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虐待、養子、死別、不倫…波乱万丈な私の半生日記

レス318 HIT数 103567 あ+ あ-

毒女( ♀ Ph521 )
10/02/21 15:03(更新日時)

30数年前の12月、
私は大阪のとある町で産まれました。

当時
母、17歳高校生。
父、19歳大学生。


私の父の父親(私からみれば、父方の祖父)は警察官。

私の母の両親は共に教員。

昔堅気でお堅い考えの両祖父母を説得し切れずに私を産んでくれた私の両親は、
「入籍も許されず親の反対を受けたままでも、夫婦二人でこの子(私)を育てる」と決意し、母は高校中退後に未婚のまま産んでくれたそうです。


ただ…
現実はそう甘くはありません。

親の援助もない学生二人で生活しながら、子供を育てるのは容易ではありませんでした。


両家の親は、「せめて●●くん(私の父)が大学を卒業するまで、■■ちゃん(私の母)が復学して高校を卒業するまでは、子供を施設に預けておいてはどうか?
お互いが学業を全うしたら結婚は認める。すぐに子供を施設から呼び戻せばいいし、私たちもいくらでも援助をする。」という提案を私の両親に出し
私の両親は両祖父母からのその提案を受けたそうです。


そして私は
ある施設に預けられました。


当初は1年ぐらいで親元に戻る予定だった私が
実際に親子で暮らすのが10年以上も先になってからでした…。


続きます

No.1162617 09/10/16 01:55(スレ作成日時)

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No.1 09/10/16 02:26
黒猫みゃー君 ( zP9Kc )

どうぞ😺

No.2 09/10/16 02:43
みさ ( ♀ 1qt6xe )

続き読みたいです昉

No.3 09/10/16 09:00
毒女 ( ♀ Ph521 )

母は単位制の高校に再入学し、通い初め


父もアルバイトを掛け持ちながら、残された大学生活を過ごしていたある日…



父に転機が訪れました。



芸術系大学に通っていた父はカメラを専攻していたのですが、
父の作品が入賞し、ある有名なプロの写真家の目に留まったのです。


「アシスタントをしながら、私の下で学ばないか」


写真家からの申し出を父は喜んで受け、

大学を休学して
アシスタントを始めました。


バイトして貯めたお金と、コンクールの入賞金でアパートを借りた父は、すぐに母を呼び寄せ

半ば駆け落ち同然で新しい生活を始めました。



「これで、すぐにでも娘を呼べるね。




若い父と母は
これから親子3人の生活が始まるものと信じていました…




■②様、③様、ありがとうございます■

  • << 62 感動してます😢続きが読みたいです💦

No.4 09/10/16 10:50
毒女 ( ♀ Ph521 )

まだ未成年だった母は、親の署名なしに婚姻届を提出することは出来ず
私を施設に迎えにきた時は、まだ未婚のままでした。


駆け落ち同然で生活していた未成年の母には、身分を証明するものが何もなく

また未入籍だった為に、父の身分証明は私を引き取る何の効力にもならず、

結局、この時は私を引き取ることは不可能でした。


両親は親の承諾を得るために同棲生活を中断し
それぞれの親元へと戻る決断をしました。


母は、教員同士の両親がようやく授かった大切な一人娘。


父は、厳格な警察官である父親と
華道師範である母親の下に産まれた長男。

そんな父と母の結婚はなかなか認められることはなく、
月日ばかりが経ちました。

No.5 09/10/16 15:18
毒女 ( ♀ Ph521 )

「お母ちゃ~ん‼
おやつはなぁに⁉


あ、今度の日曜日に授業参観があるんやけど、母ちゃん着物で来るのは絶対にやめてや‼
恥ずかしいねん💢

それでなくても母ちゃん年寄りやねんから、参観日には着物じゃなくて、もっと若いお母さんがしてるみたいな服装できてや‼」


学校から帰り、矢継ぎ早に喋る私…小学6年生、12歳。



「着物の、どこが恥ずかしいのんな❓

こら‼毒ちゃん(私)手は洗ろうたんか⁉

まあええわ、ほんなら若い服来て行ったるわ。

後から『やっぱり母ちゃん着物にして…』と泣きついても知らんからな💢」



生意気な私に言い返しながら、おやつを出す母…




それが、私の本当の母ではないと知ったのは、
楽しみにしていた参観日の日でした…

No.6 09/10/16 16:24
毒女 ( ♀ Ph521 )

私が母だと認識していた女性は
クラスやその他のお母さんより、かなり年齢が上なので、
私はお母ちゃんが公の場に来るのを恥ずかしく感じていました。


「毒ちゃんのお母さんって、おばあちゃんみたい」


クラスメイトにそう言われるのが嫌で、母には若い格好をしてもらう事ばかり要求していました。


それでも、とても優しいお母ちゃんで
私は大好きでした。


私が眠るまで
様々な創作物語を毎晩語ってくれ

時には創作物語の続きを私に作らせてくれました。


元小学校教諭だったお母ちゃんに勉強を教えてもらうと
学校の授業がつまらないと思うぐらい
勉強が楽しくて仕方ありませんでした。

いつも全力で私の相手をしてくれて
そして本当に楽しそうに私と遊んでくれるようなお母ちゃんでした。



そして参観日当日。



「今日は花柄のワンピースで行くからな」と言ったお母ちゃんの姿を早く見たくて
チラチラと教室の後方ばかり見ていた私の目に飛び込んで来たのは
ビックリするほど若くて派手な女性でした。

No.7 09/10/16 18:07
毒女 ( ♀ Ph521 )

