因果応報
良い行いをすれば、良い事が返ってくる。
悪い行いをすれば、悪い事が返ってくる。
因果応報。
私の身内に起きた、まさに因果応報な出来事…。
あなたは、良い行いをしていますか?
それとも、悪いと思われる事をしていますか?
※思い出しながら書くので、時間が掛かる事があると思います。
※文章力など乏しいので、読み難さもあると思います。出来る限り頑張ります。
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- 年齢性別必須
因果応報。
今年の五月上旬。
長年、爺ちゃんをいじめていじめて、いじめ抜いてきた婆ちゃんに、ついに因果応報な出来事が起きた。
骨粗鬆症。
背中の骨が潰れたり、砕けたり。
激痛で夜も眠れず、ベッドから起き上がる事も出来なかったらしい。
真夜中に何度も、気が狂ったような悲鳴を上げていたと、爺ちゃんが言っていた。
婆ちゃんは極度の人嫌いで偏屈。
救急車で運ばれるのは人の目があるから嫌だと、断固拒否。
翌朝、爺ちゃんが車でなんとか整形外科に連れて行き、そのまま入院。
母が言っていた。
『今まで爺ちゃんをいじめてきたから、自分に返ってきたんだわ』
…と。
今は退院したけど、散歩にも行かず動きもしない。
爺ちゃんが言ってる。
『あれはまた近い内に病院に逆戻りになるぞ、運動しなかったらダメだ』
私もそう思う。
そんな因果応報な出来事を書いていきます。
良ければお付き合いくださいませ。
私は26歳。
今年で27歳になる。
自慢出来るような人生を送ってきた訳でもないし、コソコソ隠れなきゃならない人生でもない。
極々、平凡な生活を送ってきた。
学生時代にいじめられたりはしたけれど、それなりに普通の人生を、今も送っている。
私は、昭和60年に生を受けた。
家族は父、母、三つ上の兄。
生活はいつも火の車で、貧乏な生活。
それでも、両親は子供達に惨めな想いをさせたくはないと、少しでも周りの子供達と同じように育てたいと必死だった。
近所の友達が新しいオモチャを持っていたら、欲しいものを買ってくれたり、楽しい思い出作りにとキャンプには毎年連れて行ってくれた。
やりくりは、とても大変だったと思う。
そんな私は、小さい頃に母からいつも言われてきた。
『悪い事はしちゃダメだよ、尊が悪い事をしたらお母さん悲しいからね』
『神さまはちゃんと見てるから、悪い事をしたら、その痛みを教えるために尊に悪い事が返ってきちゃうよ』
そんな母の言葉も空しく、私は子供の頃、とてもヤンチャでイタズラっ子だった。
母も苦労したと思う。
私は簡単に言うとガキ大将。
身体を動かすのが大好きで、勉強が何よりも嫌い。
小学校の頃は算数、中学からは数学が特に苦手で酷い成績だった。
その一方で神秘的なものが大好きで、古いものも大好き。古代の遺跡やピラミッドなど、謎を追い求める事が今も昔も大好きだ。
だから歴史や国語はそれなりだった。
兄は私とは正反対。
ヤンチャな私と真逆で物静かなガリ勉タイプ。小さい頃から頭が良く、私と違って食べ物の好き嫌いもない。
勉強が大好きで、身体を動かすのが大嫌い。
だけど長男だし、頭が良いから両親や親戚の期待は兄にばかり向いた。
私はいつだって蚊帳の外。
もちろん、いつも寂しい訳じゃなかったけど、両親は兄にだけは特に甘かった。爺ちゃん婆ちゃんも、長男だからと兄ばかり可愛がっていた。
だから自然と、兄は私を見下すようになった。
私が小学校に上がるくらいから、兄からの嫌がらせは始まっていた。
積み木やブロックを投げつけられて鼻血を出したり、額が切れて頭から血を流した事もある。
マイナスドライバーで手を刺されて、母が大慌てで病院に駆け込んだ事もあるらしい。今でも、その傷は残っている。
兄はそれら全て、笑いながら見ていた。その時の笑顔は、もう随分昔の出来事なのに未だに鮮明に記憶に焼き付いている。今では、まるで悪魔のようだったと思う。
『どうして妹をいじめるの!』
『何もしてない』
『お兄ちゃんがやったんでしょう!』
