注目の話題
🍀語りあかそうの里🍀1️⃣0️⃣
彼氏と分かり合えない。納得できない
高熱だと知り長時間放置

日本ツーリングカー・ライバル列伝

レス27 HIT数 3993 あ+ あ-

ニコ中( aQhA4 )
11/02/14 11:37(更新日時)

本格的なモータリゼーションの波がうねり始めてから 半世紀

この国の自動車産業は めざましい発展を遂げましたが そこには常にライバルの存在が…

曰わく BC戦争、サニカロ対決、 インプ🆚ランエボのラリー覇権争い

歴史の1頁を彩った そんな名車達を独断と偏見に依る エコ贔屓目線で褒め称えるスレです

応酬車、飴車も有りって事で✋

No.1444835 10/10/17 19:02(スレ作成日時)

新しいレスの受付は終了しました

投稿順
新着順
主のみ
付箋

No.1 10/10/17 19:21
温泉大好き1 

日本のスポーツカーに大きな影響を与えた車

ロータスエラン

  • << 3 ほぉほぉ そぉきましたか(^w^) 確かに エランの存在は で・でっかいどぉ~

No.2 10/10/17 19:21
中古バイクさん2 

新スレ一番乗りの貧乏人!

またまた、宜しくです。

  • << 4 (^。^;)💦タラ~ 残念 トップチェッカーならず EPのライバルは ミニ? なんてね(爆)

No.3 10/10/17 19:59
ニコ中 ( aQhA4 )

>> 1 日本のスポーツカーに大きな影響を与えた車 ロータスエラン ほぉほぉ

そぉきましたか(^w^)

確かに エランの存在は

で・でっかいどぉ~

No.4 10/10/17 20:02
ニコ中 ( aQhA4 )

>> 2 新スレ一番乗りの貧乏人! またまた、宜しくです。 (^。^;)💦タラ~


残念 トップチェッカーならず


EPのライバルは ミニ? なんてね(爆)

No.5 10/10/17 20:37
中古バイクさん2 

>> 4 くぅ~

失敗で2ゲットだった…

当時ならミニなんかに負けないぜ!
と、強がってみる…

今は、譲り合いが大事ですね。

No.6 10/10/17 20:48
ニコ中 ( aQhA4 )

>> 5 そ・そ

譲り合い 👌


けどね


ミニの後塵をあびたEPなんぞ

見た事も 聞いた事もありまへんでぇ

No.7 10/10/17 20:52
ニコ中 ( aQhA4 )

レーシングシーンに於いては

箱R 🆚 RXー3 は忘れてはいけませんな 😁

No.8 10/10/17 23:22
安全ドライバー8 ( ♂ )

こんにちは👀

シビックはどうですか❓

グループAの時代のEF系のシビックは最高だと思うのですが。

YouTubeの[DQN阪神高速環状線]なんて、B16Aのレーシングサウンドが鳥肌を立ててくれます‼

No.9 10/10/17 23:50
ニコ中 ( aQhA4 )

>> 8 🙋 こんばんわぁ


シビックとカローラの闘いはグループA終焉まで 続いてましたな


ホットハッチとしては 対抗馬ミラージュ辺りかな?

No.10 10/10/17 23:52
超貧乏ドライバー ( 30代 ♂ cvZg5 )

1964年5月の第2回日本グランプリ…


GTーⅡクラスで、生沢徹のS54型プリンススカイラインと式場壮吉のポルシェ904のデッドヒートは伝説と言えますねぇ😚


ポルシェに比べ、明らかに性能が劣勢なスカイラインが一時はポルシェ904を抑えて首位をキープしたあのレースです(⬅最終的には式場のポルシェが優勝し、生沢のスカイラインは2位となった)😁


その後、元々ファミリーセダンだったスカイラインがスポーツ路線の🚗となり、S54型の次期モデルのC10型からGTーRが登場したコトは周知の通りです(⬅但しスポーツ路線はR34型迄の条件付き🎵)😚

No.11 10/10/18 00:06
ニコ中 ( aQhA4 )

>> 10 そです
生沢徹はレース前 式場壮吉に1周だけでいいから頭とらせて…と 土下座したらすぃです(爆)


一説によれば 904の購入費はトヨタから出ていたとの噂も


本当の真相は 闇の中

No.12 10/10/18 12:57
ニコ中 ( aQhA4 )