一体だれのお母さんなんだろう❓


こんな若いお母さんだったら、みんなに自慢できるのになぁ…そんな思いを巡らせていると


その若い女性を促すようにして
お母ちゃんが教室に入ってきました。



私の方に視線を向けてから、目配せを交わすお母ちゃんとその女性。




授業参観が終わってからも
「掃除当番だから」とお母ちゃんに嘘をつき
ダラダラと教室の掃除を手伝い

飼育係でもないのにウサギ小屋にも顔を出し掃除を手伝い


とにかく家に帰るを先延ばしにして時間をつぶしていた私。





「お母ちゃんは本当のお母ちゃんじゃない」






そんな事を考えたことは一度もなかったけれど



本当はずっと昔に
気づいていたのかも知れない…

No.8 09/10/17 00:54
黒猫みゃー君 ( zP9Kc )

どぞ😺

No.9 09/10/17 01:36
毒女 ( ♀ Ph521 )

「お帰り!遅かったから心配したやんか!」

お母ちゃんが居なくなっているんじゃないかと不安になりながら帰宅したけれど、お母ちゃんは居てくれた。


そしてやはり




お母ちゃんの横には、あの女性も一緒に居た。


学校では派手に見えたあの女性も、よく見ると
明るいグリーンのワンピースを着て、控え目な化粧品をしたごく普通の女性。


美人ではあるが、服装にも化粧にも、全く派手さはない。


他のお母さんより「若い」というだけで、あんなに派手に見えちゃうんだ…

若すぎるお母さんも嫌だな…





「何歳ですか❓」



一発目にそんな質問はアカンやろ⁉


自分で感じながらも、その女性に聞いてしまった。



「29歳です」



へぇ~…
29歳ってオバサンみたいなイメージやけど、「うちのお母さん、20代やねん」と言ってる京子チャンのお母さんより全然若いやん…




「毒ちゃんは12歳やんね❓





…私が17歳の時に産んだ子供やから…」





横で
お母ちゃんが大きく頷きました。

No.10 09/10/17 02:22
毒女 ( ♀ Ph521 )

中学入学直前に私は引っ越しをし、その女性と、その女性の家族と暮らすことになりました。



「その女性」とは、もちろん私の実の母親。


「その女性の家族」とは

実の父親と
7歳の妹、
5歳の妹
2歳の弟。


私を含め、6人での生活が始まりました。




参観日のあの日…
間もなく帰宅したお父ちゃんも加わりましたが、
誰も多くを語りませんでした。




私が知った情報は


「お母ちゃん」「お父ちゃん」と呼んでいた人たちは実は私の祖父母であったこと。



この女性は「お父ちゃん」と「お母ちゃん」の娘で、事情があり長い間海外に住んでいたこと。



この女性には旦那さんがいて、それが私の実の父親であること。



私には、他にも妹や弟がいること。


中学入学と同時に、私はこの女性とその家族と暮らさないといけないこと。




今思えばただそれだけの情報ですが、
当時の私には消化し切れないぐらい気の遠くなるような事実でした。




小学校を卒業する前の日に、一度だけお母ちゃんに聞いた記憶があります。


「あの女の人は、なんで私を捨てたん❓なんで私は、このままお母ちゃんと暮らしてたらあかんの❓」

No.11 09/10/17 02:31
毒女 ( ♀ Ph521 )

「あかん。行きなさい。

毒ちゃんが捨てられたんかどうかも、自分で確かめて来なさい。」


お母ちゃんが声を荒げる姿を初めて見ました。


そして私はこの時、自分に選択肢がないことに初めて気が付きました…





■黒猫みゃー君、読んで下さってありがとうございます🙇■

No.12 09/10/17 15:17
毒女 ( ♀ Ph521 )

実の家族との暮らしは、想像していた通りでした。


「幸せな家庭に迷い込んだ、招かれざる余所者」


そんな言葉がピッタリでした。



食卓で交わされる、私の知らない話題。

妹達の間で交わされる英語の会話。


それに母が加わり、笑い合う姿…


妹たちの絆。


悪意がないのは分かっていても
私が余所者であるのは明らかでした。



そんな家族から逃れるように
私は中学のクラブ活動(水泳部)に没頭し、
クラブ活動が終わると遅くまで部活友達とお喋りし、
帰宅したら寝るだけの毎日を繰り返していました。




そんなある日、
水泳部の中でも一番の仲良しだった奈緒チャンに
相談を持ちかけられました。



「実はうちの両親、もうすぐ離婚するねん。お父さんが浮気してて…。
もう家に居るのが嫌やねん…」



泣きながら話す奈緒チャンの姿を見て、私も
今まで誰にも話さずに押し殺していた感情が溢れ出しました。


なんでお母ちゃんは、私をあの女のところへ行かせたの?


私はなんで、誰からも邪魔者扱いされるの?


互いに自分の置かれた環境を語り合い

奈緒チャンと抱き合って、二人で泣き続けました。

No.13 09/10/17 15:39
毒女 ( ♀ Ph521 )

次第に私と奈緒ちゃんは、
部活に参加するよりも、二人でお喋りをしたり繁華街に繰り出す機会の方が多くなってきました。


奈緒ちゃんは水泳がとても上手く、
一年生であっても水泳部で一番のベストタイム保持者。


部活がおろそかになってきた奈緒チャンを心配して、
ある日突然、水泳部顧問の先生が奈緒ちゃん宅に家庭訪問に来たそうです。

私はその事を知ったのは、奈緒チャンが学校に来なくなった数日後。


欠席が心配になって奈緒ちゃん宅に行ってみた私は、奈緒ちゃんのお母さんに事情を明かされました。



奈緒ちゃんが部活をサボっている事すら知らなかったご両親は
帰宅した奈緒ちゃんを問い詰めたそうです。


奈緒ちゃんは反省するどころか、非常に反抗的な態度を取り、お父さんに殴られて家を飛び出し、
3日間帰って来てない。昨日、警察に届けを出した…と。



私はある場所に急ぎました。

No.14 09/10/17 15:51
毒女 ( ♀ Ph521 )