『なんで僕ばっかり怒るの?』
兄はいつも、怒られたら泣く。
それか黙り込む。
兄は『ごめんなさい』が出来ない子だったらしい。
『人に頭を下げるなんて絶対嫌だ!』と保育園児だった頃には言っていたらしい。誰かに謝った事なんてあったのだろうか。
今の私の記憶にハッキリと残るのは、大体私が小学校の4年生くらいの頃からの事…。
『みこちゃん、お引っ越しする事になったんだけど…』
『どこに?』
『ちょっと遠くに行くの、いい?』
『いいよ!』
『ありがとう、お友だちとお別れになっちゃうね、ごめんね』
『お手紙書くから、大丈夫!』
小学校の高学年に上がる前。
私たち一家は引っ越しをする事に。
山の中に住んでいたのだけど、車の免許を持っていない母は買い物など、とても困っていた。
日曜日にしか父の休みはない。
日曜日に買い物に行っても、買い忘れがあったり、思うように出掛ける事も出来なかったらしい。
そして、母は何より大の虫嫌い。
山の中の虫はとてもグロテスクだった…(笑)
私たちは当時、墓地の裏側に住んでいた。
時々、リスやキツネやヘビが家に遊びに来たりしたし、家の中にはネズミが多かった。母はその度に悲鳴を上げていた。
リスやキツネは可愛いと言っていたけど、ヘビがトドメだったらしい(笑)
特に、キツネやネズミは迂闊に触るとエキノコックスと言う病気を移されるので、両親はいつも警戒していた。
ある日のこと。
学校から帰ってきたら、母が居なかった。
兄と家に二人きり。
『お兄ちゃん、お母さんは?』
『うるさい』
『うるさいってことないでしょ!』
『うるさい、お兄ちゃんなんて呼ぶな、気持ち悪い』
『気持ち悪くない!』
『お前なんか妹じゃない!バーカ!お前みたいなバカなやつ、家族なんかじゃない!』
そう言われてマンガの本を何度も投げつけられた。
私はまた頭を打った。
額と瞼が切れて、わんわん泣いた。
頭も痛かったけど、何より心がすごく痛かった。
近所のスーパーに買い物に行っていた母が帰ってきて、また慌てて病院に駆け込んだ。
母が泣きながら父の会社に電話して、いつもより早く帰ってきてもらっていた。
父は家庭や子供の事にはあまり構わない人だったけど、慌てて帰ってきて、家族三人で話をする事に。
だけど、私の前以外では良い子ちゃんで通ってきた兄は両親に責められて暴れ回った。
『俺くん(←当時そう呼んでた笑)は何もしてない!どうしてあいつばかり庇うんだ!』
『そんなことしてないでしょ!妹をいじめて楽しいの!?』
『何もしてない!』
親が何を言っても兄は『何もしてない』の一点張り。
話になんてなる筈もなかった。
またある日のこと。
日曜日に、みんなでお昼ご飯。
父が台所に水を組みに、母が電話の対応をしていた時にいきなり兄にお腹を蹴られた。
お腹いっぱい食べていた私は、当然のように逆流。吐いた。
苦しそうな私の声を聞いて両親が慌てて戻ってきたら、大惨事。
テーブルの上が散々な事になっていた(汚くてすみません…!)
『大丈夫?どうしたの?具合悪いの?』
『お兄ちゃんが蹴った!』
『何もしてない!この嘘つき!』
また兄の『何もしてない』攻撃…。
それからはもう、両親も無駄だと判断したらしく何も言おうとはしなかった。
それが余計に悪かったのだとは思うのだけど。
いずれ父が爆発する事も、これから起きる事も知らないで…。
友だちの女の子に、私の兄と同じクラスのお兄ちゃんが居た。
気さくで、妹に優しいお兄ちゃん。
『お兄ちゃんと仲いいの?』
『うん、でもケンカも多いよ。みこちゃんは?』
『私は、仲よくない。羨ましいな』
そんな会話が日常茶飯事だった。
普通の兄妹にいつだって憧れていた。
普通に仲の良い兄妹に、なりたかった。
本当は私だって、兄に遊んでもらいたかった。
だから、なんとか普通の兄妹になろうと子供なりに頑張ったこともある。
『お兄ちゃん、新しいマンガ買ったよ』
『うるさい』
『ここに置いておくね』
兄が好きなマンガを買って読んでみたりした。
