると、かえでが、
「おばさん、この家の人?」
と、聞いた。
「そうよ」
「いつ、おひっこししたの?」
「…… つい最近」
僕は、かえでの手をとって、「もう、帰るぞ」と言った。
夕陽がさして、あたりが明るいオレンジ色になっている。
「おにいちゃん、おなかいたい」
「いいから帰るぞ」
「おなか痛いんだったら、お茶飲んでいく? お薬は今ないんだけど、病気がよくなる中国のおいしいお茶があるのよ」
かえでの目が、輝いている。飲みたい、といわんばかりだ。
「おいで。中に入ったら?」
かえでが、とことこと、そのおばさんの後をついて中に入っていく。
僕は、あわてて、止めようとしたが、つられるように、結局家の玄関まで来てしまった。
セメント色の小さな玄関に、ぽつんと、女物の赤いサンダルがそろえてある。その横に、ほうりなげるように脱ぎすてた、かえでのビニールのサンダル。
奥のほうから、カタカタと何か音がしている。
僕は、ためらったけど、かえでの事が心配だったので、ゆっくりと、きしむ廊下を歩きだした。
せまい廊下のつきあたりに、台所があった。何か大きな丸いやかんの中から、こげくさい匂いがする。
「はい」
かえでが、おばさんから、小さな湯のみを受け取っている。
何のためらいもなく、一口お茶を飲むかえで。
「…… へんな味」
おばさんは、顔をゆがめて、ちょっと笑った。
「これはね、夏になると白い花が咲く草なのよ」
「おばさん、お花を育ててるの?」
「おばさんは、育ててないの。おばさんの、妹が、育ててるの。 …… お名前は? なんていうの?」
「かえで。おにいちゃんは、領太」
「そう」
窓から夕陽がさしこんで、木のかべが、明るい茶色になっている。
動きまわりながら湯のみのお茶を飲むかえでが、テーブルの影の中で見えなくなる。
「おばさん、どこからおひっこししてきたの?」
かえでが、湯のみをテーブルに置きながら聞いている。
「遠い町よ」
「とおい町? 笹山町より、もっととおく?」
「もっと、ずーっと遠い町」
窓の外から、雑草が風に吹かれて、揺れてるのが見える。
僕は、ふっと、ここにいちゃいけない、と思った。 もしかしたら、このおばさんは、この家の人じゃないかもしれない。引っ越してきた後、そのまま残っている親せきの人とかかもしれない。
家の中が片付いて、この家の人が帰ってきたら、僕たちは、怒られてしまう。子供は、もう家に帰ってないといけない時間だ。
「帰ろう、かえで」
かえでは、赤いオーバースカートをひろげて、ぺたん、と、赤ん坊のように床に座り込んでいる。
「帰るぞ」
僕が強く言うと、かえでは、ゆっくりと立ち上がって、おばさんに聞いた。
「また、おうちにきてもいい?」
「いいわよ。また、学校の帰りにでも、おいで」
そして僕は、「おじゃましました」と言って、かえでの手を引っ張った。
「バイバイ」と手をふるかえで。おばさんは、湯のみをカタンと流しに置いて、「バイバイ」と微笑んだ。
開けっぱなしの玄関の外に出ると、夕焼けになっている。
赤い色がまぶしくて、ちょっと、目をつぶった。まぶたの裏がぼんやりする。 「おにいちゃん」
僕は、赤い夕焼けの中で、いつもの道を歩き始めていた。
「おにいちゃん」かえでが、ぐいっと、シャツをひっぱる。
「…… なんだよ」
「おなかいたいの、なおった」
「ふぅん」
「80点めざしてがんばりなさいって、先生が、言ってくれたんでしょ?」
「…… うん」
「領太は、やればできるんだから」
さっきから、ずっと新聞を読んでいたお父さんが、「おい、コーヒー」と、カップをお母さんに渡す。お母さんは、す早くコーヒーをついで、トン、と、お父さんのランチオンマットに置く。
「お父さんからも、ちゃんと言ってよ。最近、この子、サッカーばっかりやって、宿題忘れたりすることがあるんだから」
「学校の事は、お母さんに任せる」
「あら、もうすぐ父兄参観もあるのよ」
「たぶん仕事だから」
「え? 今度は行けるって言ってたじゃない。私も、仕事入れちゃったわよ。この間、佐藤さんの奥さんと交替してもらったから、休めないわよ」
「時間ずらしてもらえばいいじゃない。店長さんにお願いして」
「簡単に言うけど… パートの仕事も人手が足りなくて大変なのよ」
お母さんの機嫌がますます悪くなりそうだったので、僕は、コーヒーカップとお皿を片付けながら、言った。