奈緒ちゃんはあるスイミングスクールに所属しており、
全国レベルの記録とその美貌から
たくさんの知り合い…年上男性の知り合いが居ました。


中でもよく話に出てきていた男性がいました。


彼は自宅からかなり遠い高校に通っていた為、親御さんが用意してくれたアパートで、一人暮らしをしていました。


奈緒ちゃんの行き先は、そこしかないはず…




やはり奈緒ちゃんは、そこに居ました。


奈緒ちゃんとその男性だけでなく、他にも4人の男性が一緒でした。


奈緒ちゃんのお母さんが警察に届けを出した事を告げ、
私は奈緒ちゃんを連れて奈緒ちゃんの自宅へと向かいました。

No.15 09/10/17 16:11
毒女 ( ♀ Ph521 )

複雑な家庭環境。
大人の目がない溜まり場。


誰もが予想出来るように、私と奈緒ちゃんはどんどん転落していきました。


奈緒ちゃんはあれからも家出を繰り返し、
私は学校が終わるとすぐにその溜まり場へ向かい、可能な限りそこで過ごしました。


今から思えば不思議な事に、溜まり場での乱交はありませんでした。

でも酒やタバコ、誰かが盗んで来たバイクにシンナー…


一応学校には通い、外泊もしなかったけれど
そんな場所に身を置いている私に、気づかない両親ではありませんでした。

  • << 17 何も問われず何も責められなかったので、両親が私のどんな悪行を把握していたのか また、両親がどんな悪行を想像しているのかはわかりませんでした。 でも殴られた事により今までの自制心が無くなってしまいました。 今まで辛うじて手を出さなかった酒やタバコ、シンナーを覚え、 先輩のバイクに乗せてもらい夜中の街を走り回り、 気が向いた時に帰宅し、居合わせた父親に無言で殴られる。 そんな事を繰り返すだけの中学2年生でした。 中学生活も最後の一年となった頃には、名前を覚え切れないぐらいの交友関係が出来ていました。 溜まり場であるマンションの持ち主は男子高校の学生で、初めこそ女性は私と奈緒ちゃんだけでしたが 溜まり場に出入りしていた男子校生の彼女、その彼女の女友達…その女友達の後輩の女の子… 高校生だけでなく、いつの間にか私と同じ中学生の女の子まで溜まり場に出入りするようになっていました。 居合わせた中学3年生だけで、進路の話をした夜がありました。

No.16 09/10/17 17:37
毒女 ( ♀ Ph521 )

中学2年生になったある日
いつもの時間に溜まり場を跡にし帰宅すると、普段なら帰宅していない父親が待ち構えていました。


無言で私を殴り倒す父。


横で見守る母。


何かを問い責めるられるわけでもなく
また、思い当たる節がある私は発する言葉もなく、

ただただ殴られ続ける。


どれだけ殴られたでしょうか。


不意に母が言いました。


「パパ。顔を殴るのはやめて。


学校に何か言われたら困るから」




「別にいいよ、顔でも。
学校には、友達と喧嘩したって言ってあげるから。
気が済むまで殴れば?」





我ながら嫌な子供…




父はその言葉に火がついたように更に殴り続け、
私を押さえつけて私の髪を鋏で切り始めました。



そして父の気は気が済んだのか、殴り疲れた腕をかばいながら別室へと消えました。






「この恩知らずが」




母はそう吐き捨て

父の後に続きました。

No.17 09/10/17 18:17
毒女 ( ♀ Ph521 )

>> 15 複雑な家庭環境。 大人の目がない溜まり場。 誰もが予想出来るように、私と奈緒ちゃんはどんどん転落していきました。 奈緒ちゃんはあれか… 何も問われず何も責められなかったので、両親が私のどんな悪行を把握していたのか
また、両親がどんな悪行を想像しているのかはわかりませんでした。

でも殴られた事により今までの自制心が無くなってしまいました。



今まで辛うじて手を出さなかった酒やタバコ、シンナーを覚え、
先輩のバイクに乗せてもらい夜中の街を走り回り、
気が向いた時に帰宅し、居合わせた父親に無言で殴られる。

そんな事を繰り返すだけの中学2年生でした。




中学生活も最後の一年となった頃には、名前を覚え切れないぐらいの交友関係が出来ていました。


溜まり場であるマンションの持ち主は男子高校の学生で、初めこそ女性は私と奈緒ちゃんだけでしたが
溜まり場に出入りしていた男子校生の彼女、その彼女の女友達…その女友達の後輩の女の子…

高校生だけでなく、いつの間にか私と同じ中学生の女の子まで溜まり場に出入りするようになっていました。

居合わせた中学3年生だけで、進路の話をした夜がありました。

No.18 09/10/18 01:00
黒猫みゃー君 ( zP9Kc )

続きをお願いします。😺

No.19 09/10/18 01:34
マリン ( VeW1xe )

>> 18 あの、急かすようなレスやめたらどうですか昉

主さんのペースに合わせましょうよ

No.20 09/10/18 21:23
伊右衛門てぃ ( YQP91 )

>> 19 ここまででも大分辛い人生を歩まれてきたのが分かります。先が気なりますが、ホントに頑張ってみえたのですね。

No.21 09/10/18 21:37
さ迷い人 ( 20代 ♀ qcW71 )