ちょっとでも兄の好きなものを見れば、話題が見つかると考えたんだと思う。
だけど兄にとっては、自分より下の者が自分より先にマンガの内容を知ってしまったのが面白くなかったらしい。
本は私の部屋に投げ返された。
中身をカッターで八つ裂きにされて…。
すごく悲しかった。
兄と同じクラスにお兄ちゃんが居る友だちは、不思議といっぱい出来た。
だけど、それがなんだかとても悲しかった。自分だけが違うみたいで。
友だちはみんな、お兄ちゃんと仲良しなのに。
公園で遊んで、帰りが遅くなったらみんなお兄ちゃんが迎えにきてくれたり、探しにきてくれたりする。
でも、私の兄だけは間違っても来てくれなかった。
友だちと遊んでる時は楽しい。
でも、その時間が近付くと悲しくなる。
『私だけ、みんなと違う』
母にそう言った。
『何が違うの?』
『みんな、お兄ちゃんと仲良しなのに、なんで私は仲良くできないの?勉強できない妹だから、嫌いなの?』
母は何回も『違うよ』と言っていた。
我ながら、ものすごく困る質問をしたと思う。
母が一番、その理由を知りたかった筈だ。
中学校に上がった頃には、お兄ちゃんと仲良くしたい、とは思わなくなっていた。
もう諦めていた。
『兄』とも呼ばなくなっていた。
そして、私は随分ヒネくれたと思う。
流石にもうガキ大将と言う事は無かったけど、相変わらずケンカは多かった。
元々がチキンだから、本当に悪い事(犯罪系)はしようとも思わなかったけれど。
そんな乱暴者でも、不思議と友だちは多かった。
だけど、ある日。
『気持ち悪い』
兄にそう言われた。
『お前は気持ち悪い』
なんでそんな事を言われたのかは覚えていない。
父が仕事で遅くなって、母が風呂に入っていた時だったと思う。
おやつにツバを吐かれて、何回も何回も蹴飛ばされた。
昔から繰り返し行われてきた暴力の所為で、泣き声も悲鳴も既に上げなくなっていた。
その頃は一応年頃に入っていたから、精神的に兄の言葉がショックだったのだろう。
私は、その日を境に食事が摂れなくなった。
匂いを嗅ぐだけで吐き気が込み上げてくる。
体重は見る見る内に落ちていき、60以上あった体重は36キロくらいまで落ちた。その頃は世に出てきてはいなかったが、一種の拒食症だったのかもしれない。それとも人が怖くなったのか。
判らないけれど、人前で食事が出来なくなった。
これは未だに治っていない。
当然ながら学校には行けない。
毎日毎日、起きる事も出来ない。
何も食べれない。
両親は心配して、色々な病院に連れて行ってくれたけど、当時は心療内科や精神科などは『頭のおかしな人が行く場所』とレッテルを貼る大人が多かった。
私の親もそうだった。
二週間近く何も食べられなかった。
少しずつジュースを飲めるようにはなったけど、固形物は全く食べれない。
結局、1ヶ月近く学校を休んだ。
その間も、看病に疲れて母が眠っている時に兄が部屋にやってきて、
『嘘ばっかりつくから罰が当たったんだな』
『気持ち悪いんだよ!そのまま死ね!』
『骸骨みたい、気持ち悪い奴!』
そんな暴言を何回も何回も吐かれた。
ベッドに寝ているのを引きずり落とされた事もある。床に落とされた後は何度も背中や腹を蹴られた。
ただでさえ空腹な腹は、あばらによく響いてものすごく痛かった。
その頃にはもう、色々なものが麻痺していたんだと思う。
『笑わなくなった』
『表情の変化が乏しくなった』
母に言われた。
とても悲しませていたんだと思う。
誰だって、自分の子供が無表情になったら嫌な筈だ。
特に母は優しかったから、きっと精神的な負担を掛けていたに違いない。
約一ヶ月かけて、やっと快復した。
体重はまだまだ戻らなかったけど、久し振りに学校に行った。
だけど、一ヶ月も休むと、それまで仲良かった友だちはみんな他のグループに行っていた。
声を掛けてくれる子は居たけど、みんな私の姿を見て逃げていった。
男子なんて近寄りもしなかった。
元々ふっくらだった身が、突然ガリガリの骸骨みたいになったんだ。
当たり前の反応だったんだと思う。
私はそれからはいつもひとりぼっち。