スカイラインと904の話題が出たので…
栄光の赤バッジS54B誕生のエピソードをひとつ

1963年 新装間もない鈴鹿サーキットで日本初の本格的自動車レース 第1回日本グランプリが開催されました

各メーカーは威信をかけエントリーする事になるのですが 事前の申し合わせにより (レギュでは無くメーカー間の紳士協定) 極端な改造はしないとなりました

プリンス自工は この協定をバカ正直に守り 殆どノーマルで出場

スペックから言ってもスカイラインは優勝最右翼だったのですが 結果は惨敗 チューンを施したパブリカ、コロナ、クラウンのトヨタ勢と ブルーバード、フェアレディの日産勢が各クラスの優勝をさらっていきました

プリンス自工は 翌年の第2回日本グランプリに向け 勝てる車の開発に着手

そして設計終了が64年3月

当時のGr5ホモロゲは年間100台の生産を謳っていたので プリンスは4月までの1ケ月間で総力を挙げ100台の車を造り上げホモロゲ申請
5月のレースに間に合わせたそうです

そして前述 第2回日本グランプリの伝説を経てプリンス自工は日産と合併 後のTN戦争の引き金となるのですね

No.13 10/10/19 12:38
ニコ中 ( aQhA4 )

>> 12 つづきデス

負けたとは言え 純レーシングマシンと言っても差し支え無い904相手に目を見張るパフォーマンスを見せつけたS54B

ホモロゲモデル100台に加え量産車が スカイライン2000GTとして市販されます

そのスペックはホモロゲモデル同様 ウェーバーツインチョーク40Φを3連装に5速ミッション、LSDを標準装備と キチガイじみた車になってしまいました

その後 ワンキャブ仕様のデチューン版もラインナップされ 青バッジのGTーA
ハイチューン版を赤バッジのGTーBと呼ばれました。

外見上は アンバランスなほど長いノーズを除けば さもないサルーン

が ひとたび踏み込めばスポーツカー並みのポテンシャルを誇り『羊の皮を被った狼』なる異名も生まれたのでした

当時 セダンにスポーツバージョンなる概念の無かった日本に於いて いすゞベレットGTと共に そのポジションを確立したエポックメーキング的な名車と評価されています

バンザ~イ プリンス・スカイライン2000GT

No.14 10/10/19 23:32
ニコ中 ( aQhA4 )

>> 13 番外編

一度ならず トヨタに苦汁を呑まされたプリンス自工

とうとう2座席プロトR380を造ってしまいます そのフォルムはライバルの904に非常に似た物でした

そのデビューは 諸処の事情で1年ズレた66年 第3回日本グランプリでした

今度の相手は プライベートの雄 タキレーシングが持ち込んだ ポルシェ906 通称カレラ6

この年 スポーツカー選手権2L以下のクラスでディノ206GTと死闘を演じ チャンピォンとなる現役マシンでした

大方の予想を覆し プリンスR380は念願の日本グランプリのタイトルを手にしたのですが 開発費が嵩んだ事もあり 経営難に陥り日産自動車に吸収合併されてしまいます

この時R380用に開発した 直6DOHC4バルブのパワーユニットこそ 後にS20となります

  • << 17 と…まぁ ほとんど📺NHKプロジェクトXの請け売りでしたが 誕生間もないFISCOで行われた'66年の日本グランプリは本格的な自動車産業と各メーカーの夜明けとなった事は間違いないと思います。 前述 決勝レースはR380とポルシェ906との一騎打ちでしたが 雨の中、前日行われた予選では 2番手タイムをトヨタ2000GTが叩き出し そのトヨタに15秒のアドバンテージをつけポールシッターとなったのは 実に奇妙なマシンでした それは後に ニッサン三羽烏と呼ばれる北野元が駆る フェアレディS なるマシンだったのです 1600㏄のフェアレディSPのシャシを伸ばし6気筒エンジンを押し込んだ物でした エントリーリストには 2000㏄直6・2バルブDOHC・ツインプラグ・ウェーバー42Φ×3 B680Xと記されていたそうです '60年代初頭まで日産はヤマハと技術提携の名の下 幻のニッサン2000GT(仮名) コード名A550Xの開発を依頼していました この車用に開発された6気筒エンジンをリファインし フェアレディに載せたのではないかとの憶測を喚びます この件に関しては 日産、ヤマハ、両社とも公式見解を発表していない為 定かではないのですが ボア・ストロークから当時日産が開発中のL型ブロックではないかとの説が有力です しかしながら これもまた真相は闇の中