涙がでます。
邪魔者なんかじゃないと必要な存在だと抱きしめてあげたい。

No.22 09/10/19 00:25
毒女 ( ♀ Ph521 )

奈緒ちゃんは美容師の見習い

他の友達は「普通の高校は無理やから」という理由で職業訓練高校…


いわゆる「普通校の進学」を早くも断念している様子でした。


私が高校にも行かなかったら、お母ちゃん(祖母)どう思うやろう…


親への反抗心で荒んだ毎日を送って来たけれど、親が想像しているような道は選びたくない。


しかし、学校の勉強には全くついて行けていない…



その日は早めに溜まり場をあとにし、お母ちゃんの家に向かいました。




■■■■■■■■
レスを下さった皆様へ

読んで下さってありがとうございます。

誰かに読んで頂けていると思うと、すごく嬉しいです。


この先、リアルでは他人に言えない事柄も出てきますが
温かく見守って頂けたら幸いです…

No.23 09/10/19 01:07
毒女 ( ♀ Ph521 )

久しぶりのお母ちゃんの家。


きっと両親から私の様子を聞いているはずだから、叱られるだろうな。


変わってしまった私の姿を見て、悲しむだろうな。


もしかしたら、
「辛いなら戻っておいで」って言ってくれるかも知れない…


そんな不安と期待を胸に
お母ちゃんの家の玄関扉を明ける。





「お母ちゃん?」





真っ暗なリビングに、テレビだけが点いている。




「お母ちゃん?
インターホン、鳴らしたんやけど…」




慌てて電気を点けるお母ちゃん。

「毒ちゃん?」
「お母ちゃん?」





お母ちゃんは
最後に会った1年前の姿とは、比べものにならないぐらい、やつれていた。




「お父ちゃんは?」



「もう寝てるよ」



「もう寝てるって、まだ7時前やん。お父ちゃん、しんどいの?
お母ちゃんもしんどいの?」


「大丈夫やで。
それより毒ちゃん…
なんやの、その髪の色‼どこぞの外人かと思うたわ‼
ほんでなんやの、その短いスカート‼お腹冷えるがな‼」



やせ細ってはいたけれど、いつも口調のお母ちゃん。


「毒ちゃん、家族と仲良くやってるんか?
心配かけてないか?」

No.24 09/10/19 01:44
毒女 ( ♀ Ph521 )

「大丈夫。仲良くやってるで」


やせ細り何も知らないお母ちゃんにこれ以上心配を掛けたくなくて、私は本当のことを言いませんでした。


そして本題であるお願いをしました。


「お母ちゃん、明日から毎日勉強を教えてくれへんかな?」




毎日夜7時から、お母ちゃんとの勉強が始まりました。



「家で夕食を食べから、7時に来なさい。行き先をお母さんにもちゃんと話しや」


もちろん私は両親に話すわけもなく、時間の辻褄を合わせるために7時までは溜まり場で過ごしてからお母ちゃんの家に行く毎日。



当然帰宅は9時を回り、帰宅時に父親と鉢合わせすれば「何回殴らても懲りない奴やな」とばかりにひたすら暴力を振るわれる日もありました。


でも、両親には「勉強してる」なんて言いたくなかった。



私が勉強するのは両親のためじゃない。

私のためでもない。

お母ちゃんのため。

両親には「いい子になった」なんて思われたくない。


暴力で私を更生できたなんて、絶対に思って欲しくない。



だから夜遊びをしていると思われる方が都合が良かった。

夜遊びと信じている両親に殴られながら、内心ではほくそ笑みを浮かべていました。

No.25 09/10/19 02:31
毒女 ( ♀ Ph521 )

お母ちゃんとの勉強の甲斐あって、学区でもトップクラスの公立高校に進学した私は、中学時代とは全く違う交友関係を築く事が出来ました。
夜遊びは全くしなくなり、再び所属した水泳部の練習に明け暮れました。


連休前の土曜日、水泳部の大会から帰宅すると家は無人…。
結局4日間後にハワイのお土産を持った家族が帰って来たことが多々ありましたが、全く気になりませんでした。


両親には衣食住を提供してもらっているだけで充分で、
私の精神的支えや楽しみは、全て友人やクラブ活動にありました。


今から思えば、
両親と暮らした5年間の中で、最も安定し充実していた時期だったかも知れません。




そんな充実した高校生活も、2年が過ぎた冬のある日の深夜。



クラブ活動を終え、早めに床についていた私の胸ぐらを掴み起きあがらせ、
いきなり殴りかかってきた父。


全く意味が分からずも、ただ殴られる。

一瞬中学生だったあの日に戻った感覚に陥ったけれど、
今は殴られるようなことは何もしていない…


何?
何が起きてるの?




「こんないかがわしい所で働きやがって‼
この恥さらしが‼」

No.26 09/10/19 02:59
毒女 ( ♀ Ph521 )

「学費まで出してやったのに裏切りよって‼

お前みたいな奴は、こうじゃ‼」

「こうじゃ‼」

「こうじゃ‼」



「こうじゃ‼」の掛け声で、馬乗りになって殴る父。

横で見守る母。


数年間、暴力とは離れた生活をしていた私は、久しぶりに恐怖心を感じました。


気の済んだ父はようやく私の上から降り、部屋を離れました。


私を見下ろす母は




「テレクラなんかで働いて、汚らしい女‼」



そう言いながら、何かを投げつけてきました。




母が投げたもの。




それは街で配られている3つのポケットティッシュ。




そのポケットティッシュは、部活の帰りに寄ったマクドナルドの横で私が受け取ったものでした。



殴られて切れた口元から流血するのもお構いなしに
私は笑わずにはいれませんでした。




その3つのポケットティッシュの背には、同じテレクラのチラシが挟まれていました。




私は笑いが止まらず、父が寝室に入るのを待って
母のいるリビングに向かいました。



自分の推測を確かめるために…

No.27 09/10/19 03:28
毒女 ( ♀ Ph521 )