性格も暗くなっていった。
人目を避けるようになった。
鏡が大嫌いになった。
友だちなんて、一人もいなかった。
何よりも給食の時間がいつも苦痛。
食べ物の匂いだけで吐きそうになる。
心配してくれた先生に素直に話して、クラスのみんなにHRに話をしてくれたけど、逆効果。
『援交援交、妊娠してるんだよ』
『あんな気持ち悪いの、誰が相手にするの?』
『気持ち悪い』
『あんなにガリガリなのに、まだダイエットしたいんだ…だから食べないんでしょ…気持ち悪い…』
そんな陰口を、いつも聞こえるように叩かれるようになった。
『因果応報』
私がこの言葉を知って意味を理解したのは、中学三年生の時。
同じ中学の先輩だった女の子が居た。
彼女(A)は、中学の中でもいじめっ子のリーダーとして有名で、高校でもいじめ放題を繰り返していたらしい。たまに中学にも顔を出す事があった。
見るからに綺麗な人で、モテそうなタイプ。私とは真逆。
だけど、私は彼女で思い知った。
因果応報と言う事を。
ある日、日曜日に私が母と街に買い物に行った日だった。
たまたま、本当にただの偶然だった。
Aが友だちを連れて、私みたいな根暗っぽい女の子を街でいじめていた。
歩きながらAは、他二人の女の子と一緒にその子の服装なりなんなり色々なものを大きな声で貶していた。道行く人はその声の大きさと、彼女達が上げる笑い声に振り返ったりはするけど、助ける人は居ない。
『あんたってさあ、何しに○高に入ったの?』
『男ほしいからーぁ?』
『ぶりぶりしちゃってさー!』
『お前なんか生きてる価値ねーよ!あはははは!』
当時、特にチキンだった私も母と一緒に見て見ぬフリをしようとした。
だけど、その人はそこに居た。
その近くに。
髪の白い、おばあちゃん。
少しだけみすぼらしい格好をした、おばあちゃん。
そのおばあちゃんは、Aに近寄ると、言った。
『あなた、随分とひどいことをしてきてるね』
私はビックリして、思わず足を止めた。
まさか止める人が居るなんて思わなかった。
しかも、優しそうなおばあちゃんが。優しいから止めたのかもしれないけど。
だけど、当然Aやその友だちは、
『はあ?なにこのババア!』
『あっち行ってろよ!』
考えなくても判る反応だった。
だけど、おばあちゃんは動じない。
そのおばあちゃんには、ちょっと見覚えがあった。
街に来るといつも見かけた、おばあちゃん。
おばあちゃんはAに言った、ハッキリと。
『あなたはそろそろだよ、4の数字に気を付けなさい』
もちろん、彼女達は老婆の戯言としか思わなかったようだけど。
翌朝、私も母もゾッとした…。
怖くなった。
偶然だったのかもしれないけど、偶然にしてはあまりにも出来過ぎている。
昔から『悪い事はしちゃダメ』と言われてきたから、犯罪系には手を出す気は無かったけど、怖くなった。
その頃もまだ、当然のように兄からの嫌がらせは続いていた。
嫌がらせと言うより、立派な家庭内暴力だとは思うのだけど。
兄は私が中学一年の頃には高校生。
元々頭が良かったから、地元でも有名な高校に入学を決めた。受験も合格。両親は大喜び。
その時、父の勤めていた会社は倒産し、退職金が50万前後出た。
母は兄の合格が嬉しくて、それはそれは盛大にお祝いをしたものだ。
これまで頼んだ事もないお寿司の出前なんかを頼んだりして…(笑)
もちろん、
『頑張ったのは俺なんだから、あいつ(私)にまで美味いモンなんか食わせん。食いたきゃ自分で合格して食え!』
とか言われた。
母が兄が風呂に入った時にコッソリ持ってきてくれたけど、断った。
当然だ。
その時、父はまだ仕事から帰ってきてなかった。
新しい会社に入り、残業残業残業…出勤は朝の6時、帰りは日付が変わってから。
一番頑張ってくれてる父が、初めて頼んだ(笑)お寿司の出前を食べれないなんて酷すぎる。
クタクタになって帰ってきた父に、母がそれを話したらしい。真夜中にコッソリ私の部屋にやってきて、私の頭を撫でて出て行った。
