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誕生日のお祝いについて

ビー玉

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ass( 40代 53IEnb )
22/12/16 21:45(更新日時)

昭和42年、日本は高度経済成長期真っ只中、俺ん家だけは食うや食わずの戦後状態と何等変わらなかった。



そんな中、俺は8男1女の7男として誕生した。



これは、想像を絶する極貧一家真実の物語である。



No.1737720 12/01/23 15:59(スレ作成日時)

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No.1 12/01/23 17:52
ass ( 40代 53IEnb )

『誕生』



俺は、昭和42年1月に未熟児としてこの世に生まれ落ちた。


産婆さんが、生まれたばかりの俺を抱き上げ
残念そうにこう言った。


「この子は、ようもって1週間やな。」


お母ちゃんは、それを聞いて、
「なんでこの子だけ、こんな目にあわなあかんのん。」と号泣した。


相反するお父ちゃんは、
酒を呑みながら
「あかんもんは、しゃーないやろ!」と悲嘆に暮れるお母ちゃんへ吐き捨てるように言った。


当時、お母ちゃんは、お父ちゃんからいい放たれた台詞に耳を疑ったらしい。


そして、勿論入院も出来ず、お母ちゃんと、まだ小学生低学年だった姉ちゃんの必死な看護のお陰で、
何とか山を越え瞳の青い7男が高村家に加わった。


No.2 12/01/23 19:55
ass ( 40代 53IEnb )

>> 1 産婆さんも俺がすくすく育っていく様子に驚きを隠せないでいた。


定期検診の度に
「いつ死んでもおかしないって、思とったけど、こんな子は、大病にもかからんと元気な子に育つで。」とお母ちゃんに話してたそうだ。


やがてお母ちゃんの体調も回復し、出生届けを出しに行く際、
有ろう事か俺が何日に誕生したかを度忘れし、
直ぐ上の兄貴も同じ1月生まれなので、同じ誕生日にしたらしい。


大雑把なお母ちゃんらしい判断だ。


お母ちゃんには、他にも大雑把なエピソードがある。


俺達兄弟は、人工乳で育てられた。

なぜか俺だけ粉ミルクを嫌がり飲もうとしないので、

ものは試しに人肌程度に温めた牛乳を与えると飲みだしたので、それを機に俺は牛乳で育った。


粉ミルクは高いけど、牛乳だったら安く買える。
「お前は生まれた時から、うちが貧乏って知っとったんやな。」と生前お母ちゃんが話してくれた。


No.3 12/01/24 07:24
ass ( 40代 53IEnb )

俺の生家は3軒長屋の一角で、
2畳間、6畳間、3畳間の台所、風呂なしトイレありの間取りだった。


長男、次男は既に自活していたので2人を除き
両親を含め9人が所狭しと暮らしていた。


赤ん坊の俺は、畳に敷かれた座蒲団の上で無造作に寝かされていた。


やんちゃ盛りの兄ちゃん達が、
しょっちゅう狭い部屋でほたえるから、俺は度々誤って踏んづけられ
酷い時は部屋の隅まで転がされ、
それに気付いた姉ちゃんが
慌ててベビー布団代わりの座蒲団に乗せるを繰り返していた。


俺は踏んづけられても転がされても泣き声をあげないので、姉ちゃんが
うっかり気を取られると
部屋の隅でそのまま眠っていたらしい。


その頃、お母ちゃんは病院での付き添い婦に復職していた。
泊まり込みの時は、飲んだくれのお父ちゃんと子供達だけになる。

なので、姉ちゃんが見様見真似で家事を一手に担ってた。



No.4 12/01/24 12:17
ass ( 40代 53IEnb )

お父ちゃんは、無職ではなかった。

腕の良い旋盤工だったが、
目が覚めたら酒を呑みだすので、自宅から目と鼻の先にある会社から
わざわざ迎えが来ていた。


そして、お父ちゃんの給料は、酒代とお父ちゃんの為だけの食費でほぼなくなる。


お父ちゃんは暴君として君臨していたが、
それも思春期を迎えた兄ちゃん達の反逆により
やがて衰退し
お父ちゃんの末路は悲惨だった。


No.5 12/01/24 18:56
ass ( 40代 53IEnb )

ある日、姉ちゃんが俺を外で抱っこをしながら
あやしていた。



その時、ぽつりぽつりと雨が振り出し、姉ちゃんは慌てて洗濯物を取り込み始めた。


洗濯物を手早く取り込むのに夢中だった姉ちゃんの腕から俺はするっと落ちた。


落ちたことだけでも不運だが、更なる不運は落ちた箇所だった。



姉ちゃんの足元にドブがあり、
その中へまっ逆さまに落ち、両足だけを覗かせすっぽり嵌まった。



姉ちゃんは、洗濯物を放り投げ必死に俺の両足を掴み、そこから引き上げようとしたが、


ドブの幅と奥行きが、まるで誂えた上着の様に
上半身のサイズにジャストフィットで中々抜けない。


姉ちゃんは渾身の力を振り絞り
どうにかこうにかドブから俺を引き上げた。



すると俺はきょとんとした表情で、ヘドロの中から無事生還した。



姉ちゃんは早速頭からホースで水をじゃぶじゃぶ掛けヘドロを洗い流し事無きを得る。


俺はその時、恐らくヘドロを飲み込んだかもしれない。



余所の親なら即座に病院へ連れて行くだろう。



しかし、我が家は例外で軽い病気や怪我は、自然治癒能力に任せる。


あれから数日間経ち、傷だらけの顔で相変わらず
牛乳をごくごく飲む姿を見て、お母ちゃんと姉ちゃんは一安心したそうだ。



No.6 12/01/25 06:41
ass ( 40代 53IEnb )

『幼児期』


独り歩きが出来る様になった頃、

お気に入りのひよこの柄が入った黄色の長靴を履き、とことこ近所の公園まで出掛けた。



砂場へ直行すると、手で掘れるとこまで一心不乱に穴を掘る。



それに飽きると、次は履いていた長靴を脱ぎその中に砂を詰める。


両方の長靴の中が砂で満たされると、一気にぶっちゃけるを繰り返し遊んでいた。


周囲の同年代の子供達は、母親と楽しそうに玩具を使いながら遊んでいる。



俺はその光景を横目に単調な1人遊びに興じる。



すると頭上から声がした。

「外人が、また長靴に砂入れて遊んどうで。」



声のした方へ目を遣ると、いつもの苛めっ子達だ。


幼児期、瞳がやや水色だった俺は、年上の苛めっ子達にしょっちゅう、からかわれていた。



一瞬、手を止めそいつらを睨み付けると又、砂遊びを再開した。



俺は瞳の色のせいで、周囲の者達から好奇の目で見られていた。



しかし、この憎々しい瞳のお陰で、俺は他の兄弟より恵まれることが多々あった。



No.7 12/01/25 13:58
ass ( 40代 53IEnb )

俺はある出来事が切っ掛けで、
お母ちゃんが市場へ行く時は必ず同行した。


お母ちゃんが馴染みの店に立ち寄ると、愛想のいいおばちゃんが俺を見るなり近付きこう言った。


「いやぁー
可愛い子やなぁ
お人形さんみたいやなー
そうや僕、ちょっと待っときや。」

おばちゃんは
一旦、店の奥へ行くと両手一杯の飴玉を俺に差し出した。



それを見て一瞬、躊躇いお母ちゃんの方を見上げると


「折角くれたんや有り難う言うてもうとき。」


「おばちゃん有り難う。」と言いながら沢山の飴玉を受け取った。


ポケットに全部収まらず、あくせくしていると
お母ちゃんが指を差しながら
「ここに入れといたらええ」の声に従い割烹着のポケットに飴玉を入れた。



それから、飴玉を1つ口に入れた。



俺は飴玉がポケットから零れ落ちないように手でしっかり押さえながら、お母ちゃんに着いて歩いた。


家に戻ると言う迄も無いがこの後、
激しい飴玉の争奪が起こり結局俺は、市場で食べた飴玉が最初で最後の1個になった。



No.8 12/01/26 12:02
ass ( 40代 53IEnb )