やはり私の予想は当たっていました。


街でそういった類のポケットティッシュが配られている事を知らない母は、
私が自分の働く店(テレクラ)の宣伝の為に私がチラシ入りのポケットティッシュを持ち歩いているのだと思ったようです。


そして自分が独自で導き出した答え…「毒がテレクラで働いている」

それだけを父に告げたのです。



あらぬ疑いを掛けられた憤り、それにより暴力を受けた怒りは全くありませんでした。



逆に
高校生活もそこそこに母となり、社会に出ることもなく家庭に入った母の世間知らずさに対する、哀れみすら感じました。


私は絶対に母みたいな女性にはなりたくない。



世の中も知らない女性には絶対になりたくない。



私は学歴をつけて、社会で必要とされる人間になってやる。



娘に殴りかかられるのではないかと怯える母を見下ろしながら


私はこれからの無限な可能性を夢見ました。

No.28 09/10/19 04:12
毒女 ( ♀ Ph521 )

一番上の妹が中学に入学した年の秋頃から妹の格好が明らかに派手になり、夕食の時間に帰宅していない夜が増えていました。


既に高校3年になっていた私は部活も引退し、学校の受験クラスが終わると真っ直ぐ帰宅する毎日だったので、妹の変貌ぶりが手に取るように分かりました。


同じ道を辿ってきた私は、出来るだけ妹に声を掛けるように試みました。

私にとっては「幸せな家庭」に育った妹にも重圧はあるらしく、二人きりになると時々本心を語ってくれました。


母の期待が大き過ぎること…それが妹にとって一番の苦痛であったようでした。


母は、妹を私より上位の高校へ進学させる事を望んでいて
何かにつけ私を引き合いに出す…妹はそれが苦痛なようでした。


引き合い?


母は中学時代の私の何を知ってたんだろう?


そんな事を妹には言えなかったけれど、妹が私に本心を打ち明けてくれた事がすごく嬉しかった。


その後も妹は、深夜まで受験勉強をしている私の部屋に度々訪れてくれ、
二人で色々な話をしました。



私に「家族」を実感させてくれたのは父でも母でもなく


この妹でした。

No.29 09/10/19 04:48
毒女 ( ♀ Ph521 )

親に対する不満
好きな人の話
将来の話…

私はほとんど聞き役でしたが
妹とのそんな深夜の対談が楽しみになっていたあったある日


真夜中に電話が鳴り響きました。



起きていたのは私がけだったので応対すると
妹を補導した警察官からの連絡でした。

私は妹を迎えに行った両親の帰宅を待っているつもりでしたが
いつの間にかウトウトしていたのでしょう…


父親の罵声と
頬の痛みで目が覚めました。



以前のように、私に馬乗りになっ殴る父。


それを見守るように立つ母。



そしてその横には





妹の姿。




「妹がグレたんは、お前のせいや‼

家族をめちゃくちゃにしやがって‼

お前のせいや‼
出て行け‼‼」


叫びながら殴る父。





私のせい?




問い掛けるように見上げると
冷たい目で私を見下ろす妹。





「私がこんな風になったのは、毒ちゃんの影響やねん‼

毒ちゃんが出て行ってくれないなら、
私がこの家を出て行くから‼」


すごい剣幕で怒鳴る妹。




私のせい?



私のせい?




私のせい…




これが
実の家族と過ごした最後の夜でした。

No.30 09/10/19 05:19
毒女 ( ♀ Ph521 )

眠れぬまま朝を迎え、夜明けと共に制服に着替え
スポーツバック2個に身の回りの荷物をまとめてリビングへ降りると、母からの置き手紙がありました。



「あんたは知らんと思うけど、おじいちゃんだいぶ前から癌やで。
迷惑かけるような真似しなや」



お父ちゃんが癌?



高校に上がってからはあまり祖父母宅へ行ってなかった。



でも、お母ちゃんと受験勉強してる時
おじいちゃんは別室で休んでいる日が多かった。


勉強を5時からにして一緒に夕食を食べようと言っても、
言葉を濁していたお母ちゃん…


お父ちゃんの具合が悪かったからなのか…



自分のことばかり気にし
お母ちゃんが痩せていた事にも、お父ちゃんが病気だった事にも気づけなかった自分が情けなくて
久しぶりに涙を流しました。


自転車を飛ばしつつお父ちゃんを思いながら流していた涙は


いつの間にか


辛かった中学1年からの5年間の、自分への涙へと変わっていました。

  • << 32 時は遡り、17年前。 私が1歳の誕生日を迎える少し前のはなし。 ようやく親からの承諾を得て、家族3人で暮らし始めた両親と私。 そんな生活も2ヶ月が過ぎた頃、 母が私を連れて祖父母宅にやって来ました。 「夫の仕事の関係で、半年間海外を転々とすることになったの。 夫にとって大きな転機だし、私も夫のアシスタントをしてるから、毒ちゃんを連れて行けない。 半年だけ毒ちゃんを預かってくれないか」 その春に教員の仕事を早期退職していた祖母は、半年だけならという約束で私を預かってくれました。 最初は私の様子を尋ねる為にこまめにあった母からの連絡も、次第に回数が減り 最後には半年ごとに「あと半年お願いします」という連絡だけになっていったそうです。 最終的に両親が帰国したのは、あの参観日の半年前でした。 ちょうどその頃から祖父の体調不良も重なり、初期癌の発見。 祖父の手術や入退院を予想し、私を実両親の元へ行かせる決断をした… お母ちゃんはそう語ってくれました。