父は寝ていると思ってたんだろうけど、空腹で寝れなくて、私は起きてた…(笑)
だけど、そんなお祝いも両親の嬉しい気分も即座に粉々に砕け散った。
それはもう、見事な程に。
母は兄の高校合格が嬉しくて嬉しくて、泣いて喜んでいた。
お祝いに30万以上を注ぎ込んだそうだ。
その兄が、たった三日で高校を辞めた。
学校に行ったフリをして、団地の階段に隠れていたらしい。
団地の階段は入り組んでいる、隠れるには絶好の場所なんだと思う。
『息子さんが昨日から学校に来ていないのですが』
担任の先生から連絡があって、母が大慌てで探しにいったらしい。高校の先生方も大勢で探し回ってくれたそうだ。
何時間も何時間も探し回って、警察の方々にもお願いしようと思ったとのこと。
諦めて一度帰ろうとした時に団地の階段を通り、上の階に逃げていく影を偶然見つけたらしい。
それが兄だった。
『階段の脇に、便が落ちてた』
『学校の人達にも迷惑掛けて、あんなところで用足して』
『お母さん恥ずかしい…!』
私が学校から帰ってくると、母は私を外に連れ出して、そう言って泣いた。
なんと声を掛けたら良いのか、全く判らなかった。
母は泣きながら、兄がしたと思われる便を片付けたらしい…。
Aが亡くなった当時、兄は既に高校を辞めており、すっかり引きこもりに近くなっていた。
ただ、家族が出払っている時はマンガを読みに行ったりゲームを買いには行っていたようだから、完全な引きこもりではない。今で言うニートだ。
高校を辞めてから、父が会社に頼み込んで兄も使ってもらえる事になった。
一日で辞めた。
父に赤っ恥をかかせただけだ。
新しく入ったばかりの会社…頭を下げて頼み込んだ父…どれだけ恥ずかしかっただろう、どれだけ肩身が狭かっただろう。
それからは仕事もしない。
免許と車があれば働いてくれるかもしれないと、両親は無理をしてでも自動車学校に通わせた。
免許は欲しかったらしく、兄は素直に通った。
何回か落ちたけど、無事に車の免許を取れた。
『あとは車があれば、仕事の範囲も広がりそうだね』
母とそう話していた時、兄が可愛い爺ちゃん婆ちゃんが『免許修得祝いに』と黒のLEVINを買ってくれたのだ。
普通乗用だ。
税金は当然ながら高い。
父も当時は普通乗用、税金はかなりのもの。
だけど働いて自分で払ってくれるはず。
誰もがそう思っていた。
しかし、私達はまた、兄にその期待を裏切られた。
免許を取った、車も買った。
それだけだった。
求人情報誌なんて、買っても買っても机に山積みになるだけ。電話すらしない。
結局、黒のLEVINは宝の持ち腐れ状態。
むしろ兄のマンガやゲーム購入の為の行動範囲を広げただけだった。
思えば、兄は守ってくれる人がいないと何も出来ない人。
中学だって『恐喝された』と虚言を垂れて護衛を付けてもらって学校に行っていたくらいだ。
その護衛は友人達。
毎朝毎朝迎えに来てくれていた。
ただ、兄は何か気に入らない事があると一言も口を利かなくなる。
ほんの一言でもプライドを傷つけられたり、気に入らない事を言われると護衛をクビにするような男。
遊びに来た友だちに膝枕をさせたりと、まるで王様のような振る舞いだった。
つまり、自分がチヤホヤされて持ち上げられないと気に入らないのだ。
ただ、その友だちも、ウチにゲームをしたくて兄と一緒に居ただけ。
当然だ。
そんな振る舞いを易々と受け入れてくれる寛大な人、そうそう居るはずがない。
今考えると、あまりにも情けない。
私が高校に入ると、兄の態度は露骨に変化した。
昼食の事を考えて、私は夜間の高校に進学。夜間の高校…つまり定時制。
当時の定時制は『バカが行くところ』と世間から猛烈にバカにされた、贔屓もかなりのものだった。
『修学旅行も夜行くの?』
『行事も夜なんでしょ?こっわw』
とか、いつもバカにされた。
入学式は何故か全日制と一緒。
しっかりとした真新しい制服を着込んだ全日制の新入生達の脇に、定時制の新入生達も並べられた。
定時制には制服が無かったから、みんな中学の頃の制服で(笑)
全日制の親達の目があまりに痛い…。