No.15 10/10/19 23:40
超貧乏ドライバー ( 30代 ♂ cvZg5 )

>> 14 そのR380のエンジンをディチューンされたS20型エンジンはKPGC10(ハコスカGTーR)及びKPGC110(ケンメリGTーR)に搭載されましたねぇ😁

No.16 10/10/20 12:31
ニコ中 ( aQhA4 )

>> 15 (◎o◎) おぉ…
このような 自己🈵アナログスレに 再度のレス

m(_ _)m アザッす


そうですね 380搭載GR8型のデチューン版がSー20

正確には PGC10(ハコ4枚)に積んだのが最初ですね

元々レーシング用エンジン かなり頑丈な造りだったのですが コンピューター制御の無い時代

直6、4バルブのコンディションを維持するのは容易ではなかったと推察できます

当時 額面通りのパフォーマンスを見せたのは 追浜、大森チューンくらいしか無かったそうです


超貧乏さんは Sー20のドライブを経験された事がありますでしょうか?

小生 GTーRではありませんが 30Z432には何度か乗る機会がありました。

オーナーさんに遠慮して ベタ踏みは出来ませんでしたが…

  • << 21 それが…、 HNの通りビンボー人なのでS20型エンジン搭載車は勿論、旧車自体経験ナシです💧 それでもキャブ車自体は経験アリです(^^; あと、UP15型の『最下位からのごぼう抜き』の伝説もありましたねぇ😁

No.17 10/10/20 17:48
ニコ中 ( aQhA4 )

>> 14 番外編 一度ならず トヨタに苦汁を呑まされたプリンス自工 とうとう2座席プロトR380を造ってしまいます そのフォルムはライバ… と…まぁ
ほとんど📺NHKプロジェクトXの請け売りでしたが

誕生間もないFISCOで行われた'66年の日本グランプリは本格的な自動車産業と各メーカーの夜明けとなった事は間違いないと思います。


前述 決勝レースはR380とポルシェ906との一騎打ちでしたが

雨の中、前日行われた予選では 2番手タイムをトヨタ2000GTが叩き出し そのトヨタに15秒のアドバンテージをつけポールシッターとなったのは 実に奇妙なマシンでした


それは後に ニッサン三羽烏と呼ばれる北野元が駆る フェアレディS なるマシンだったのです


1600㏄のフェアレディSPのシャシを伸ばし6気筒エンジンを押し込んだ物でした


エントリーリストには 2000㏄直6・2バルブDOHC・ツインプラグ・ウェーバー42Φ×3 B680Xと記されていたそうです


'60年代初頭まで日産はヤマハと技術提携の名の下 幻のニッサン2000GT(仮名) コード名A550Xの開発を依頼していました

この車用に開発された6気筒エンジンをリファインし フェアレディに載せたのではないかとの憶測を喚びます

この件に関しては 日産、ヤマハ、両社とも公式見解を発表していない為 定かではないのですが ボア・ストロークから当時日産が開発中のL型ブロックではないかとの説が有力です

しかしながら これもまた真相は闇の中

No.18 10/10/20 23:46
ニコ中 ( aQhA4 )

>> 17 ニッサン2000GT

現存する僅かな試作車の写真のイメージは

フロントビューが トヨタ2000GT

エンジンフードからルーフにかけて C3コーベット

サイドビューからリヤは ランボルギーニのイオタ

の様に 感じました


日産がプリンスとの合併の情報が流れると同時に、ヤマハとの提携も解消され ニッサン2000GT計画は中止 幻となってしまいます。


が、このヤマハという会社 かなりエグイのですねぇ

この企画を すぐさまトヨタに持ち込み 完成したマシンが トヨタ200GTだったのです


他人の金で 好きな事をしまくるとは…


ホンダと言い スズキと言い
とかくバイク屋さんの発想と行動力には脱帽しかありませんゎ

No.19 10/10/20 23:53
通り人 ( 10代 ♂ B0YC4 )

ラリーと言えば確かにスバルは凄いけどセリカを忘れてもらっては困ります👮

No.20 10/10/21 12:11
ニコ中 ( aQhA4 )

>> 19 忘れてませんて!(b^ー°)


ST205・WRC3連覇・C.サインツ


ランチア、プジョー をコケにしたGT4

気持ち えがったぁ

No.21 10/10/22 01:31
超貧乏ドライバー ( 40代 ♂ cvZg5 )