No.31 09/10/19 06:11
毒女 ( ♀ Ph521 )

>> 30 真っ直ぐ祖父母宅へ向かった私は、その日は学校を休み
夜遅くまで3人で話をしました。

離れていた間の私の5年間のこと

お父ちゃんの癌のこと

そして私の生い立ちと、私がお父ちゃん達と住むことになった経緯も…



この日、
私が知らなかった
そして知りたかった過去を、祖父母は全て話してくれました。

No.32 09/10/19 06:15
毒女 ( ♀ Ph521 )

>> 30 眠れぬまま朝を迎え、夜明けと共に制服に着替え スポーツバック2個に身の回りの荷物をまとめてリビングへ降りると、母からの置き手紙がありました。… 時は遡り、17年前。

私が1歳の誕生日を迎える少し前のはなし。


ようやく親からの承諾を得て、家族3人で暮らし始めた両親と私。


そんな生活も2ヶ月が過ぎた頃、
母が私を連れて祖父母宅にやって来ました。


「夫の仕事の関係で、半年間海外を転々とすることになったの。
夫にとって大きな転機だし、私も夫のアシスタントをしてるから、毒ちゃんを連れて行けない。
半年だけ毒ちゃんを預かってくれないか」


その春に教員の仕事を早期退職していた祖母は、半年だけならという約束で私を預かってくれました。

最初は私の様子を尋ねる為にこまめにあった母からの連絡も、次第に回数が減り
最後には半年ごとに「あと半年お願いします」という連絡だけになっていったそうです。


最終的に両親が帰国したのは、あの参観日の半年前でした。

ちょうどその頃から祖父の体調不良も重なり、初期癌の発見。


祖父の手術や入退院を予想し、私を実両親の元へ行かせる決断をした…



お母ちゃんはそう語ってくれました。

No.33 09/10/19 07:49
毒女 ( ♀ Ph521 )

親友を作り
部活をし
勉強に励み
憧れる異性も表れ…

そんな輝かしい毒ちゃんの中学生活を
老人と病人の為に台無しにしたくない。

それが祖父母の一致した考えだったそうです。


多感な時期に毒ちゃんの環境を変える不安もあったけど
まさか…まさか毒ちゃんがそんな目に合ってるなんて。


ごめんね、毒ちゃん。ごめんね…


お母ちゃんは泣いていました。

お父ちゃんも涙を浮かべていました。



私もごめん、お母ちゃん。お父ちゃん。

自分のことばかりに夢中で、全然気づかなかった…


これからはまた3人で暮らそう。


お父ちゃん、頑張って長生きしなあかんなぁ…



久しぶりに感じたお父ちゃんとお母ちゃんの温かさでした。


そんなお父ちゃんとお母ちゃんも
たった数年後に居なくなってしまうなんて…

No.34 09/10/19 15:31
毒女 ( ♀ Ph521 )

こうして私は
高校生活最後の半年間を祖父母と共に過ごしました。


祖父母と住み始めて数ヶ月後には進学も決まり、高校へは適当に顔を出す程度。
ほとんど毎日を私は自宅で過ごしました。

お父ちゃんの通院の日は、私が昼食や夕食を作り、

お父ちゃんの体調が良い時期は、お母ちゃんを無理矢理カルチャースクールへ行かせたり、3人でスイミングジムに通ったり。


大学進学までの短い間に、お母ちゃんはたくさんの事を教えてくれました。

料理全般に
着物の着付け
時には戦争時代の話…
そして、私にはまだまだ先であろう、
妊娠出産の話…陣痛の乗り切り方まで伝授してくれました。

「そんな話、
また必要な時に聞かせてもらうわ。」


「必要な時に、必要な人はおらんもんやねんで」


「お母ちゃん、その頃にはボケてるかも知れんしな😂」


「アホか‼
お母ちゃんみたいに責任感が強くて几帳面な人間が、ボケる訳ないやろ‼
しかもあんたみたいなボケた娘がおったら、トボケたくてもボケられへんわ😂」

間もなく訪れたお母ちゃんの死後、この他愛もない会話が頭から離れませんでした。

No.35 09/10/19 16:06
毒女 ( ♀ Ph521 )

大学生活が始まりました。

祖父母宅から片道1時間40分かかる通学は思いのほかハードでした。

祖父母に返済する学費の為にアルバイトを始めると、バイトから帰って寝るだけが精一杯の毎日。


小遣いぐらいは自分で稼ぐつもりだったけれど、
まさか「毎月少しでも学費を返しなさい」なんて言われると思っていなかった甘い私は
祖父母との時間が思うように作れず、焦燥感ばかりが募りました。


その反面、バイト先の飲食店で初めて恋をし、毎日が楽しくて仕方ないのも事実でした。


夏休みは祖父母と過ごそうと思っていた矢先、
お父ちゃんが緊急入院しました。


過去2度、癌を取り除く手術をしていたのですが、
今回の癌はリンパ節。

今回は覚悟を決めるよう宣告されました。


学校からの帰り道にお父ちゃんの病院があったので
私は毎日、バイト前に病院へ向かいました。

私が喋り続ける、くだらない話に「うんうん」と笑顔で聞き入ってくれていたお父ちゃん。

もっとお父ちゃんの体調を気遣ったり
お父ちゃんの話を聞くべきなのは分かっていたけど
もし「辛い」「怖い」と言われたら泣いてしまいそうな自分が怖くて、
ひたすら喋り続ける事しか出来ませんでした。