兄弟達が、保育所、小学校へ行ってる間、留守番はしょっちゅうだった。



なぜなら、俺だけ保育所へ通っていなかった。



お母ちゃんは、入所させようと何度か試みたが、
頑な態度に根負けし、結果1人で留守番することになった。



たまにお父ちゃんが家にいる時は、悪さもしていないのに、しょっちゅう怒鳴られる。
それが恐くてずっと外で過ごしていた。



昼御飯時、家の前にしゃがみ蝋石で地面に絵を書いてると



近所のおばちゃんが「どないしたん正夫君、また1人でお留守番か?昼御飯はもう食べたんか?」と声を掛けてきた。



俺は咄嗟に昼御飯は食べたと嘘を吐いた。


おばちゃんは
「そうかぁー
ほな遊びに来るか?」と俺の手を引きおばちゃん家へ連れて行かれた。



食卓の前へ座り
おばちゃん家で
テレビを暫く観ていると、目の前に卵焼きとごはんが置かれた。



「お腹すいとったんやろ?はよ食べ」



俺は、いただきますも言わずに夢中になって食べた。


「ご馳走さまでした。」と手を合わせると

空になった食器を1つずつおばちゃんが片付けながら、「そうや正夫君、桃の缶詰めも食べるか?」と勧められ、俺は昼御飯とデザートまで御馳走になった。



社交辞令なんて、子供にほぼ通用しないものだ。



四六時中、腹を空かしている俺にとってお呼ばれこそ命の綱だと
この日、実感した。



そんな俺を知る由もないおばちゃんは帰り際、
「お腹が空いたら、いつでも来たらええんやで。」の気紛れな一言を
発端におばちゃん家では、
招かれざる小さな客へ頻繁に昼御飯を振る舞う羽目になる。



No.9 12/01/27 10:58
ass ( 40代 53IEnb )

お母ちゃんは、米さえ食べていれば生きていけると心底解釈していた。



だから、俺ん家の晩御飯は給料日以外の献立は
きな粉に砂糖を混ぜ合わせそれを飯にかけた物と
具のない味噌汁を飯にかけた物だけだった。



何せ、それだけの年数明けても暮れても、きな粉掛け御飯を食べてきた
所為で、今では安倍川餅が食べられなくなった。



給料日には少量のじゃがいも、人参、玉葱だけ入った
カレーを作ってくれた。



コンロが隠れる程の大きなアルミ製の鍋で作ってくれたが、大体3日もすればなくなる。



余所ん家は、それでお仕舞い。
だが俺ん家は、それに水を入れ、鍋肌にこびりついたカレーをしゃもじでゴシゴシ刮げる。
そこに飯を入れグツグツ炊き食べる。
それを繰り返している内に、到頭僅かにカレーの味がする粥になった。



最後鍋の中は洗ったかと思わせるぐらいピカピカで空っぽになる。


俺達だけは、そうやって食べる事に必死だった。


しかし、お父ちゃんは毎日ステーキ、メンチカツ、ハンバーグなど
洋食ばかりナイフとフォークを巧みに使いながら、
白米を食べずパンを添え俺達を尻目に旨そうに食べていた。



兄ちゃんがお父ちゃんに一口でいいから分けてくれと頼むと
「旨いもんが食いたかったら、己で稼いで食え!」と怒鳴り付けた。


稀に、お父ちゃんは途中腹が一杯になり残すことがあった。

そうなれば激しい残飯の争奪が勃発する。

俺は毎回兄ちゃん達に片っ端から取られ、渋々皿を舐めていた。



No.10 12/01/27 20:33
ass ( 40代 53IEnb )

昼御飯は近所で御馳走になり
腹拵えも終え、
俺は早速お気に入りの黄色の長靴を履くと探険に出た。



探険に出るといっても、ただひたすら行ける所まで真っ直ぐ黙々と歩き続けるだけだった。



見慣れた景色を眺めながら歩いているうちは、とてもワクワクした。



数キロ歩いた地点で急に不安になり、道端にしゃがんで泣いてると
見知らぬおばちゃんが声を掛けてくれた。



そのまま交番に連れて行かれ
警察官が俺の顔を見るなり
「何や高村さんとこの僕やないか」と言われ家へ送って貰った。


玄関先で、警察官が「こんばんは」と声を掛けると
お母ちゃんが出て来ていきなり俺の頭を拳骨で殴った。



そして、お母ちゃんは事情も聞かずに土下座しながらすみませんと平謝りした。

「今度はこの子まで人様にご迷惑をかけましたか?」
と尋ねた。



その間、兄弟達はパトカーに群がり
口々に「わぁー
ほんまもんの
パトカーや、めっちゃかっこええなぁ。正夫これに乗ったんか?」
と羨ましがっていた。



ぞろぞろ近所から野次馬が集まりだし、「どないしたんや、また何かあったんか?」と
聞かれた俺は
「知らん。」とだけ答えた



お母ちゃんは俺が家にいないことを全く気付いてなかったらしい。



警察官から経緯を聞かされ、驚いた様子で又すみませんと謝っていた。
そして、警察官は直ぐに帰って行った。



俺はこれに懲りず同じ騒動を数回繰り返した。



お母ちゃんはついに怒り心頭に発する。
そして、俺のお気に入りの長靴を捨てると言い出した。



それだけは勘弁して欲しいと哀願すると堪えてくれた。



そして、この日を境目に俺の探険は一旦終わった。




No.11 12/01/28 07:52
ass ( 40代 53IEnb )

今日もきな粉掛け御飯を食べ腹一杯になった。



飯を何杯もお代わりして、満腹になった訳ではない。



きな粉掛け御飯は口に入れると一気に、きな粉が唾液吸う。

お茶なんて俺ん家には端(ハナ)からないから、飯が喉に詰まる前に大量の水道水と共に飲み込む。



それで必然と満腹になるという訳だ。



晩御飯を食べ終え寝るまでの間、毎日暇をもて余してた。



テレビのチャンネル主導権はお父ちゃんにあり、決まって
NHK放送が流れている。
だから、俺達兄弟はテレビを殆ど観ようとしなかった。



ある日の晩、俺はこっそりと玄関へ向かい例の長靴を掴むと外へ出た。



途中長靴を履くと近所の公園へ行った。



到着した瞬間、俺は昼とは違う光景に興奮した。



なぜなら、遊具全てが俺専用に見えたからだ。

そして、片っ端から遊んだ。
年上の悪ガキ達にいつも占領されていた念願の特殊な形の滑り台は、何回も滑った。


最後に砂場へ行った。



ふと目を遣ると忘れ物のスコップが落ちていた。

それを使うと砂場の底まで、やっと穴を掘ることが出来た。



俺はこのまま
スコップを手放すのが惜しくなり、
拝借することにした。



家路を辿りながらさっきまでの楽しかったことを思い出すと、自然と笑みが零れる。

明日も公園へ行こうと思った。



最初は存分に遊べることが嬉しくて公園へ通った。



だが、途中から公園へ通う目的が変わっていった。


No.12 12/01/28 21:43
ass ( 40代 53IEnb )