>> 16 (◎o◎) おぉ… このような 自己🈵アナログスレに 再度のレス m(_ _)m アザッす そうですね 380搭載GR8型のテ… それが…、


HNの通りビンボー人なのでS20型エンジン搭載車は勿論、旧車自体経験ナシです💧


それでもキャブ車自体は経験アリです(^^;


あと、UP15型の『最下位からのごぼう抜き』の伝説もありましたねぇ😁

No.22 10/10/22 12:16
ニコ中 ( aQhA4 )

>> 21 おぉ‼

船橋の奇跡
エスロク生沢のスピンに巻き込まれ 16位にまで順位を落とした ヨタハチ浮谷東次郎

15台をごぼう抜き
伝説のトップチェッカー🙌

全盛期のシューミにも アロンソにも 真似はできない❓(笑)

No.23 10/10/22 12:50
ニコ中 ( aQhA4 )

>> 22 #1レスで ♨チャンが言っているよぉに ロータス・エランが日本の自動車文化に与えた影響は大きいものがありますね


エランに限らず 英国車には ヒーレー・スプライト、トラのTRやスピットファイアー、MG…とライトウェイトスポーツと呼ばれるカテの車が多いです

わが国に於いて このての車のさきがけとなったのが UP15トヨタ・S800 通称ヨタハチ

空冷2気筒OHVm800㏄
高度なカム機構を持たないかわりに Wジャケットも水もラジエターもWポンプも要らない

元々 非力なエンジンゆえに ミッション、デフ、プロペラシャフト、ドライブシャフトも余分な強度を取らず軽く造れる

したがってシャシもサスも軽く造れる

軽さの相乗効果で 戦闘能力を稼いだ車だったですねぇ

かたやライバルのホンダS600は HONDA・F1 バイクGPで培われた当時の最高技術の結晶

両車は互角の勝負を繰り広げていたそうです


もっともホンダが進化形 S800をデビューさせてからは その後塵を浴びる事になるのですが…

いかにも空気抵抗の少なそうな かわいらしいボディ形状のヨタハチ

今でもコアなファンが居ると言うのも納得できますな

No.24 10/10/23 15:08
ニコ中 ( aQhA4 )

ヨタハチ、エスロク、エスハチ、ダイハツ・コンパーノ・スパイダー

今から40年も昔に生まれたライトウェイトスポーツですが 遊び心満載

単純な構造ながら 運転が楽しくなるよぉな車たちが わが国にもたくさん有ったのですね

その部分だけを見れば現代より車に対する感性が豊かだったのかも…

No.25 10/10/23 15:24
ニコ中 ( aQhA4 )

'66日本グランプリがラストファイトとなり 9月には日産自動車と合併したプリンス自工

が 合併後もP.M.S.C(プリンス・モータリスト・スポーツ・クラブ) の名の下スカイラインのワークス活動は続けられます

全日本自動車レース、日本クラブマンレース、富士や鈴鹿の耐久と スカイライン2000GTーBは無敵の名を欲しいままにするのですが…

ツーリングカーの王座に君臨するスカイラインに トヨタのリベンジが始まります

スカイラインを王座から引きずり降ろしたのは新鋭トヨタ1600GTー5でした

No.26 11/02/14 10:40
ζογα ( ic5C4 )

主さん場違ぃなレスさせて
貰ぃます🙇

🏰のメンバーで
間違ぃ無ぃかと…😔

取り敢えず彼処は放置☝
別の板に移動した方が
宜しぃかと💦

暫くは身を潜め
必要な時に🏠建設…は
如何なものでしょぅか❓

No.27 11/02/14 11:37
ニコ中 ( aQhA4 )

>> 26 はは…(≧∇≦)

セブンですかな?

ル・マンに挑戦し続けたロリータの雄

あるいは 夢を追うスーパーセブンか


いずれにしても風変わりなマシンでしたな

ファンは多いみたいだけど

投稿順
新着順
主のみ
付箋

新しいレスの受付は終了しました

趣味掲示板のスレ一覧

趣味の話題はこちらで。ファッション👗、コスメ💄、ガーデニング🌵やジョギング🏃🏻‍♀️、ダンス💃🏻、釣り🎣、歌🎤など、自分と同じ趣味の仲間を掲示板で見つけよう❗

  • レス新
  • 人気
  • スレ新
  • レス少
新しくスレを作成する

サブ掲示板

注目の話題

カテゴリ一覧