「別に、二人とも仕事なら、いいよ。どうせ、クラスの半分くらいしか来ないんだし」
お父さんとお母さんが、じっと、僕を見ている。お父さんは、ひろげた新聞を手に持ったまま、お母さんは、コーヒーポットを持ったまま。
こういうとき、二人とも、すごく顔が似ている。兄妹みたいに、とかいうんじゃなく、なんか、同じキャラクターの、フィギュアの人形同士みたいに。
「… でも、先生から、お母さんたちに、お話とかあるんじゃないかしら」
「わかんない。別に、そんなこと言ってなかったみたいだけど」
「まあ、ほんとに大事な話だったら、あらかじめそういう連絡があるだろう。仕事の都合をつけてでも来て下さいって。そうじゃないんだから、大丈夫じゃないか?」
お父さんがそう言っても、お母さんは、まだなんとなくすっきりしない表情をしてたけど、ちらっと時計を見た瞬間、その表情はふっとんだ。
「いやだ、もうこんな時間!? ほら、はやく支度して! かえで、はやく食べなさい!」
かえではといえば、おもしろくなさそうな顔で、もそもそとトーストを口にほおばっている。
「まだ食べてるの、かえで。学校に遅れるわよ」
せかされても、かえでの様子は変わらない。
ふてくされた顔つきで、ゆっくりとアゴを動かしている。朝、不機嫌なのは、お母さんゆずりだ。
僕も、朝はあまり好きじゃない。家族がみんなそろうからだ。
お父さんとお母さんは、いつも、なにかピリピリとした会話をやりとりしている。くすぶり続けて途切れてしまうバクダンの導火線のようだ。
お母さんは、黙って洗い物とかをしている時でも、そのピリピリ感を周りに漂わせていたりする。それで、なんだか、一緒に部屋の中にいたくなかったりする。
最近、家の中で一人きりになった時、ほっとして、心の中がスッとする。
かえでは ―― 最近だいぶ一人で遊ぶようになって、だんだんうるさくなくなってきた。
お人形の着せ替えなんかをしてるかえでの気配を感じると、少し、やわらかくてあたたかい気持ちになる。やっぱり、兄妹だからかな。
好きな女の子がそばにいても、こんな気持ちになんかなれない。ドキドキしてしまうだけだ。とても居心地が悪くなる。
やがてやっと朝ごはんを食べ終わったかえでが、相変わらずむすっとした顔で、のそのそ着替えをしている。お母さんにうるさくせかされながら、すっきりしない感じで、水色の長そでシャツに紺色のスカートというかえでの着替えが終了する。
その日の休み時間。トイレに行って、廊下を一人で歩いていたら、担任の、若い女の先生から呼び止められた。
「領太君、今度の父兄参観は、おうちの人、来るの?」
「いいえ」
「お父さんもお母さんも、お仕事?」
「はい」
「そう」
先生は、サラサラした長い髪を後ろで一つに束ね、ちょっと困ったような顔で腕を組んだ。お化粧は、あまりしていない。女子が、「先生、もっとオシャレしたら、きれいになるのにね」と、ウワサしているのを聞いたことがある。
でも、きれいな人って、どんな人なのか、僕にはよくわからない。
テレビの中で、「きれいですねぇ」と言われている女の人の顔を見て、そうかな、と思うことがよくあるからだ。
小さい頃、お母さんが、僕にとって、すべての女の人の中で「基本」となる存在だった。
にっこりと、やさしく笑ったお母さんの顔、それが、僕が初めて女の人を「きれい」だと思った顔なんじゃないかと思う。
そんなとりとめのない事を、僕は、先生が考えこんでいる短い間に、ふっと思った。思いめぐらした、のではなく、小さい頃の記憶が、パッ、と感覚的に、頭に浮かんだのだ。
「… ちょっと、お母さんと、お話したかったんだけどな」
やっと口を開いた先生は、困った顔のままだ。先生のまわりを、少し重たいオーラが取り囲んで、僕のほうにまで伝わってくる。
「…… 」 重たいオーラが伝染した僕の心が、固くじわじわと沈んでいく。
廊下や、教室のあちこちから、ふざけあうみんなの声が響いてくる。はやく、このいやな空気から逃れて、あの明るいところへ行ってしまいたい。
「領太君、最近、どの教科も成績が下がってるでしょ? ちょっと、心配なんだよね。サッカーに熱中するのもいいけど、勉強も、大事だからね」
「 …… 」
視界のはしに、友達の祐二の姿がうつる。すぐそこにいるのに、すごく遠くに感じる。