明らかな差別を感じられた。
兄もいつもバカにしていた。
『定時制なんか高校じゃない、幼稚園だ』
いつもいつも、そんな事を言っては私を蹴る。
確かに勉強は驚くほど簡単だった。
それでも数学は壊滅的だったけれど(笑)
一年生の頃は流石に大人しかったけど、二年生になるとみんな本性が出てくる。
授業中にも拘わらずカップメンを啜る奴や、トランプで遊び始める奴、持ち運び出来るプレステ?を持ち込んでゲームをしてる奴も居た(笑)
『明日彼女とお祭り行くんで、休みま~す』
そんな事を担任に断言する奴も居た。そして本当に来ない(笑)
課題さえこなせば先生方も文句を言わないのは問題だったと思う(笑)
だけど、優しい人達ばっかりだった。
工業系だから、周りは男子ばかり。
女子なんて数人しか居ない
女子にはいじめられる事がなかった。
むしろ、クラスの女子の彼氏達が嫌がらせをしてくる時期があった。
けど、気になんてならなかったし、相手にする気も起きなかった。
そんな場所でも、一応はれっきとした高校。
真面目に通うようになると、当然ながら両親の期待は私に向く。
中学では散々だった成績も、高校では常に上位。
担任の先生も、いつも褒めちぎってくれた。
『尊さんはしっかりしてる、良い生徒で良い娘さんですよ。同級生とも仲良くしてくれて、あいつら(笑)と違って授業態度もいつも真面目、成績も優秀、先生方からの評判も凄く良いです』
『いえいえ、そんな…(←母/笑)』
『勉強も出来てスポーツも万能、美術関係の才能も~云々』
高校なのに毎年家庭訪問があって、いつも担任の先生はそんな風に褒めてくれた。
ちなみに私の通っていた高校は定時制のみ4年間、その間の担任は固定。1年の頃からずっと同じ担任だ。
最初こそしっかりキッチリしてたけど、3年4年となると先生も友人の家に遊びにきたような感覚で緩かった(笑)
先生が散々褒めちぎって帰る度に母は大喜び、それを聞いた父もにこにこ。
だけどその分、兄からの暴言や暴力は酷くなった。
『定時制なんか幼稚園!そんな所で優秀なんかクソみたいなもんだ!目クソ鼻クソだろうが!図に乗ってんじゃねえ!』
それはそうだと思う。
普通の高校に比べれば、目クソ鼻クソだろう。
兄は兄なりに必死だったんだと思う。
私が高校を卒業するのが、怖かったんだ。そうなると、一応は高校卒業。中卒の兄とは違う、優位になると思っていたんだろうから。
その間も、兄からの嫌がらせは続いた。
母はその頃にはパートに出るようになり、両親は共働き。
昼間は兄と二人きり…当然ながら、兄がその時間を逃すはずがない。
毎日毎日、疲れて寝ている私に聞こえてように怒鳴り声を上げる。
『クソが!!』
『死んじまえ!テメェなんか!』
『クソが、ゴミが!!』
外面が良く、良い子ちゃんで通ってきた兄の本性だ。
妹に嫉妬の炎を燃やす醜い男。
親を私に取られた気がしたんだろう。
そんなんじゃないのに。
(あの男は私が学校を辞めれば良いと思ってる、誰が思い通りになんかなってやるか)
兄がそういう暴言を吐き散らし、暴力を振るう度にその決意は固くなっていった。
その間も、暴力は続き、身体は痣だらけ。酷い時は顔だって腫れた。
高校の同級生達はみんな優しかったから、いつも心配してくれた。
『姐さん、顔どうした?腫れてんぞ』
『また階段で転んだ』
『気を付けろって、何回コケるんだよ(笑)』
友だちだって、言えるはずがない。
みんな判ってたのかもしれないけど、惨めだから言いたくなかった。
私が18歳になると、両親の勧めで自動車学校に通うようになった。
兄はそれをバカにしていた。
『お前みたいなバカが合格する訳がない!金をドブに捨てるようなものだ!』
『やってみなくちゃ判らない!』
『やる前から判るだろうがゴミが!だからテメェはバカで救いようがねえってんだよ!死ね!』
そう罵っていた。
結果は、仮免本免ともストレートで合格。
兄の嫉妬と怒りは、また炎上した。
ちなみに兄も私も、どちらもマニュアルだ。これが、私がオートマ限定なら、兄のプライドはまだ保たれていたんだろう。