夜の公園には宝物が転がっていた。



昼間遊んでいた子供達が置き忘れた遊び道具や、
壊れて捨てられた玩具などを俺は夢中になって拾い集めた。



ポリスチレン製の片方の翼が折れた飛行機は、1番のお気に入りだった。


これら全てを家に持ち帰ると
お母ちゃんに叱られると思ったので、近所の空き地に作った俺だけの基地に隠しておいた。



さあ今晩も宝物を探しに公園へ出掛けようとした時、突然雨が降りだしその日は中止にした。



雨降りの日は大嫌いだった。

雨漏りが酷いのでバケツ、鍋、ボウル、丼、茶碗、盥、ベビーバス、弁当箱を部屋のあちらこちらに配置し足の踏み場もなかった。



大降りの時は、直ぐ容器に雨水が溜まりお父ちゃん以外家族全員 交互に外へ捨てに走った。



寝る時は更に大変だった。



各自雨避け対策として
雨合羽を着て寝る奴や
頭部だけ傘を翳し寝る奴。
この対策法は胴体が濡れるという最大の欠点があるにも拘わらず、実践している奴がいた。


ゴミ袋から頭だけを出し被って寝る奴、これに関してお母ちゃんは
ゴミ袋が勿体ないから止めろと注意していた。


俺は押し入れの下段に避難し
恨めしい形相でじっと天井を眺めながら眠った。


この雨漏りの所為で家の畳は
所々腐り部屋中
カビだらけだった。


しかし、この湿気た畳はあることに貢献してくれた。



No.13 12/01/30 07:14
ass ( 40代 53IEnb )

台所から姉ちゃんの声が聞こえてきた。

「もうやめぇや、そんなん入れんとってぇや!」

すると兄ちゃんが

「ええんや、ほんならお前だけ食わへんかったらええやろ!」と

台所で何やら揉めている。



「出来たでぇ、はよ食べや」と
姉ちゃんの呼び掛けに皆、卓袱台にぞろぞろ集まってきた。



茶碗に目を遣ると、いつも具のない味噌汁掛け御飯に何か混じっていた。



姉ちゃんは、
「私はこんなん食べへんからな」と言いながら、箸でそれを摘まみ出していた。



よく見るとそれは見覚えのある茸だった。



兄ちゃんは「やっぱり旨い。」と言いながらガツガツ食べ始めた。



「正夫お腹痛なっても知らんで」と姉ちゃんからの
警告を無視して俺も食べた。



後から聞くと畳を温床に生えた茸を兄ちゃんが毟り、姉ちゃんの制止をふりきって
鍋の中に放り込んだらしい。



兄ちゃんは家の中で成育する
しめじによく似た茸を、虎視眈々と味噌汁の具にして食べようと目論んでいたらしい。



結局誰もその茸を食べ腹を下すこともなく、
あれほど嫌がってた姉ちゃんもいつしか食べる様になってた。



毟り取っても
次から次へ生えてくるので、
味噌汁には必ず茸が入っていた。


ただひとつ難を言えば、食べ頃の
大きさになるまで暫く日数が掛かることだった。


No.14 12/01/31 00:51
ass ( 40代 53IEnb )

「さっさと順番に風呂へ入りや。」お母ちゃんに
急かされ風呂場へ行く。

風呂場といってもそこは便所である。



部屋は狭い造りだったが、便所は
やたら広かった
約2畳半はあったと思う。



台所の蛇口にホースを差し込み、
そこから6畳間を横切り便所の扉にホースが通る位の穴が2箇所あけてあり、そこへ通す。



ホースの先端には
じょうろが差し込まれ、シャワーと思しき物が設けられていた。



秋後半から冬の間は湯沸し器に
ホースを繋ぎ温かい
シャワーを浴びれた。
それ以外は水を浴びていた。



便所内はその都度片付けるのが面倒なので、椅子、石鹸箱、シャンプーが
年がら年中置いたままだった。
きっと、他人が
見れば奇妙な
光景だったと思う。



お父ちゃんは
家族の中で最も長湯だった。



そんな時に限って家族の誰かが必ず便意を催す。


早く出て来いとも言えず
また外での排便に抵抗を覚え、ただひたすら我慢していた。

世の中で長湯が原因で我が子に数え切れない程、殺意を抱かれたのは、
うちのお父ちゃんぐらいだろう。


No.15 12/01/31 19:59
ass ( 40代 53IEnb )

お父ちゃんは酔いが回ると決まって俺を呼び付けこう言った。



「お前を見とったら胸糞が悪い。
見てみい
お前だけ皆と目の色がちゃうやろ!」

しょんぼりと項垂れる俺に
追い討ちをかける様に、堪え難い屈辱的な罵声を浴びせた。



それを聞いてお母ちゃんが

「あんた、もうええ加減にしいや!正夫にそんな
ことまで言わんとって!」と
毎回俺を庇った。


お父ちゃんは狂った様に喚きながら、お母ちゃんを殴り続けた。



お母ちゃんはその時、決して泣かなかった。

小さな俺は
唯々泣くだけで、お母ちゃんを守ってあげられなかった。



お母ちゃんは殴られながら

「正夫こっちに来たらあかん、あっち行っとき!」と俺の身を案じてくれた。



俺は押し入れに籠もると嗚咽を漏らした。



瞳の色が皆と違う所為で、大好きなお母ちゃんは殴られる。



その上、周囲に好奇の目で見られる。



明日の朝になれば、必ず皆と同じ瞳の色に変わってます様にと
何回も唱えてる内にいつしか眠りに入った。



No.16 12/02/02 17:24
ass ( 40代 53IEnb )

今日も公園へ探索に出掛けた。



辺りは、空になった菓子の袋など
ゴミばかりで、
めぼしい物は見付からなかった。


諦めて戻ろうとした時、何か転がっているのを見付け、それに向かって走った。



手に取ると
それはビー玉だった。
ポケットへ仕舞うと早々に家へ戻った。



兄ちゃんに今日は何を拾ってきたか尋ねられた。


「なんやビー玉かしょうもなっ。
正夫このビー玉
お前の目ん玉とおんなじ色やで。」



嘲笑する兄ちゃんからビー玉を引っ手繰ると、俺はそのまま押し入れに籠った。



ビー玉をじっと眺めていると親近感が涌いてきた。


わざと捨てられたか若しくは
置き忘れなのか
俺には定かじゃないけど、
この水色のビー玉をポケットに忍ばせ
何処へ行くにも
こいつと一緒だった。



No.18 12/02/03 00:16
ass ( 40代 53IEnb )

都会では珍しく
雪の積もった
ある日、お母ちゃんが近所から夏の余り物の苺シロップを貰ってきた。



そして「さあ、好きなだけ雪を取っといで」の一声に



俺達は各自茶碗や丼を掴むと、
一斉に表へ飛び出した。



順番に苺シロップを掛けて貰い、
皆で旨い旨いと言いながら食べた。



今から考えると空恐ろしい行為だが、飢えてる俺達にとってそれは
最高のおやつだった。



そして、自家製茸により人並み
外れた免疫力を
与りお陰で胃腸は
たらふく食っても何ともなかった。



それより誰が
沢山おかわりを
したかで
壮絶な喧嘩が繰り広げられ大変だった。



「ちょっと待っとき。」とお母ちゃんはそう言いながら、空になった瓶に水を入れ上下に
激しく振った。



すると、即席苺
ジュースが出来た。
等分に注がれると一気に飲み干し、
あっという間に
苺シロップは無くなった。



No.19 12/02/04 18:05
ass ( 40代 53IEnb )