「領太君は、もともと頭はいいから、余計、そう思うんだよね。そういった事でお話したかったんだけど… しょうがないな、そのうち、また機会があれば、その時に… とにかく、勉強、がんばりなさいよ」
「はい」
返事をしたと同時に、チャイムが鳴った。解放の、チャイムだ。
でも、解放されたとたんに、また、教室の席に座って、先生の授業を受けないといけない。
授業って、時々ニュースで言ってる、「軟禁状態」なんじゃないかな、って思う。自分の自由が、取り上げられてしまって、強い相手(先生)の指示に、従わないといけないから。
その日は、算数とか、音楽とか、嫌いな科目ばかりで、なんだかしんどい気持ちで放課後になった。
サッカーの練習は休み。友達の祐二と、昨日見たアニメのヒーローたちの決め技について、しゃべりながら帰る。
「だからさぁ、あそこで、スペシャルバトルローリングダウンを使わなかったのが、失敗だったよなぁ… 」
そのうち、祐二の家へと続く曲がり角に着く。
「明日、コンパスいるんだっけ?」
「当分いるっていってたじゃん」
「方眼用紙もいるよな」「うん」
「あー、かったりぃなぁー、最近の算数、全然おもしろくねー、毎日サッカーだけやってたいぜ」
嘆く祐二。僕は、思わず笑って答える。
「ありえねー 」
「ありえねーな 」
僕たちは、顔を見合せて、ニッと笑い、「じゃ、バイ、」と、言って別れる。 やがて、近道へ入る。アスファルトの道から、じゃり道へと変わり、まわりも、木造の古びた家並みが多くなる。
しばらく歩くと、このあいだ中国のお茶をすすめてくれたおばさんの家にさしかかった。
今日は、いるのかな… と、何気なく門から中をのぞくと、おばさんは、庭に立っていた。最初、後ろ向きだったけど、僕がおばさんの姿を見つけた、その数秒後、ふいに、僕のほうをふり返った。
「 …… 」 僕は、門のこちら側で、ちょっとギクッとした。おばさんは、そんな僕の気持ちにおかまいなく、明るく声をかけてくる。
「あら、領太くん、こんにちは」
「こんにちは」
「今、学校の帰り?」
「はい」
「かえでちゃんは?」
「1年生だから、お昼までで帰りました」
「そう」
もうすぐ夕方だけど、まだ日射しは明るい。
おばさんは、ごわごわした白い長そでシャツのすそをジーパンの上に出している。このあいだより、少し顔の色が白っぽく見える。 「入ったら?」
「え?」
「今日は、ジュース出してあげる」
とまどいながら、僕の足は前へふみ出した。心の半分は、まだ警戒している。 「宿題があるから、帰ります」と言ってしまおうか、と、頭の中がぐるぐる回転する。
「さぁ。遠慮しないでおいでよ」
それでもまだ、玄関に近づこうとしない僕を見て、おばさんはちょっと笑い、 「じゃ、縁側で飲む?」と言った。
なんとなく、その笑顔を見てると、言われたとうりにしたほうがいいような気がして、「はい」と答え、うながされるまま、縁側へと向かう。
おばさんは、はだしにはいた青いサンダルをカタカタいわせて、玄関の中へ消えた。
「あんまり、楽しくない」
「どうして?」
「すぐ、勉強しろ、って言われるし‥サッカーするのは面白いけど、お母さんも先生も、サッカーより勉強が大事、って感じだし‥」
「ふうん」
そのまま、おばさんは、明るい庭をながめていた。
茶色い髪の毛が、風が通るたびにふわふわする。
「…おばさんは、学校、楽しかった?」
「学校?うーん、どうだったかなあ。そうねぇ、自分が通ってる時は、楽しいなんて思わなかったなあ。でも、こうやってふり返ってみると、あんなに楽しかった時なんてなかったなって思うわね。すごくいい時期だった」
「どんなふうに?」
「言葉にできないくらい、楽しかった」
おばさんの顔は、白っぽく輝いていて、まぶしかった」
おばさんは、いつもはだしだった。はだしでペタペタと、薄茶色の床を歩く。
ガスレンジの横には、ガラスびんの中に、たくさんタバコの吸いがらがつまっていたが、僕たちの前で吸うことはなかった。
かえでは、戸棚に並んだ動物柄の皿が気に入って、よくおばさんに出してもらっては、あきもせずじっと眺めていた。
そして、夏が過ぎた。夏休みが始まってからは、サッカーの練習と試合が忙しく、あまり、おばさんの家にも行けなかった。
あと数日で、夏休みも終わる頃。僕は、野球帽をかぶって、友達の家から帰ってくる途中だった。
ふと、背後に人の気配を感じた。ずっと、後をつけている。
気になってふりかえったら、そこに、鋭い目つきの男がいた。