兄は何回か落ちた、私はストレート。
プライドの高すぎる兄が、素直に受け入れられるはずがなかった。
『教官が良かっただけだろうが!』
『問題が簡単だっただけだろ!調子こいてんじゃねえクズが!』
『くたばれ!野垂れ死ね!テメェなんか死ね!!』
暴言も暴言も、エスカレートした。
小学校卒業の際にもらったらしい小刀を、態とらしくチラつかせるようにもなった。
その小刀を突き付けられた事もある。
もちろん全て、両親の居ない昼間に、だ。
もちろん、その間も兄は仕事なんてするはずもない。
車の税金は、我が家にとってはバカ高い。一括では払えないから、何回かに分けて払うように毎年母と私で手続きに行った。
父の車はともかく、何故かあんな男の車の為に。
兄は家に誰かが居ると出掛けない。
自分の部屋を荒らされると思っていたんだろう。
だから冬の間はほとんど車になんて乗らない。私も母も寒いから、出掛けたがらない所為だ(笑)
そして当然、車のバッテリーはあがり、最終的には壊れた。爺ちゃんが怒って怒鳴り込んできた事もある。
すると兄は澄ました顔でだんまり。
都合が悪くなれば黙れば良い、そうすれば向こうがいつか折れる。
子供時代にそんな悪知恵を身に付けてしまったようだ。
(乗らないなら、貸してくれれば良いのに)
何度もそう思った。
そんな事をしようものなら、何をされたかは判らないけど。
『娘が免許取った!尊はやっぱり賢い子だ!』
父は大喜び、大はしゃぎ。
父さん偶然宝くじ当てて、新車を買ってくれた(笑)
『予算ちょっと足りなくて丸目のムーヴは無理だったけど…』
『角目良いよ、可愛い。ありがとう、父さん、今度この車で釣りにでも行こうよ』
ムーヴの角目、色はシャンパンゴールド。
わざわざ行きつけの車屋さんにお願いして、随分値引きしてもらったらしい。
父さんは本当に良い父親だ。
父は釣りが大好きなので、釣りの約束したらまた大喜びだった。
無事に高校を卒業。
今後の進路の希望はあったのだけど、自分で働いて専門学校に入りたかった。
私はアニメやゲームが好きで、声優になりたかったのだ。キャラクターや番組に命を吹き込むような素敵な仕事、元々私は人と接するのが好きで、喋るのも演劇も大好きだった。
地元は田舎だから、上京するか、大阪に行くかしなければならない。
しかし、働くとなると問題がある。
専門学校も問題がある。
そう、食事だ。
未だに食べ物の匂いだけで吐きそうになる。
でも、働くならワガママは言ってられない。働く内に治るかもしれない。
そう思って面接に行き、採用。
結婚式会場だ。
新しく出来たばかりの結婚式場、やることはたくさんあった。
初めての仕事、初めての接客業。
覚える事がいっぱいで大変だったけど、研修の時点で楽しかった。
お昼はやっぱり食べれなくて、同僚達と親睦を深められる昼休みのチャンスが私には無かったから、周りと打ち解けられなかったけれど。
楽しかった。
初めての仕事。
でも、すぐに終わりがきた。
その日は仕事の研修。
私は両親よりも遅くに家を出る。
スーツを着込んで、お弁当持って、必要なものも持って、戸締まりをして階段を降りようとした所だった。
団地の階段に続く廊下のドアを開けて、降りようとした時。
いきなり、後ろから押された。
咄嗟に手すりに掴まって振り返ると、これまで見た事も無いような形相の兄が居た。
(いつもだったら昼過ぎまで寝てるはずなのに…!)
その間も、無遠慮にグイグイ背中を押してくる。
私は両手に荷物を持っているし、昔は暴れん坊でも結局は女だ。力はそう強くない。
兄は不気味に笑って言った。
『死ねってずっと言ってきただろ?さっさと死ねよ』
そうして足を蹴られ、思い切り背中を押されて……
私は団地の、長い階段から突き落とされた。
実の、兄に。
明らかなる殺意と敵意で。
段数はあったけど、気を失うには至らなかった。
それが余計に苦しかった。
兄が階段を降りてくる音がする。
(また落とされる…!誰か助けて!)