昭和40年代その頃には、まだ人情が溢れてた。



家族がまた1人増え益々食べ盛りな俺達の空腹を満たす為に

お母ちゃんは近所の八百屋に事情を説明して、

支払いを給料日に一括で支払う約束を取り付けた。



近所にお好み焼き屋もあり、
そこからいつも
旨そうな匂いが漂ってた。



ある日、
お好み焼き屋のおばちゃんが、
冷やごはんを全部持ってくる様に
声を掛けてきた。


兄弟数人で
大きな釜ごと運ぶとおばちゃんは

広い鉄板の上に
冷やごはんを
ざあーっと一気に空けると
ソースと天かすで
特製焼き飯を作ってくれた。



それを再び釜へ
戻し家に戻ると
皆で分けあって食べた。
今でもあの味は
忘れられないほど
最高に旨かった。


実はお好み焼き屋のおばちゃんに
お母ちゃんが数回
交渉した結果、
手間賃のみ支払えば、特製焼き飯を
月1回食べられる様に話がまとまっていた。



そして、ソースと天かすは無料でいいとおばちゃんから申し出てくれたらしい。



お母ちゃんは
付き添い婦でなく、営業職に就いていたら俺ん家は
若しかして貧乏ではなかったかもしれない。



No.20 12/02/05 12:35
ass ( 40代 53IEnb )

「正夫ちょっと表へ行ってみい。」お母ちゃんから
言われるがままに表へ出た。



すると、そこには自転車があった。


玄関先から
お母ちゃんに
自転車があると大声で言うと

「それな、もう要らん様になった
言うとったから、もうてきたんやで。」



三輪車すら買って貰えなかった俺は、嬉しくて
早速自転車に跨がった。



しかし、補助輪が既に外されており中々上手く乗れなかった。



その日から1人で自転車が乗れるまで、練習を重ね
たった1週間足らずで乗り方を体得した。



ボロボロのピンク色 でチェーン辺りに
お姫様の図柄が
入った自転車は、
俺だけの基地に
隠してある宝物
より1番大切な物になった。



これまで徒歩だった公園や
お使いは必ず
自転車で行った。


そして、幸福感が絶頂な時に
又しても災難に襲われた。



No.21 12/02/06 09:34
ass ( 40代 53IEnb )

今朝、お父ちゃんは仕事を休み既に泥酔だった。



他の家族は
いつもと同じ
時間帯に
其々出掛け、
お父ちゃんと俺だけになった。



それが堪らなく
苦痛で、俺は愛車に跨がり探険に出発した。



ただひたすら
真っ直ぐ進むだけの探険だが、
いつもより遠くへ行き、
その目新しい景色にワクワクした。



途中、初めて立ち寄る公園で水を
ガブガブ飲み腹拵えをしてから更に
進んだ。

暫くすると車が
沢山行き交う
道路に到着した。


交通の量に一瞬たじろいだ。
しかし、気を取り直しビュンビュン
車が行き交う
道路脇にある歩道を今度は進んだ。



スリリングな探険に
高揚すると、
自然にペダルを
急加速で漕ぎ始め
気付くと、あたりはもう薄暗くなっていた。



一旦、自転車から降りると
先程とは打って変わって、
見慣れない景色に不安を覚え、
やがてそれは
恐怖心へ
切り替わった。



為す術もない俺は、その場でしゃがみ込んだ。



ポケットに入ってるビー玉を取り出しぎゅっと握り締めながら、
このまま家には
戻れないと思うと
涙がポロポロ零れてきた。



するとパトカーが傍に止まった。



警察官から、
あれこれ質問されたが、俺はただ
泣きじゃくるだけだった。



そして自転車を
パトカーの
トランクに積み込み
家まで無事、送り届けて貰った。



お母ちゃんは、
いつかこの様な事を仕出かすと予測し、あらかじめ
自転車に住所と
氏名を書き込んでおいたそうだ。


因みにお母ちゃんは、捜索願を出していなかったらしい。



機転を利かせた
警察官のお陰で、俺は家に戻れたと今も思っている。



No.22 12/02/06 15:14
ass ( 40代 53IEnb )

『学童期』


ピカピカの1年生の中にボロボロの
1年生がいた。



ランドセルも制服も
全て、兄ちゃんのお下がりだった。


文具も買い与えて貰えず、
家に転がっていた鉛筆を1本拾い
それをランドセルに入れた。



当時は然程、気にならなかったが
想起すれば、
物がない所為で
他の生徒と比べ
随分不便な
学校生活だった。


入学して楽しみな事と言えば、
給食が食べられることだった。



なぜなら、家で
兄ちゃん達から
散々話しを
聞かされ、俺も
早く給食を食べたかった。



俺は学ぶ為では
なく、食べる為に休まず学校へ通った。



No.23 12/02/08 08:01
ass ( 40代 53IEnb )

俺は高村家の
お使い係だった。


あのお父ちゃんでさえ、唯一お使いを頼んだ時だけ感心してた。



他の兄弟達は
直ぐに戻って来た例しがない。



俺は全速力で、
行きと帰りを
自転車で買いに
走った。



「早かったな、もう帰って来たんか、ほんま助かるわ。」とお母ちゃんに
褒められることが、ただ嬉しかった。



ある日、米を買いに行くよう頼まれた。



俺は全速力で
米屋へ行き
そこで、1升買った。



でこぼこした道を
重い米を前籠に
乗せ、必死にペダルを踏んだ。



ガタンと大きな
音をたて、
道の窪みを通過した途端、米袋が前籠から
勢いよく飛び出し地面に落ちた。


慌てて米袋を拾いに走ると
落ちた衝撃で
米袋は敗れ、
其処いら中米が
飛び散っていた。


手で必死に掬い
米袋に納めようとしたが、袋が敗れていて上手く入らない。



焦って米袋を持ち上げた途端、
更に袋が敗れ
中身の米は全部
道に零れ落ち
途方に暮れた。



皆が、今か今かと腹を空かせ待っていることを思うと
途端に恐くなり、
米を放置して
家ではなく基地に向かった。



俺は基地で一晩
過ごした。

翌朝、誰も知らない筈の基地へ
兄ちゃんがやって来た。



泣きながら事情を話すと
「わざとやないねんから気にすんな、もうええから帰って来い。」と
兄ちゃんに連れられ家に戻った。


お母ちゃんに
兄ちゃんが、事情を話してくれた。


「あほやなあ、そんな事で、よう帰ってけえへんかったんかいな、誰もそんなんで怒らへんよ。」

お母ちゃんに
そう言われると
安堵感に包まれ、また泣きじゃくっていると

「もうええから、はよ学校へ行き。」と促され
慌てて登校した。


No.24 12/02/08 18:42
ass ( 40代 53IEnb )

俺達兄弟の下着、靴下、洋服は近所から貰った
お下がりだった。


竿から外され
無造作に山積み
された洗濯物の
中から、適当に
サイズの合う物を
選ぶというものだった。



そして、穴のあいてない靴下や
洋服を選ぶのに
朝から争奪が起こる。



俺はクラスメートに
指摘されてから、
どうしても穴の
あいてない靴下を履きたかった。


毎朝、兄ちゃん達に穴があいてない靴下を奪われるので、事前工作に踏み切った。



それは、夜の内に
こっそり穴のあいてない靴下を
選び出すという内容だ。



俺は穴のあいてない靴下を手早く選び出し、
寝床の押し入れに潜り込むと
それを枕の下に隠し、ほくそ笑んだ。



翌朝、兄ちゃん達の争奪を尻目に
靴下を履いた。



確かに穴はあいてなかった。

だが、サイズが合わずブカブカの靴下を履き学校へ行く羽目になった。


No.25 12/02/09 23:10
ass ( 40代 53IEnb )

