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息子が発達障害者と結婚すると言いました

No.88 17/09/19 05:51
匿名88
あ+あ-

無理解が差別を生む事は分かるけど、それでも「差別」という言葉をあまり使わないで欲しい。

発達障害の定型に対する無理解は認めていいけど、定型の発達障害に対する無理解は認めてはならない。
これが、今の日本社会の建前であり、一般的な現状。

でも、後者の無理解の原因を全く考えようとしない「無理解」も、ある種の差別であると思う。



日本は、良くも悪くも「優しくて情の深い」社会だから、「相手も自分も同じ人間だから、通じ合える所がある」と無意識に思うところがある。それは、ある意味正しいけど、ある意味間違えている。
その間違いに気付いた人間は、大抵は差別したり、差別されたりしている事が多い。「区別する」という言葉や行為が、この社会ではあまり馴染みのない物だから。
そういう意味合いでは、日本は「表では不寛容を極力回避して寛容になる事に努める一方、裏では寛容を維持するために不寛容になっている」という、繊細だが不自由な国になっているのかもしれない。

発達障害の人の言葉に「普通が私を押し潰す」という言葉がある。
寛容の恩恵を受けるには「普通」でなければならないが、「普通」が何だか分からない彼らには、「不寛容」しか待っていない。
けれど、その「不寛容」を「差別だ」として叩いても、根本的な解決にはならない。



「差別」は「不寛容」だが、「区別」は「寛容への第一歩」と知るべきだと思う。即ち、「定型と発達障害、双方の特性を理解した上で区別する」事が、両者を真の意味で近付ける唯一の道。

繊細すぎて「自己と他者の同一視」が進むあまり、「区別」という言葉が消滅して、「区別≒差別」となってしまった日本社会。そんな中で、息子さんに、この概念があるだろうか。あったとして、この概念を上手く適用してやっていけるだろうか。

息子さんには、相手の発達障害の度合いや生活の内容にもよるが、高度な調整能力が必要となる。それが精神的に辛いと感じるようなら、「区別」は到底できない。



「区別」は、「割り切る」とも言う。
でも、「割り切る事」は「愛を否定する事」には必ずしも繋がらないはず。
「過度に思いやらない事」が、結果的に「思いやり」になる事だってある。

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