怖かった。
この時ばかりは本気で命の危険を感じた。
打ち付けた背中や顔、首、腰。色々な部分が痛んで、起きようとしたら腕や特に足に激痛が走って身動きすら取れない。
だけど、時間帯が良かったのだ。
丁度下の階のお姉さんが私を見付けて悲鳴を上げてくれた。
そうなると兄の演技は絶妙なものだった。
【階段から誤って落ちた妹を心配する優しい兄】
を、演じた。
動けない私を抱き起こして必死に心配、…するフリ。
突き落とした張本人が、実に滑稽な事だ。
お姉さんが呼んでくれた救急車に乗せられ、私は病院に運ばれた。
両親が慌てて病院にやってきた。
右足は骨折。
肩や腕は打撲。
頭も打った。
頭を強く打った為に検査をされた。
取り敢えず大丈夫ではあったみたいだけど、起き上がる事も出来なくて入院。
ほんの数日間だったけど、兄の居ない場はとても気持ちが和らいだし、平和だった。
慌てて駆け付けてくれた両親に、兄が私を突き落としたのだと伝えた。
家に帰ってどんな話をしたのかは聞いていない。
退院してから家に戻っても、何も変わってはいなかった。
骨折した所為で、仕事は駄目になった。
流石に一人にはしておけないと、母はパートを辞めた。
だから家計は苦しくなる。
私も働けない、母も働けない。
経済的に苦しくなるのは、当たり前だった。
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少女漫画あるあるの小説www0レス 58HIT 読者さん
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北進10レス 217HIT 作家志望さん
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こんなんやで🍀123レス 1154HIT 自由なパンダさん
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「しっぽ」0レス 100HIT 小説好きさん
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わたしとアノコ142レス 1408HIT 小説好きさん (10代 ♀)
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西内威張ってセクハラ 北進
ブラック企業とさえ呼びたくないカス零細なぜなら問題が問題として取り上げ…(自由なパンダさん1)
72レス 2546HIT 小説好きさん -
こんなんやで🍀
逮捕とか…そんなワードがテレビから流れる事が多いけど… 私にしてきた…(自由なパンダさん0)
123レス 1154HIT 自由なパンダさん -
仮名 轟新吾へ(これは小説です)
【何度言えば解るのかな!】 何度も何度も言ってますけど、 あな…(匿名さん72)
175レス 2667HIT 恋愛博士さん (50代 ♀) -
神社仏閣珍道中・改
(光前寺さんの続き) その先を下ると、どっしりという表現がぴった…(旅人さん0)
200レス 6608HIT 旅人さん -
わたしとアノコ
「,,,さん!雪町さん!」 目を開ける。真っ白な天井に、少し固いベッ…(小説好きさん0)
142レス 1408HIT 小説好きさん (10代 ♀)
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人間合格👤🙆,,,?11レス 116HIT 永遠の3歳
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酉肉威張ってマスク禁止令1レス 124HIT 小説家さん
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今を生きる意味78レス 503HIT 旅人さん
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黄金勇者ゴルドラン外伝 永遠に冒険を求めて25レス 939HIT 匿名さん
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勇者エクスカイザー外伝 帰ってきたエクスカイザー78レス 1779HIT 作家さん
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人間合格👤🙆,,,?
皆キョトンとしていたが、自我を取り戻すと、わあっと歓声が上がった。 …(永遠の3歳)
11レス 116HIT 永遠の3歳 -
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酉肉威張ってマスク禁止令
了解致しました!(小説好きさん1)
1レス 124HIT 小説家さん -
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おっさんエッセイ劇場です✨🙋🎶❤。
ロシア敗戦濃厚劇場です✨🙋。 ロシアは軍服、防弾チョッキは支給す…(檄❗王道劇場です)
57レス 1389HIT 檄❗王道劇場です -
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今を生きる意味
迫田さんと中村さんは川中運送へ向かった。 野原祐也に会うことができた…(旅人さん0)
78レス 503HIT 旅人さん -
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神社仏閣珍道中・改
この豆大師についての逸話に次のようなものがあります。 『寛永…(旅人さん0)
500レス 14816HIT 旅人さん
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いじめなのか本当に息子が悪いのか
小学4年生の息子の母です。 息子が学校で同じクラスの女の子のお尻を触ってしまうというトラブルがあり…
70レス 3140HIT 教育に悩むママさん (30代 女性 ) -
私が悪いのですが、新入社員に腹が立ちます。
中間管理職です。私が悪いのですが、腹が立つので聞いてもらいたいです。 新入社員の部下が試用期間が終…
12レス 356HIT おしゃべり好きさん (30代 女性 ) -
言い方とか、誹謗中傷等したりはやめて下さい。原因はなんだろね
腰痛になり整骨院通い始めたんだけど 相変わらず、行けばまぁ治るんだけど休みの日(病院が休み、自分も…
21レス 344HIT 聞いてほしいさん -
ひねくれてますか?
母親から愛情を受けずに育ちました。 日常生活はめちゃくちゃ、人間関係を築けず、で大人になりました。…
24レス 806HIT 心の病気さん -
私の人生観、おかしいですか?(長いです)
30歳を過ぎ、自分の考えに疑問に思うことが増えたので、聞いていただきたいです。 私は20歳を過…
14レス 352HIT 相談したいさん -
低収入だけど優しくて暴力(DV)をしない旦那ならいい?
世田谷区の住宅地とか港区のタワマンに住めるくらいの高収入だけど毎日ストレスがたまって暴力(DV)を振…
16レス 392HIT おしゃべり好きさん - もっと見る