穴のあいてない
靴下は例の手段でほぼ毎日、確保出来た。



後は、この履き
心地の悪さを
改善するために
苦肉の策を講じる。
それは、輪ゴムで
ずり落ちない様に上部でしっかり
止めるという方法だ。



学校から戻ると
早速靴下を脱ぎ、
ゴムで固定された部分が赤くなり
そこがとても
痒く、ボリボリ足を掻くことが日課になった。



そのせいで足は
常に傷だらけだった。



それを見て
お母ちゃんは蓬を摘んで来ると、
擂り鉢で磨り、
それを傷口に塗ってくれたが、
効能は然ほど
なかったことを
覚えている。



No.26 12/02/11 12:30
ass ( 40代 53IEnb )

学校生活に
慣れ始めた頃の
出来事だった。



下校時間になり
友達と教室を出ようとした時、
担任に居残る様に言い付けられた。


「どないしたん?」

「分からん、先に帰っといて。」



誰も居ない教室で、窓から外の景色を眺めていた。


暫くすると
ガラッと扉が開く音がした。



振り返ると担任は小さな紙袋を持っていた。



「明日から、これを使いなさい。」そう言うと紙袋を俺に手渡した。


中身がとても
気になりその場で開けると、
真新しい鉛筆
数本と消しゴムが入っていた。



先生の方を見るとにっこり微笑んでいらっしゃった。



短くなりすぎて
大変書き辛い
鉛筆を1本しか持っていなかった。


そして、頻繁に
隣の席から
消しゴムを借りていた。

しかし、徐々に
借り辛くなり
指で擦って消していた。



俺は先生に礼を言い足早に下校すると、一目散に押し入れに籠り
紙袋から鉛筆を
1本だけ取り出し、小型ナイフで削った。

そして、消しゴムも取り出し削った
鉛筆と一緒に
ランドセルへ入れた。


俺は先生のお陰で明日が来るのが、とても待ち遠しかった。



No.27 12/02/11 20:36
ass ( 40代 53IEnb )

>> 26
訂正


≫担任に居残る様に


担任から居残る様に



No.28 12/02/12 08:21
ass ( 40代 53IEnb )

お母ちゃんが
長期間、担当していた患者と
親しくなり互いに私的な会話を
交わす間柄になった。



その方は愛犬家で犬の話題が、絶えなかった。



実は貧乏にも
拘わらず、うちも兄ちゃんが
拾って来た犬を飼っていた。



俺達より酷い物を餌に出され
嘸かしサスケは辛かっただろう。



お母ちゃんも
その方にサスケのことを切り出すと
大変喜び、更に
そのことで
持ち切りになった。



その方は家族に
言伝し
ある日、サスケへ
高級感漂う
缶詰め入りの
ドッグフードを沢山下さった。



それを早速サスケに与えると、初め
困惑した様子だったが、
旨そうに喜んで
食べ出した。



お母ちゃんはサスケに「良かったな、こんなご馳走食べたことないもんな。」と頭を撫でた。



それを見て
兄ちゃんは、旨いものを
たらふく食べれるサスケにかなり
嫉妬した。



翌日、サスケに餌を
やりながら
ドッグフードを少し口に含んだ。
すると、余りの
美味しさについ飲み込んだ。



兄ちゃんは
自家製茸の時と同じ様に
これは食べられると確信した。



そしてお母ちゃんにサスケの餌を
横取りしたことがばれると
不味いので、
夜勤の時を狙い
皆で飯に掛けそれを食べた。



数日後、餌が急激に減っている
のでサスケが
お母ちゃんから
小言を聞かされていた。

「なんぼ美味しいからって、そんなにガツガツ食べたらあかんやろ!」

そして、兄ちゃんを呼び付けると
幾らサスケが餌を欲しがっても加減して与える様に
注意した。



サスケには
申し訳ないが、
これに関して
誰も口にすることはなかった。



なぜなら、
お母ちゃんに
こっ酷く叱られ、
俺達のドッグフードは隠されるに違いない。



普段喧嘩ばかりしているが、
こんな時だけは
暗黙の了解で
結束が強かった。


No.29 12/02/12 12:48
ass ( 40代 53IEnb )

自家製茸、猫の草、サスケの餌やら
兄ちゃんは常に
食べられる物を
探し求めていた。


姉ちゃんが
飯の支度に
取りかかろうと
台所に立つと、
兄ちゃんが今日は俺が作ると
言い追い払った。


その時、俺達は
きっと食品でない物が出されると
想像した。



台所から焦げ臭い匂いが漂ってきた。



姉ちゃんが、
「今日は我慢して、晩御飯は食べんとこ。」そう
ぼそっと呟いた。


「出来たぞっ!」卓袱台に置かれた物を皆、無言で凝視した。



姉ちゃんの判断は正しかった。



「ちょっと焦げとるだけやん、正夫はよ食えや。」


毒味担当の俺は
最初に食べる様
命じられた。


さすがの俺も躊躇った。



調理した当事者である兄ちゃんですら、手をつけられずにいる。



そして、卓袱台
から順に俺達は
離れて行った。



残ったのは、皿に乗る焼死体の蛙
7匹だった。



No.30 12/02/12 17:42
ass ( 40代 53IEnb )

俺達が殆どサスケのドッグフードを
食べ尽くした
所為で、心做しか
サスケがしょんぼりしている様に思えた。



俺はサスケにごめんなと謝りながら、残飯を与えた。



全く口を付けないサスケに何とか
食べさせようと
していると、
そこへ兄ちゃんが学校から戻って来た。



「なんやサスケまだすねとるんか、
ええ加減にせな
今度はお前を食うぞ。」



俺は心ない発言が許せず、兄ちゃんを睨み付けた。


「なんや正夫
文句があるんか!」
と凄まれた。



喧嘩では兄ちゃんに勝てないので、
サスケを連れて
黙って家を出た。


当てもなく、ただとぼとぼサスケと
一緒に歩いた。



蛙の一件以来、
平気で殺生する
兄ちゃんが
大嫌いになった。


そして、幼かった俺はサスケが殺されると信じて疑わなかった。



一体、どれぐらい
歩いただろう。



このままサスケを
家に戻すと大変なことになる。



首輪を外し
逃げろとサスケに
言った。
すると何の
躊躇いもなくサスケは走り去った。



俺はサスケが見えなくなるまで、
ずっと見守った。


けれども、サスケは
1度も振り返らなかった。



今から思うと、
サスケも貧乏生活にほとほと嫌気が
差していたかもしれない。



No.31 12/02/13 16:16
ass ( 40代 53IEnb )

毎朝、俺達は腹を空かしながら
学校へ通った。



給食当番の時、
後片付けの最中
何気なくパンケースの中を覗くと幾らか残っていた。


次の日も覗くと
やはり、パンが残っていた。



放課後、担任へ
余ったパンを貰えないか頼んだ。


担任は、快く承諾すると序でに
余った
マーガリンやジャムも
持ち帰りなさいと仰って下さり感謝した。



下校時間に
毎日、職員室へ
立ち寄りビニール袋にパンとマーガリンを詰めた物を貰って帰った。



貰ったパンは
直ぐに食べず
翌朝、朝食としてパンを囓りながら学校へ通った。



そして、運が
よければ果物や
デザートまで貰えた。



デザートを手に入れると日頃、
お母ちゃんに
成り代わり
家事を一手に
担う姉ちゃんへ
あげた。



姉ちゃんは、
とても嬉しそうに食べてくれた。


そんな姉ちゃんの様子を見ていると
俺まで
嬉しくなる半面、
どこか後悔して
いるのも本音
だった。



No.32 12/02/14 15:56
ass ( 40代 53IEnb )