No.36 09/10/19 16:21
毒女 ( ♀ Ph521 )

『マシンガン(トーク)ちゃん』と、私が看護士さんから命名されるようになった頃
お父ちゃんは入院半年を迎えていました。

私は、お父ちゃんの付き添いで留守がちなお母ちゃんの代わりに家事を引き受け、アルバイトどころではありませんでした。


期末試験の最終日、いつものようにお父ちゃんの病院へと向かうと
お父ちゃんはぐっすり眠っていました。


「お父ちゃん」

手を握り小さく声を掛けると、ゆっくり目を開けたお父ちゃんが言いました。


「ごめんな、毒ちゃん。
お父ちゃんが、毒ちゃんの両親の結婚に反対したばかりに
毒ちゃんには辛い思いをさせてしまったなぁ…
お父ちゃんがすぐに賛成してたら、毒ちゃんは両親と幸せに暮らせてたのになぁ…。
許してや。こんな事になって、堪忍な…」


「お父ち…」


「今日はもう帰ってくれるか」




翌朝、


お父ちゃんは息を引き取りました。

No.37 09/10/19 16:54
毒女 ( ♀ Ph521 )

大阪では珍しく雪が積もる師走の日に、お父ちゃんの葬式が執り行われました。


遺族が集まるお寺の祭壇付近に両親の姿はなく、焼香名簿にも両親の名前はなく、
祖父母と両親の関係…絶縁されている事を私は初めて知りました。




春になり
私はお父ちゃんが居ない悲しみに慣れ初めて来ましたが
お母ちゃんはどんどん塞ぎ込む一方でした。


50年以上寄り添った連れ合いを亡くす悲しみは、私の想像を絶するものなはず。

お母ちゃんの悲しみが癒えるまでは、そっとしておこう。


私は見守るしか出来ませんでした。



しかし時間が経てば経つほど、お母ちゃんは塞ぎ込む一方。

几帳面なお母ちゃんが掃除や片付けもせず、
私が作らなければ食事も取らない。


朝、起きて来ない日もあれば
深夜に起こされて朝まで泣き喚く日もある。



何の知識もなかった私は、
悲しみのせいだと思っていました。



時間だ経てば癒えると信じ
お母ちゃんの病に全く気が付きませんでした。



お母ちゃんはうつ病でした。

No.38 09/10/19 17:20
毒女 ( ♀ Ph521 )

お父ちゃんの初命日を間近に控えた11月のある日の放課後
私のポケットベルが鳴りました。


お母ちゃんからです。



その時、期末試験のレポートの資料をコピーしていた私は、校内図書館が閉まるまでにコピー作業を終えたくて

「20分後には終わるから、お母ちゃんにはそれからゆっくり電話しよう」と思いましたが、

急に気が変わり、すぐに公衆電話に向かいました。


お母ちゃんが心配だったからではありません。




打算です。



最近頻繁にポケットベルを鳴らすお母ちゃんの目的は
「泣き言を聞いてもらう為」

バイト先で拝借した電話であろうと、
昼食中の校内公衆電話であろうと、
通学途中の駅の公衆電話であろうと、
私がお母ちゃんに電話をした時点で長い長い泣き言が始まるのです。
こっちの事情や場所なんてお構いなし。

そういう例が何度もあったので、


私は敢えて校内図書館が閉館する間際に電話を掛けました。


長い泣き言を聞かないようにする、
紛れもない打算でした。



こんな汚い考えが
一生の後悔になるなんて…

No.39 09/10/19 17:31
毒女 ( ♀ Ph521 )

「お母ちゃん、ごめん‼
今図書館にいてて、あと15分で閉館になっちゃうから…また後で電話するわ。

試験前で今日もバイトがないから、真っ直ぐ帰るよ。
ごめんな。また後で‼」


そんな内容を一方的に話し、公衆電話を起きました。




コピーを終え、図書館を出た所でクラスメイトに偶然会い
途中まで一緒に帰宅しました。


もし偶然クラスメイトに会っていなければ、
私は校内の公衆電話から再度お母ちゃんに電話をしたのだろうか?


後々何度も自問自答しましたが




多分




していなかったでしょう。

No.40 09/10/19 17:48
毒女 ( ♀ Ph521 )

学校を出たのは17時過ぎぐらいでしたが、
夕食の買い物を済ませて帰宅したのは
暗闇に包まれた20時前でした。


坂道を登り、自宅が見えて来た頃には
すでに嫌な予感がしていました。


家の前に立った時にはもう、予感は確信に変わっていました。


お父ちゃんの死後
カルチャースクールも辞めてしまい、
友人付き合いもしなくなり、
お父ちゃんの写真を見ながら家に籠もるだけの毎日だったお母ちゃん。






なのに









電気が消えている。













お母ちゃんは
首を吊って自らの命を絶ちました。



お父ちゃんが亡くなって、僅か11ケ月後の事でした。

No.41 09/10/19 23:59
小夏 ( 20代 ♀ DBfo1 )

とても壮絶な人生ですね😢

今まで本当に頑張ってきたんですね…(>_<)

更新頑張って下さい‼

No.42 09/10/20 00:13
毒女 ( ♀ Ph521 )

救急車隊員の姿
警察官の姿
医師の姿…


その日の光景は今でも目に焼き付いているのに、
記憶は非常に曖昧です。




これから始まる、私の取り調べに対する説明と必要性が告げられました。



「ご親戚や親御さんは❓
誰かそばに居てもらえる身内の人に連絡して、すぐに来てもらってね」




…私のそばに居てくれる人❓



お母ちゃん以外に
誰がいるの❓




たった一人の家族を








私が殺してしまった…




方針状態で座っていると、




いつの間にか
母が来ていました。





「この人殺し‼」







作業をしていた警察官が一斉に振り向きました。

No.43 09/10/20 13:57
まい ( ♀ DJv3xe )