暑いのに、うす汚れた感じのこげ茶の長そでシャツを着て、変な黒い毛糸の帽子をかぶっている。
すごく、イヤな感じの顔だった。僕をにらんでいる。
わけがわからず、僕は、その場から逃げようとした。その時だ。
「おい」
男の声が、僕をつかまえた。逃げられない力のこもった声だ。
「おまえ、上田小学校だろ」
「…はい」
「上田小の、何年だ?」
「‥…4年です」
Г4年なら、関山のクラスだろ?あ?そうだろ?」
「関山先生は、3組です。僕は、2組の佐藤先生の…」
「ウソつけ。関山だろ?関山に決まってる。おい、おまえ、関山に言っとけ。俺は、あの先公にひどい目にあわされたんだ。リンチだよ、リンチ。わかるか?いじめよりひどいやつだ。俺は、それでな、仕事もまともにつけない。全部、関山のせいだ。
あとな、小峰ってのもいる。これはな、中学だ。おまえもな、上田中に行けばわかる。小峰のクラスにはなるなよ。
人生、台無しだ。おまえさぁ、関山に言えるか?俺の今言ったこと、言えるか?おい、おまえ、いくつだ?」
僕は、体の芯から、おそろしさがこみあげてきた。
その男の目からは、何かものすごく邪悪な光が出ているように思えた。
おばさんは、タバコを銀のうすっぺらい灰皿でもみ消した。
「…ヘンな人に、会った」
「へぇ」
「あいつ、絶対おかしい。変質者だ」
「世の中は、まともな人間よりおかしな人間のほうが多いのよ」
僕とおばさんは、しばらく見つめあった。そして僕は、木のイスをひいて、ストンと座りこみ、おばさんが今言った言葉を頭の中でくり返した。
─このおばさんは、いったい何者なんだろう。
働いている様子もない。笑ったとき、顔のところどころにしわができるけど、お母さんと同じくらいか、少し若いような気もする。どうやって生活してるんだろう。
なんで、この家に、一人で住んでるんだろう。
これらの疑問は、僕にとって、推理するには難しすぎた。
とにかく、僕は、あの変な男から逃げ切った。また、学校帰りに顔をあわせないだろうか。そう考えると、ちょっと怖かったが、事の一部始終を聞いたおばさんから、
「大丈夫よ。もしいたら、またうちに走っておいで」
と言われたら、なんだか、大丈夫だ、という気がしてきた。
めずらしく、お父さんが、お母さんより帰りが早かった。
お母さんは、9時くらいに、疲れた顔で仕事から帰ってきた。
「ああ、もう。食器片付けてないの?」
不機嫌にガチャガチャと食器を重ねて、流し台へと運んで、勢いよく水を出して洗い始める。
「明日もこのくらいだから。もっと遅くなるかもしれない。お店の終了時間が長くなるらしいのよ、やっぱり。夏物の一掃セールが始まるから、その前に在庫の片付けが多くて。
もうちょっとバイトの子たちが夜も入ってくれればいいのに。要領ばっかりいいのよね、最近の子は。いやならやめればいいって感じだから、店長の前でも堂々としたもんよ。堂々とサボってるもの。まったく。バイト代で海外旅行とか行くらしいわよ。いいわね、生活がかかってないから、気楽で」
洗い物の最中も、お母さんのグチグチは止まらない。
お父さんは、知らん顔で、ナイターを見ている。ネクタイも取らず、着替えもせず、ソファーを占領して横になっている。
最近は、お母さんも、「聞いてる?」というつっこみさえも、入れなくなった。聞いてても、聞いてなくても、グチは続くのだ。
「かえで、お風呂に入った?」
「うん。お兄ちゃんと入った」
「そう。お父さんも、早く帰ったなら、かえでをお風呂に入れるくらいしてくれたらいいのにね」
「お母さん」
僕は、お母さんのグチが途切れたすきに、今だ、と思って、口をはさんだ。
「僕、今日テストで、87点だったよ。算数で80点以上とったの、僕と、山口くんと…」
「ああ、領太」
お母さんは、いつもとちがう表情で、僕を見た。
僕は、やっとテストでいい点をとったのに、なんだか、予想してたのとちがう流れを感じて、体がこわばった。
小説・エッセイ掲示板のスレ一覧
ウェブ小説家デビューをしてみませんか? 私小説やエッセイから、本格派の小説など、自分の作品をミクルで公開してみよう。※時に未完で終わってしまうことはありますが、読者のためにも、できる限り完結させるようにしましょう。
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