瞳の所為で皆と
違う事には、殆ど慣れた。



だが、皆と一緒に学校行事に参加
出来ないのは、
とても辛かった。


特に遠足は前日の夜からワクワクして
心が弾む
学校行事の1つである。



しかし、俺達兄弟は遠足に参加
したことがない。


各自にリュックサックや弁当に詰める
おかず、おやつ、
水筒、その他
全ての物を
買い揃えることは困難だと理解
していたので、
遠足へ行きたいと駄々を
こねる者はいなかった。



俺は下校途中、
遠足のしおりを
ビリビリに破くと
溝に投げ捨てた。


No.33 12/02/15 15:42
ass ( 40代 53IEnb )

お好み焼き屋の
おばちゃんの
親戚が近所で、
豆腐屋を営んでいた。



学校からの
帰り道、豆腐屋の前を通ると
店主が、お帰りと声を掛け
必ず沢山の
おからを持たせてくれた。



そして、調味せずただ、炒っただけのおからを
お母ちゃんが作ってくれた。



ぱさぱさした
無味なおからが
苦手だった。



豆腐屋のおばちゃんは、俺が店の
前を通る度に
おからを持たせてくれるので、

おからを食べたくない余りに
わざと遠回りを
して帰る様になった。



それでも他の
兄弟がおからを
貰って来ると、
俺はおからを
残しこっそり
ビニール袋に詰めた。



次の朝、普段より早い時間に登校し、飼育小屋の
鶏にそれをあげると案外食べた。


「そんなに旨いか?また、持って来たるからな。」


それから、度々
鶏へおからを
せっせと届けた。


No.34 12/02/16 15:04
ass ( 40代 53IEnb )

筆者のつぶやき



本編は主人公の
正夫さんへ、
取材を元に綴っております。



主人公の次に
度々登場する
お母様は、料理が大の苦手だったそうです。



そして、心霊番組で取り沙汰される廃屋の様な
長屋は、家主の
意向で故意に
メンテナンスされなかったそうです。



今では跡形も
なくなり、当時の風景は随分
様変わりしたと
正夫さんは話していました。



ナノさんをはじめ
御愛読下さる
方々へ感謝の
気持ちをこめて
有り難う
ございます。



   ass・正夫



No.35 12/02/16 20:39
ass ( 40代 53IEnb )

クラスで飼育当番が割り振られ
俺の順番が回って来た。



鶏とは、既に顔馴染みだったが
兎小屋は初めてだった。



担任から兎の
餌小屋へ
連れられ、俺は
そこで衝撃を受けた。



沢山の野菜屑が
ゴミ袋に入れられ山積みされてた。


俺は、餌小屋は
常時鍵が
掛かってない
ことを好い事に、放課後侵入すると予め空にした
ランドセルに野菜屑を詰めると持ち帰った。



家に戻ると
誰にも気付かれ
ない様、ざるに移しておいた。



そして、
お母ちゃんに
野菜屑の
ことを尋ねられ、咄嗟に担任から
貰ったと嘘を吐いた。



お母ちゃんは、
鵜呑みにすると
それで野菜炒めを作ってくれた。


皆が旨そうに
食べる姿を眺めながら初めて、


道徳意識を
捨て去ることで
腹が一杯になることを覚えた。



No.36 12/02/17 17:42
ass ( 40代 53IEnb )

うちには、
お父ちゃん専用
調味料が
随時、常備されていた。



ウスターソース、ケチャップ、
マヨネーズである。



ある日、
兄ちゃんが、
お父ちゃんの
目を盗みマヨネーズを摘まみ食いした。



そして、俺達を
呼び集め
兄ちゃんは
掌を差し出す様に指図すると、
其々にマヨネーズを
絞り出し舐めてみろと言った。



それに従って
舐めるとマヨネーズの味に魅了され
皆、我先にもっと食わせろと
マヨネーズの
奪い合いになり、あっという間に
なくなった。



空になった容器を見て平常心を
取り戻すと
俺達は、始末に困った。



お父ちゃんに
ばれると大変な事になる。



そして、擦り合いの末、全ての
発端は兄ちゃんにあると多数決に
より一致した。



「なんでやねん、お前らも食っとったやないか!」とぼやきながら、
洗濯をしている
お母ちゃんの
方へ渋々行った。


向こうでボコッと
いう音が
聞こえたかと
思うと空容器を
手にしながら、

「正夫、マヨネーズをこうて来いっ!」
と兄ちゃんから
小銭を渡された。


それを拒むと
マヨネーズの空容器で頭を殴られ
ボコッと音がした。


自転車に跨がり
マヨネーズを買いに
出ようとした時、


「正夫、マヨネーズ
2つこうて来て。」
と洗濯物を干している
お母ちゃんに
頼まれ、
俺は無言で
お使いに走った。


マヨネーズを
お母ちゃんに
渡すと
今日から一方は
俺達の分だと
渡してくれた。



早速、兄ちゃんに
その事を伝えると大燥ぎした。



兄ちゃんは先程、空容器で
頭を叩かれた
腹癒せにマヨネーズの管理者として
名乗り出たが、
全員一致で却下
され、やがて
俺達専用マヨネーズを巡って皆、
暴徒と化した。



No.37 12/02/18 18:32
ass ( 40代 53IEnb )

俺が通ってた
小学校では6年生まで、新学期毎に各教科のノートを
1冊ずつ配布された。



1学期間、たった
1冊のノートで
板書の書き写しや宿題の解答
漢字の書き取りは2ページも
要するので、特に減りが早かった。


最後まで使いきると、それらを
消し再び使った。


百字帳は、先生が赤ペンを使い
広範囲で評価を
下さるので、
さすがにその部分は消えず、
赤丸を残した
状態で漢字練習をした。



それでは評価
しづらいと
担任は考えたのだろう。
百字帳が一杯に
なると新しい帳面を下さった。



注記:百字帳とは今でいう、漢字練習帳のことである。



No.38 12/02/18 22:24
ass ( 40代 53IEnb )

体操服は、
胸と背中に
学年、組、名字を
記したゼッケンを
縫い付ける様に
指示があった。



俺の体操服は
勿論お下がりだ。
それは、然程
恥ずかしいことではなかった。



クラスメートのゼッケンは綿布を
ミシンで縫い付けてあったり



スナップボタンで
止めてある物や
手縫いでも丁寧に運針が施された
物だった。



俺のゼッケンは、
傷んだ布巾を
無造作に割き
大まかに
縫い付けた物だった。



皆のゼッケンは新の綿布が、とても
白く映えていた。
それに比べ
俺のゼッケンは
まるで貧しさの
象徴の様に
薄汚れていた。



それが堪らなく
恥ずかしかった。


No.39 12/02/19 16:26
ass ( 40代 53IEnb )

図画工作は得意だった。



なぜなら、毎日
想像力を掻き立てることで、
暮らしの凡ゆる術を見出だした。


その上、案外手先は器用な方で
想像力を
働かせ、それを
形として
作り出す工作が
給食の次に楽しみだった。



ただ難儀なのは
はさみ、糊、色紙、
セロテープ等、必要な道具類を持っていなかった。



仕方なく周囲の
席から
借りながら作る
所為で、効率よく手順が捗らなかったことを覚えている。



そして、出来上がった作品は、
全て大切な玩具
となった。



その内、手製玩具が基地内で
結構な数になるにつれて、そこに
入り浸った。



No.40 12/02/19 22:54
ass ( 40代 53IEnb )