主さん、感想スレを立てて下さい。

主さんの更新だと思った方申し訳ありません珵

No.44 09/10/20 15:24
毒女 ( ♀ Ph521 )

■小夏さん■
読んで下さってありがとうございます。

■まいさん■
感想スレは立てたくありません🙇
この先、非難を浴びるスレになるのが予想出来るので…

すみません🙇

No.45 09/10/20 15:48
毒女 ( ♀ Ph521 )

お母ちゃんが亡くなった翌月、
私は20歳の誕生日を迎えました。
その翌月には成人式を迎えましたが、
式には参加しませんでした。

お母ちゃんの遺体の横には
成人式用にあつらえてくれた着物がありました。

お母ちゃんは、成人式を楽しみにしていてくれたのでしょう。


これを着て成人式に参加するべきなのは分かっていました。

でも、どうしても出来ませんでした。



いつか、お母ちゃんを失った気持ちが癒え
いつか、私が誰かと幸せな結婚をする時には、この着物に袖を通そう…



結局15年以上経った今でも、
この着物に袖を通していません。


私が袖を通すことは、この先もうないでしょう…

No.46 09/10/20 16:19
毒女 ( ♀ Ph521 )

お母ちゃんは、着物以外にもたくさんのものを遺してくれました。


ひとつは現金。


お母ちゃんは、遺産の半分以上を勤め上げた学校に寄付しましたが、残りを全て私に託してくれました。


お母ちゃん名義の遺産とは別に、私が毎月払っていた学費に色をつけて、私名義の積み立てもしてくれていました。


もうひとつは、お母ちゃんの家。


正確には、家は母の持ち物となりましたが
遺言書には私が25歳になるまで売却はしないことという但し書きがありました。

私が自立出来るまで住む場所に困らないよう
また、自立後に家が不要になった時には、面倒な手続きなく出て行けるようにしてくれていました。

私が25歳になる頃には、お母ちゃんを亡くしてしまった罪悪感と悲しみは、薄らいでいるのだろうか?


薄らいでは困る。



私は25歳までに
この家を買い取る決心をしました。

No.47 09/10/20 16:40
毒女 ( ♀ Ph521 )

実質一人暮らしの大学生活でしたが
毎日キチンと家に帰りました。


遺してくれたお金は、学費と母から要求された固定資産税と相続税でほとんど消えてしまったので、生活の為にアルバイトも続けました。



バイト先では恋愛もしました。



全てを話して彼に飛び込みたいと望む反面、
絵に描いたような幸せな家庭で育った彼には、絶対に話したくないとも思っていました。



社会人になり、それなりに恋愛も繰り返しましたが
全てを話したくなる相手はいませんでした。

親のこと家族構成をいつまでも話したがらない私を、

「お前、実は所帯持ちやろ?」

なんて言われた事も。


所帯があればどれだけいいか…


そう思いながら
別れた事もあります。

No.48 09/10/20 17:00
毒女 ( ♀ Ph521 )

私の年代は第2ベビーブーム世代
しかもバブル崩壊直後ということもありなかなか厳しい就職活動となりましたが、
なんとか地方銀行に就職することが出来ました。


窓口業務ではなく、営業を希望する女性は当時非常に少なく
私の希望はすぐに叶えられました。



就職3年目を迎えた24歳。



私はのちに義母となる、あるお客様に出会いました。

No.49 09/10/20 17:16
毒女 ( ♀ Ph521 )

容姿はお母ちゃんとは似ていませんでしたが
喋るテンポや声、切り返し方がお母ちゃんにそっくりな方で、不思議と親近感の沸く女性でした。


何度も訪問するうちに、その女性とは今まで誰にも話さなかったような生い立ちまで話せる間柄になりました。

私の話に時には強く諭し、時にはには涙を浮かべながら
女性も色々な話をしてくれました。



お母ちゃんに似てる。


もちろんそれが最初の理由でした。



でも互いに親近感が沸けば沸くほど、増えていく契約。



伸びてゆく営業成績。


罪悪感が募る反面、私には確実に営業テクニックが身についていました。

No.50 09/10/20 23:34
毒女 ( ♀ Ph521 )

お母ちゃんみたいな存在になりつつあった、そのお客様(寿恵子さん)に呼ばれ、私は退社後に寿恵子さんのご自宅へ伺いました。


ご自宅には、何度かお会いしている寿恵子さんのご主人と、初めてお会いする寿恵子さんの息子さんがいらっしゃいました。


息子さんは真治さんといい、私より3歳年上の27歳で
寿恵子さんのご長男でした。


とても温厚で口数が少ない物静かな方…というのが真治さんの第一印象。

今まで好きになった人とは全く違うタイプの方でした。


寿恵子さんのお喋りを聞きながら手料理を頂いたあと、
真治さんは私を最寄り駅まで送ってくれました。


駅までの帰り道は、往路の何倍もあるように感じました。


話し掛けてもあまり会話が弾まず、すぐに沈黙が訪れます。

そう言えば…寿恵子さんのご主人も無口な方だなぁ。

お父ちゃんも無口だった…

口達者な女性には、無口な男性がお似合いなんだろうか…


相変わらず真治さんとは沈黙が続いていましたが、
今まで感じたことのない不思議な安心感がありました。

その安心感は
「私の過去を知っている人」だから。


それでも安心感は、心地の良いものでした。

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