学校帰りに
友人から、
どうしても俺の
うちへ遊びに
行きたいと
せがまれ
渋々承諾した。



うちへ来た
友人は驚愕した。


「わあっ!あんなとこに茸が仰山
生えとる。」



遊びに来たと
いうより、
興味津々の
単なる家内観察だった。



それから、
瞬く間に
家のことが
事細かクラス中に
知れ渡り俺ん家はいつしか
茸ハウスと呼ばれる様になった。



No.41 12/02/20 15:53
ass ( 40代 53IEnb )

あれは
忘れもしない
小学2年生の
夏休みの出来事だった。



母方の叔父、叔母宅へお母ちゃんと俺の2人で出掛けた。



子供がいない
叔父夫妻は沢山
いる兄弟の中で、
特に俺を
可愛がってくれた。



到着すると
沢山のご馳走や
菓子、おまけに
玩具まで買い
歓迎してくれた。


叔父夫妻は、
比較的裕福な
家庭だった。



次から次と
包装紙を破り
これまで手にしたことがない
玩具を見て
興奮気味に叔父へ尋ねた。



「おっちゃん、これ全部俺のんか?」

叔父は、微笑みながら頷いた。



そして、
叔母が菓子も全て
俺の分だと
言い添えた。



言葉では、表現
出来ない幸福の極みだった。



お母ちゃんは
その間、叔父夫妻と何やら話しをしていた。



「お母ちゃん、これ見てみい凄いやろ!」と声を
掛けると頷いていた。



遊ぶことに夢中になりふと、
手を止めると
お母ちゃんが見当たらない。



「おっちゃん、
お母ちゃんは?」

「さあ便所に行ったんとちゃうか。」



俺は慌てて便所の扉を開けた。



お母ちゃんは、
そこに居なかった。



玄関へ走ると
お母ちゃんの靴がなくなっていた。



叔父夫妻の静止を振り切り
全速力でバス停
まで走ると
お母ちゃんは
佇んでいた。



泣きながら、
お母ちゃんに
しがみつくと



お母ちゃんは
叔父夫妻の元へ
戻れと言った。



それでも
一緒に連れて
帰ってくれと
哀願すると、
横っ面を
引っ叩かれ

「もう、お前は
おっちゃんとこの子や、はよ戻り!」



俺はその場で
号泣した。



バスが停留所に
とまり、さっさとお母ちゃんは
乗り込んだ。



そして、どうすることも出来ず
ひたすら
泣いている
俺を見て、
お母ちゃんが
早く乗れと
言いながら腕を
ぎゅっと掴み
車内へ引っ張り込んだ。



家に着くまで
お母ちゃんは
終始無言だった。


大人になって
なぜあの時、
叔父夫妻の養子にならなかったのだろう
今更ながら
悔やんでも仕様が無い。



No.42 12/02/22 08:21
ass ( 40代 53IEnb )

口減らしの一件
以来、何等変わらずの暮らし向きだった。



朝早く、兄ちゃんから兄弟全員
叩き起こされ
近所の川へバケツを持参すると、
アメリカザリガニを
全員で捕獲した。


皆、夢中になり
バケツの中は
アメリカザリガニで
一杯になった。



兄ちゃんは、
これだけ捕まえたら充分だと
至極満悦だった。


家へ持ち帰ると
お母ちゃんが
調理した。



調理といっても
ただ湯掻いた
だけの物だが、
それにマヨネーズを
付け皆で食べた。


今から思えば
海老と比較して
かなり
泥臭かったが、
これまで
兄ちゃんが
探し出した
食品と思しき
物の中で、
1番旨かった。



そして、夏休み中兄弟総出で、ほぼ毎日アメリカザリガニを乱獲した。



No.43 12/02/22 19:41
ass ( 40代 53IEnb )

兄ちゃん達は、
朝から遊びに
出掛けて、うちに残っているのは
俺と弟の2人だった。



弟を連れて近所の川へ向かった。
4歳の弟へ絶対
川には
近付かない様に
厳命すると
早速アメリカザリガニを捕りに行った。


そして、捕獲に
夢中で
すっかり弟の
ことを忘れていた。



川岸に目を遣ると、いる筈の弟が見当たらない。



焦って川から
這い出て弟を
探したが、やはり姿が見付からない。



ふと、川の方を
見て驚いた。
弟は遠くで
水流に身を
任せ流されていたのだ。



弟の名前を叫び
ながら、川の中を必死に歩いた。



しかし、足元が
悪く思う様に
前へ進まない。



その内、どんどん弟との距離が
離れて行く。



俺は半狂乱に
なり、弟の名前を叫び続けた。



すると、
通りすがりの
男性が弟を無事
助けて下さった。


助け出された
弟は、きょとんとしていた。

俺は脱力感に
見舞われ、
その場でへたり込んだ。



家に戻ると
お母ちゃんが
ずぶ濡れの弟を
見て驚き
事情を尋ねられた。



ことの次第を
話すと、しっかり見てなかった
お前が悪いと
拳骨で頭を殴ら
れた。



沢山いる兄弟の
中で唯一、弟とは今も係りがある。


あの時、川で
溺れた弟は
現在、酒に溺れている。



No.44 12/02/23 16:46
ass ( 40代 53IEnb )

6男の兄ちゃんは家族の中で
最も存在感が薄い男だった。



大の読書好きな
兄ちゃんは、
頻繁に図書館
から借りてくると決まった
場所で体育座りをして貪る様に本を読んでいた。


「何でお前は、
そう陰気臭いねんガキは表で遊ぶもんやろ!」


そうお父ちゃんに怒鳴られても
読むことを止めなかった。



好きなジャンルを
粗方読破すると 兄ちゃんは、本を買ってくれとも
言えず、禁断症状
に似た症状に陥った。



ある日、兄ちゃんが熱心に何かを
読んでいた。



「それどないしたん?」

「借りてきたんや。」



善く善く見ると
それは電話帳だ
った。



有ろう事か電話
ボックスから今で
言うタウンページを
拝借していた。



そして
功を奏するとは、正しくこのことだろう。



そこまでして
活字を貪った
兄ちゃんは、
その後
担任の勧めで
中学生にして
漢字検定2級を
取得した。



No.45 12/02/24 07:38
ass ( 40代 53IEnb )

茹だる暑さに
1台の扇風機を
取り合っていると兄ちゃん達が
台所で、やけに
燥ぐ声が聞こえてきた。



そちらを見ると
冷蔵庫内の棚を
全て取り外し
庫内に入り涼んでいた。



俺達も入りたいとせがみ6、7、8男は
5分間ずつ交代で入ってよいと
承諾された。



殆どお父ちゃんの食材を納める
ために置かれて
いた冷蔵庫は、
とても大きなサイズ
だったと覚えている。



やっと俺の順番が回って来た。



兄ちゃん達と
比べ、まだ体が
小さかったので
中からドアポケットを掴み扉を閉めた。



庫内は思いの外
寒かった。

5分間も経たないうちに中から
開けてくれと叫んだ。



しかし、一旦外に出ると暑さに
辛抱出来ず
皆で何度も
それを繰り返す
うちに、段々寒いどころか涼しくなくなった。



次に兄ちゃん達
は、冷凍庫に
頭を突っ込んで
涼んでいた。



俺と弟は背が
とどかないことを理由に追い遣られた。



そして、夕方に
なり両親が仕事
から戻って来た。


お母ちゃんが
先にお父ちゃんの晩御飯を
作り始めると
熱気が部屋中に
籠り出した。



余りの暑さに
扇風機の首降りに合わせて、
兄弟揃って移動
していると、
お父ちゃんに
怒鳴られ扇風機を持って行かれた。



すると、普段
無口な6男が本を
読みながら、
「動くから暑いんや」と呟いた。


No.46 12/02/26 21:06
ass ( 40代 53IEnb )

路地から
べったんの
ぱしーんという
音と共に、皆の
歓声が家の中まで聞こえてくる。



俺は一枚も
札を持っていなかったので、
仲間入り出来なかった。



しかし、堪らず
家から飛び出すと、輪の外から声援した。



やがて辺りは
薄暗くなり始め
路地に夕飯の
旨そうな匂いが
立ち込めると、皆帰って行った。



盤変わりに
ジュースを運搬する際に使う木箱を
ひっくり返して
使う。それを
ひとり片付けて
いると皆が
遊んでいる最中に底板の隙間から
滑り落ちたので
あろう。

札を1枚拾い上げ持ち帰った。



人気がない絵柄の札でも嬉しくて
仕方無かった。



それから、毎日
皆が帰った後
3段に重ねた木箱を片付けながら
札を拾い集めた。


札がある程度
集まり俺も
べったん遊びに
いよいよ仲間入り出来た。


勝つために皆
挙って札に加工を施し挑んだ。

俺もその内の1人だった。



後は、腕前が物を言う。



貧しさで培った
貪欲と負けじ魂で腕前を磨いた。


そして、べったん遊びは初めて
無い無い尽くしの俺に対等を実感
させてくれた。



注記:べったん
とは、面子のことを指す。



No.47 12/02/28 16:59
ass ( 40代 53IEnb )

あれは小学校
3年生春の遠足だった。



遠足の日は、必ず学校を休んだ。

その日の朝も
家にいると玄関
から声がした。



「おはようございます。
〇〇小学校担任の村上です。」



俺は部屋から
のっそり顔だけ出した。

「高村君、迎えに来たよ。」

「行かへん。」



俺は担任へ
ぶっきら棒に
返答した。



すると、担任は
俺の目の前に
真新しいリュックサックを突き出すと
遅れるから早く
身支度をする
様に促した。



玄関で、もたもた
靴を履いてると
担任が俺の背中にリュックサックを
背負わせた。



学校までの
道すがら担任は
早起きして俺の分まで、弁当を
作ってくれたこと
そして、年配の
担任はおやつを
選ぶのに随分
迷ったと話していた。



その時、かりん糖を選んだが、スナック菓子に変更した
ことなど、
あれこれ聞かせてくれた。



校門が見えると
皆が集まる
運動場まで、
喜び勇み走って
行った。



空の下で皆と
食べる弁当は
最高に旨かった。


おやつは、確か
チョコポッキーとキャラメルそしてコメッコが
入っていた。



その日の晩、
興奮冷め遣らぬ
状態で中々眠れなかった。



俺は担任から
頂いたリュックサックや自分で洗った
弁当箱や水筒、
敷物、雨具に
全て氏名を書き
込んだ。



そう言えば、今朝担任が毎日色々
手伝いをして
くれる礼だと仰
ってた。



今度は俺からの
お礼として先生
の机をピカピカに
拭き掃除して
差し上げようと
思い付いた。



No.48 12/02/29 18:02
ass ( 40代 53IEnb )

べったん遊びの
次は男児間で
変速機付き
サイクリング車が流行った。



変速機の段数が
多ければ多い程、格好いいと称さ
れた。



下校すると
友人達の大半が
変速機付き
サイクリング車で
乗り付け
それぞれ愛車に
ついて
自慢たらしく
語り合っていた。


俺は、お下がりの女児用自転車
しか持って
おらず、さすがにその場へ
乗り付ける事に
抵抗があり
いつも皆の後を
走って追い掛け
ていた。



駿足の俺も
次第に
変速機付き
サイクリング車に追い付けず
拾ったボールを
壁に投げ
ひとりで遊ぶ様
になった。



そして、この
ひとり遊びが
高じて子供会の
会長から
思いも寄らない
声が掛かった。


No.49 12/03/01 22:05
ass ( 40代 53IEnb )

毎年恒例の地区
対抗ソフトボール大会がある。



我が町内で
出場する選手
の人数が足りず、近所のつとむ君が子供会会長に
俺を紹介した。



「正夫君ソフトボール上手いんやって
今度の大会に
出てみいひんか?」



困惑した俺は、
親の了承を得て
から、改めて
返答すると
会長へ告げた。



俺は是が非でも
参加したかった。


お母ちゃんに事
の経緯を伝えた。


「あんたバットや
グローブ持って
へんやんか。
それにユニフォームも
ただとちゃう
ねんで、
お母ちゃんから
会長さんへ
断っとくわ。」



お母ちゃんの
返答は察知して
いた。



でも、悲しいやら悔しいやらで
押し入れに籠り
声を押し殺して
泣いた。



それから暫く経ち相変わらず
具のない味噌汁
掛けご飯を食べ
ていると
玄関先から声が
した。



「こんばんは、
筒井です。正夫君おるか?」



お母ちゃんが
先に応対した。



お母ちゃんに
呼ばれ玄関まで
箸を持ったまま
のっそり顔を
出すと、会長と
目が合った。



「お母ちゃん
そういう事やから正夫君に出て貰うでええな。」


「すんません、
皆さんに後で
お礼言うときます正夫、あんたも
有り難う言い。」


何と会長の
呼び掛けにより
子供会保護者達
のカンパで
真新しい
バット、グローブ、
お負けにユニフォーム
まで頂いた。



何回も礼を
言うと会長は
明日から
頑張って練習に
来る様にと
言い残し帰った
途端、兄弟達が
一斉に群がり
羨望の的になっ
た。



それから毎日
練習に明け暮れ
た。



試合数日前、
コーチから
ピッチャー、4番バッターに選抜された。



残念ながら
優勝は果たせ
なかったが、
27地区大会4位の成績を修めた。

これは4年生
最高の夏休みの
思い出になった。


No.50 12/03/03 11:21
ass ( 40代 53IEnb )

巷でスポーツカーが
流行った頃、
市民グラウンドで
近々行われる
スポーツカーの
催しについて
男子生徒の間で
持ち切りだった。


「正夫も行くん?」

「分からん。」



行ける筈など
なかった。

なぜなら、チケットを購入しなければ
見物出来ない事
を周囲から
聞かされていた
からだ。



うちに戻ると
兄ちゃん達の間
でも、その話題で盛り上がって
いたが、俺達は
誰1人行けない
ということで
話は終わった。


開催日、俺は
居ても立っても
居られず
僅かな望みを
掛け会場へ向か
った。



グラウンドのフェンス越しに遠目から
スポーツカーを一目
見ようと考えた。


しかし、会場に
到着するなり
落胆した。



フェンスは頑丈なシートで周囲を覆って
いた。



フェンス越しから
歓声が聞こえて
くる。



びっしり覆われたフェンスの前で
更に衝動は深まり、少しの隙間を
見付けようと
グラウンド周囲を
必死に巡ったが
全く見当たらな
かった。



その時、ふと足下を見ると
あと数センチフェンスが高ければ
そこから潜り抜
けられることに
気付いた。



俺は必死にフェンス
と地面との隙間
を掘った。



どうにか進入
すると目の前に
フェラーリやポルシェ
ランボルギーニカウンタックなどがあり
夢見心地だった。


チケットを購入した
入場者達は
運転席で
記念撮影の特典
があり
長蛇の列だった。


俺は1台ずつ車体に隈無く触れた。


堪能すると
さっき掘った穴
から外に出た。



服に付いた砂埃
を叩くと家へ
戻り会場で
拾った散らしを
眺めながら、
あの触感を
思い出し空想に
耽った。



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